第十五話 友情
フィールカとレオンは、せっかくの前夜祭なので一緒に校内をまわらないかとシエルを誘ったのだが、まだ卒業式の準備が残っているということで仕方なく男二人組だけで寂しくまわることになった。
校舎の二階に来ると、派手に飾り付けされた教室の模擬店がずらりと並んでおり、廊下に溢れ返った生徒たちが楽しそうに賑わいを見せていた。
「なあフィールカ、あれ食べないか?」
早速レオンが何かを指差すと、その先にはジャガイモのバター焼きが旨そうに湯気を立ち上らせて並べられている模擬店があった。
それを見た途端、フィールカの腹が反射的にぐぐぅ、と情けない音を立てて空腹を訴えてくる。
「そうだな……。朝飯もまだ食ってなかったし、とりあえず食うか」
フィールカは販売している生徒からジャガイモを二つ貰うと、一つをレオンに渡す。
廊下に設置してあるベンチに腰掛け、二人は勢いよくジャガイモに齧りつく。
「うんめえ! この蒸し加減が最高だぜ!」
「あんまりがっつくなよな。そんなに急いで食べてたら、喉に詰まらせるぞ」
夢中で芋を頬張るレオンを隣でたしなめながら、フィールカもゆっくり味わって食べる。
「うっ……み、水……」
「だから言っただろう!」
言ったそばから喉を詰まらせている青年に、フィールカは持参していた水筒を渡してやる。それを急いで受け取ったレオンは一気に水を喉に通して、ふう、と助かった様子で息をつく。
「危うくもう少しで芋を喉に詰まらせて死亡っていう伝説を、この学校に残すところだったぜ……」
「世話が焼ける奴だなあ……」
全く反省する気がない相棒に、フィールカは呆れ顔になりながら芋を食べる。
あっという間に二人は丸ごと一個分あったジャガイモを胃袋に詰め込むと、ゴミ箱に包み紙を捨てる。
「あー、旨かった……。もう一個食おうかな……」
「ジャガイモはその辺にしといて、レオンってああいうのは得意なんじゃないか?」
そう言ってフィールカが次に指差したのは、おもちゃの拳銃で的を狙う射的の模擬店だ。教室の入口の前に据えてある立て看板を見てみると、どうやら高得点を出した人には菓子の袋詰めが景品として貰えるらしい。
「ふっ、この射撃の天才に射的とは……」
ふっふっふ……とレオンはいきなり奇妙に笑い始める。
――もしかして呆れさせてしまったか……?
こういうゲームの類いならレオンも喜んでやるかとフィールカは踏んでいたのだが、彼の反応を見て内心で後悔した。
しかし、レオンから返ってきた答えは案外普通のものだった。
「よっしゃ! やってやろうじゃねぇか!!」
――やる気満々じゃないか……。
一瞬不安を抱いてしまった自分を哀れに思ったが、気を取り直してフィールカはレオンとともに射的の模擬店に入ると、入口にいる店番の生徒からルールの説明を受ける。
ルールは単純だ。三発の持ち玉で円形の的に書かれた点数をどれだけ高得点で獲得できるかという、合計得点を競うゲームだ。
一番難しい中心の的が百点、その周りを囲んでいるのが八十点、さらにその周りが六十点と、外側にいくに連れてどんどん点数が低くなっていくわけだ。教室の黒板に大きく掲示されている成績表を見てみると、どうやら本日の最高得点は二百六十点らしい。
射的の指定された位置にレオンは移動すると、それを傍らから見守っている黒髪の青年に首を傾げる。
「フィールカはやらないのか?」
「俺の射撃の酷さはお前も知ってるだろう」
自虐的に言って肩をすくめる。
フィールカは職業選択のときに銃の試し撃ちをしたのだが、全く的に当たらなかったどころか、危うく生徒たちを撃ちかけてしまったのだ。
そのときのことを思い出したように、レオンは思わず吹き出す。
「ははっ、そう言えばそうだったな。まあ、フィールカは前線でズバズバ敵を斬ってる方がよっぽど似合ってるぜ」
「……それは褒めてるのか?」
青年をからかうように言うと、レオンは机に置いてある玩具の拳銃を手に取る。
装填された玉は三発。立ち位置から的までの距離は約三ルメール(メートル)ほどだ。近くに思えるが、これが意外と遠い。
金髪の青年は左腕をまっすぐ伸ばして拳銃を握ると、右手を腰に当てて構える。それを見たフィールカは不思議そうに訊いた。
「その構えで撃つのか?」
「これが一番好きなんだ。まあ見てな」
そう言ってレオンは拳銃をしっかり構えると、的に向かって最初の一発を撃つ。
――パンっ!
