センス・オブ・スカーレット

第一章 魔導軍事学校

第十一話 卒業試験３

　先ほどのドーム空間よりも一際小さな薄暗い空間に入ると、そこに待っていたのは壁や地面、天井から無数に生《は》えた、アメジストにも似た紫色の結晶の美しい光景だった。

　それを一足先に見つけていたレオンが、両手を頭の後ろに組んで自慢げな顔で言う。

「どうだ、すごいだろ？」

「ああ。これ全部《魔導石》か」

　フィールカが驚いたように言うと、ふと浮かんだ疑問を隣の少女に訊く。

「なあ、シエル。これって何かに使えるのか？」

「えっとね、確か基本的に武器や防具などの生産材料、魔導エネルギーの資源、用途は様々あって結構高値で売れるとか」

　その説明を聞いた青年は、「ほう」と悪戯《いたずら》を思いついた子どものような顔になる。

「それじゃあ、これをたっぷり持ち帰って、全部街で売り捌《さば》けば………」

「それを持つのは、結局誰になるのかしら？」

「すみません、調子に乗りました………」

　少女の威圧に怯んだフィールカは後ろ髪を引かれるがまま剣で魔導石を砕き、その一部を彼女に渡す。受け取った魔導石を掌に乗せ、シエルはそれに対して意思を伝えるように眼をつぶると、突然現れた白煙とともに石が消える。

　魔導石が、彼女の《記憶保管《メモリーストレージ》》に収納されたのだ。

　記憶保管の中に入る持ち物は掌に載るサイズなら基本的に問題なく、保管上限数は個人のＭＳ(マジック・センス)のレベルの高さによって変化する。フィールカとレオンは物理攻撃型にもかかわらず、この二年間で二十個近くまで保管できるようになった。

　しかし、基本ＭＳで戦闘を行う魔法支援型のシエルにとって、それは大したことではない。類い稀なるスキルセンスを持ち、ＭＳにおいて彼女に勝る者は魔導軍事学校ではまずいないだろう。その飛び抜けたＭＳによって、現在では百個近くまで所持品の保管が可能らしい。

「それじゃ、出口まで戻るわよ」

　シエルがそう言うと、三人はこの場から立ち去ろうとしたときだった。

　突然、地響きを立てて洞窟全体が大きく揺れ始める。

「な、なんだ？　地震か？」

　予期せぬ事態にレオンが動揺した様子を見せると、フィールカとシエルも不安の声を上げる。　

「な、なんかやばそうだぞ！」

「急いでここから離れましょ！」

　三人は慌てて引き返そうと、先ほどのドーム空間に戻る。

　しかし洞穴《ほらあな》から出た瞬間、彼らの前に信じがたい光景が目に飛び込んできた。

「なっ………」

　フィールカが思わず驚愕の声を洩らす。

　なぜかと言うと―――そこには山の如く高々とそびえ立った、巨大な竜がいたからだ。

　体長七ルメール（メートル）はあろうかという巨躯《きょく》を紅い鱗がぎっしりと覆い、短い四肢には鋭い爪を備えており、背中には二枚の大きな翼が折り畳まれていた。

　竜は三人に気づいてこちらに赤い眼を向けると、威嚇するように巨大な両翼を広げて突風を巻き起こす。

「くっ………なんでこんなところに竜が！？」

「ま、まさか、こいつが街で頻繁に目撃されてた竜だってのか！？」

　眼前に佇む巨竜の姿を見て、フィールカとレオンは到底信じられない様子で声を上げる。

　すると、シエルが何かを思い出したように叫ぶ。

「………まずいわ！！　こいつ、上位魔級の炎竜《イグニートドラゴン》よ！！　なんでこんなところに飛竜種が………。―――とにかくこれはもう試験どころじゃないわ！！　急いで教官に助けを呼ばないと………」