軽い音を上げると、勢いよく飛んでいった玉は的の中心を見事に撃ち抜いていた。
それを見物しているフィールカは、感心した様子でこちらを見ている。
――よーし、なら次はこれでどうだ!
レオンは内心で勢いに乗ったように呟くと、再び的に向かって拳銃を構える。
すると、今のがまるで準備運動だったかのように、今度は残りの二発の玉を連続で撃つ。
それらも的の中心に吸い寄せられるようにまっすぐ飛んでいくと――見事に百点の的を撃ち抜いた。
レオンが満足げな顔で拳銃を下ろした瞬間――。
「――おめでとうございます!! 本日の最高得点、三百点が出ましたー! どうぞ、景品をお受け取りください!」
生徒が菓子の袋詰めをレオンに渡すと、彼は機嫌良く戻ってくる。
「どうだ、フィールカ! 俺の腕前はよ!」
「ああ、さすがだったよ。まさか、あんな連続で当ててくるなんて思わなかった」
以前、レオンから彼の身の上話を聞いたのだが、どうやら子どもの頃から父親と一緒に山で狩猟をすることが日課だったらしい。毎日父親が猟銃を扱う姿を見ていたため、自然と撃ち方も取り込んでいったそうだ。
そのおかげもあってか、いまでは学校随一の狙撃手となり、彼の技量が優れていることはもはやフィールカも納得せざるを得なかった。
レオンは気分が上がったように青年の首に腕を巻いてくる。
「ふっ、フィールカさんよ、俺の実力はまだまだこんなもんじゃないぜ?」
「わかってるよ。よし、次はあれに行こう」
そう言ってフィールカは軽く受け流して、二人は次の模擬店に移動した。
∞
太陽が中天に差し掛かった昼下がり。
暖かい陽射しが地面に降り注ぎ、中庭にいても校舎からは、前夜祭を楽しんでいる生徒たちの冷めやらぬ喧噪が絶えずに耳に届いてくる。
「――ふう、ただいま」
トイレから戻ってきたフィールカは、芝生に設置された木製ベンチに座っている金髪の青年に声をかける。
「おかえり。しっかしあれだけ歩いたら、さすがに疲れちまったな」
レオンがくたびれた様子で言葉を返す。
あれから二人は色々な模擬店を歩きまわり、すっかり疲れたので中庭のベンチで休憩していた。
フィールカは相棒の隣に腰掛けると、ふと気になったように訊いた。
「……それ、なんだ?」
怪訝そうに注目したのは、レオンが手に持った細い木の棒の先端を包んでいる、まるで空に漂っている真っ白な雲を連想させるようなものだ。
金髪の青年は、それを美味しそうに舌でぺろぺろ食べながら言う。
「ん? ワタアメってお菓子だ。さっき射的で貰った景品に入ってたやつ」
「……ワタアメ?」
聞いたことのない異国の言葉の響きに、フィールカは胡乱げな表情になる。
「なんでも今、北の国で流行ってる大人気のお菓子らしいぜ。お前も食うか?」
「いや、俺はいいよ……」
引き気味に遠慮すると、フィールカは虚空を見つめながら改めた表情で言った。
「なあ、レオン」
「ん?」
「なんで反乱軍に入隊しようと思ったんだ?」
フィールカは卒業が近いこの際だから、彼に訊いておこうと思ったのだ。
なぜならこれまで二年間、レオンとこの学校でずっと共に過ごしてきたが、入学した理由を訊いたことがなかったからだ。
彼の質問に対して、レオンは怒気の混じった口調で答えた。
「そりゃもちろん、皇国軍のやってることが許せねぇからだ」
爪が食い込むほど拳を思いきり握り締める。
「ただでさえみんな魔物のせいで苦しんでるっていうのに、皇国軍の奴らときたら……平穏に暮らしてる人たちの生活を全て奪いやがる……」
皇国軍《ヴァルキュリア》――街や村から略奪を繰り返し、無差別に人々を殺し続け、全てを焼き尽くす。世界で最も許すことのできない卑劣な奴らだ。
皇国軍の生殺与奪を少しでも阻止するために、自分たちは明日から反乱軍に配属されるのだった。
「だから、せめて俺たちが弱い人を守るんだ。これ以上、奴らの好き勝手にさせてたまるかってんだ」
「……そうだな。だからこそ、俺たちが世界を変えていかないといけないんだ」
そう、これは自分たちにしかできないこと。今の皇国軍に対抗できる勢力はただ一つ、反乱軍だけだ。世界の平和を懸けた命運は、全て自分たちに委ねられているのだった。
二人がベンチで真剣に話していると、不意に渡り廊下のほうから複数の生徒たちがこちらに近づいてくる。
「あっ! あんなところにいた! シークガルせんぱーい!!」
一人の女子生徒が大声でフィールカの相棒の名前を呼んでくる。
あれは、一年生の射撃科クラスのレオンの後輩たちだ。その中の女子生徒の一人が、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。
「もー! 先輩、今日私たちのクラスの模擬店に来てくれるって、前から約束してたじゃないですかー!」
「ええっ? ――ああああああああっ!! す、すっかり忘れてたぜ……」
今になってようやく思い出したようにレオンはすっくと立ち上がり、自分の後輩に情けなく何回もぺこぺこと謝る。
金髪の青年は顔の前で両手を合わせて、申し訳なさそうにフィールカに頭を下げる。
「すまねぇ。そういうことだから、ちょっくら行ってくるぜ。なんならフィールカも一緒にどうだ?」
「いや、俺はいいよ。お前だけで行ってこい」
「そ、そうか……。んじゃ悪いけど、また後でな」
そう言い残して、レオンは後輩たちとともに校舎の中へと消えていった。
一人残されたフィールカはベンチに深く腰掛けながら、憂鬱そうに空を見上げる。
「はあ……」
相棒を取られてしまった青年の午後からの予定は特になし。今度は一人で校内をまわろうかと考えたが、さすがにそれは少し寂しい。かと言って、このままどこかに流れていく雲をずっと眺めているのも眠くなってくるので、とりあえず一度寮に戻るか……そんな考えが脳裏をよぎったときだった。
「――フィールカー!」
突然呼ばれた声に後ろを振り返ってみると、第一校舎と第二校舎を繋ぐ渡り廊下からシエルがこちらに向かって手を振っていた。
赤いツインテールの少女はすぐに中庭に出てくると、青年のもとに快活にやって来る。
「こんなところで一人で何してるのよ」
「あれ、シエルこそ一人なのか?」
「うん。さっき友達と一緒に校内をまわってきたんだけど、向こうが忙しくなっちゃってね。ところでレオンは? 一緒に行動してたんじゃないの?」
「ああ……その……さっき別れたところなんだ」
痛いところを突かれたフィールカは沈鬱な表情で呟くと、シエルはだいたい現在の状況を察したように言った。
「ふーん……そう。それじゃ――今から私と一緒にまわらないかしら?」
「え…………ええっ!?」
一瞬、フィールカは自分が言われていることを理解できなかった。
しかし、その言葉をじっくり吟味してすぐに意味を理解すると、青年は顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
「な、なんで俺なんだよ。他にもいるだろう」
「さっき誘ってきたのはフィールカたちでしょ。それとも、私と二人だけじゃ不満だったかしら?」
端整な顔をしかめて言うと、すぐに青年はぶんぶん首を振る。
「い、いや、別にそういうことじゃないんだ。そ、その……俺なんかでいいのか?」
フィールカはためらいながらもシエルに訊ねる。
「だって……あんたと一緒に過ごせるのも今日で最後かもしれないし……」
気を落としながら視線を伏せて呟く。青年は気恥ずかしさを紛らわすようにうんうんと頷いた。
「わ、わかった。じゃあ、どこから行こうか」
「ホント? じゃあね、私まだ行きたいお店がたくさんあるの。とりあえず行きましょ!」
元気よく言って、シエルはいきなりフィールカの右手を握ると、無理やり彼を引っ張って連れていく。
突然の彼女の行動に、青年は驚きをあらわにする。異性と手を繋ぐことに対して、シエルは全く気にしていない様子だ。
しかし当のフィールカはと言うと、胸中で信じられないほど酷く動揺していた。
――これは、現実か……? まるで夢みたいだ……。
未だ状況が飲み込めないまま青年は、少女に連れていかれたのだった。