　シエルの焦りの声を聞いて、フィールカはすぐに《想像接続術式《イマジン・コネクト》》を詠唱する。

　この下位術式は、連絡を取りたい相手の顔を脳裏に浮かべることで、その本人に直接通信を可能とする反乱兵必須の基本技だ。ただし、相手が半径五ルーロルメール（キロメートル）圏外にいる場合や想像接続術式を使用していない場合、術式の通信回線をインプット状態にしていない場合は接続不可能である。また通信中は、術式使用者本人の発した声しか聞こえない。

　青年は目をつむり、脳裏に教官の顔を浮かべて必死に呼びかける。

「ガルドフ先生、俺だ！　応答してくれ！！」

　すると、切迫したその声に反応し、脳内に返事が来る。

『………ん、どうした？　何やら洞窟内がやけに騒がしいようだが………。重々承知だとは思うが、想像接続術式を使用した時点で試験は即不合格………』

「それどころじゃない！　竜が現れたんだ！！」

『なっ………なんだと！？　なぜそんなところに竜が！？　………大至急そちらに向かうが、五分はかかる！　いいか、絶対に戦うんじゃないぞ！？　今すぐその場から離れるんだ、いいな！？』

　一方的にそう指示されて、ガルドフとの通信が切れる。

　どうにかして三人はこの場から脱出しようと考えたが、通ってきた道を竜が封鎖するように大きく跨《また》いでおり、いまは完全に退路が断たれている。

「戦わずに逃げるのは無理ってことか………」

　フィールカは諦めたように呟くと、後ろの二人に声をかける。

「先生が来るまでの間、どうにか俺たちだけでこの場は持ち堪《こた》えるんだ！」

「ああ、わかったぜ！」

「私が魔法で援護するから、二人はなるべく護りに専念して！」

　シエルの指示に、フィールカとレオンは小さく頷き返す。

「来るぞッ！！」

　フィールカの掛け声とともに、全員一斉に武器を構える。

「グルゥアアアアアアアッ！！」

　炎竜は洞窟が振動するほど凄まじく咆哮すると、青年たちに向かって右手の爪を勢いよく振り払ってくる。

　―――まずいッ！！

　フィールカが咄嗟《とっさ》に前に出て剣で防ぐが、あまりの威力に身体ごと弾き飛ばされると、そのまま横の岩壁に激しく叩きつけられる。

「フィールカ！！　―――くそっ、こうなりゃ脆《もろ》そうな箇所から先に潰してやる！！」

　そう言ってレオンは、炎竜の体の部位の中でも最も弱点でありそうな頭部にアサルトライフルの銃口を向ける。素早くトリガーを引くと銃弾が乾いた音とともに連射され、弾の何発かが見事に炎竜の頭に命中する。

「ギャアアアアアアアアアアッ！！」

「どうだ！　俺の弾の味はよ！！」

　激痛で暴れ狂いながら、炎竜は洞窟全体にけたたましい悲鳴を上げる。

　だが、それで完全に怒りに火が点いたのか、炎竜は過酷な自然界で鍛えられた強靭な顎門《あぎと》をおもむろに開くと、レオンに向けて火炎を吐き出してくる。

「噓……だろ………」

　迫ってくる業火に思考が停止したまま、咄嗟に動くことができない青年を火炎ブレスが襲う―――まさにその瞬間だった。

　突然、彼の手前の地面から突き出した一枚の氷面《ひも》鏡が、炎竜の吹き出す炎を遮《さえぎ》る。そのまま炎は放射状に拡散され、周囲の空間を熱く灼き焦がす。

　そしてレオンの隣には、シエルが懸命に地面に踏ん張りながら、敵の攻撃に耐え忍ぶ姿があった。

　《アイス・リフレクター》―――彼女が瞬時に発動した、水属性の中位魔法だった。

「た、助かったぜ………」

「もう！　あんまり無茶しないで！！」

　安堵から思わず腰を抜かしそうになる青年に、シエルは鼓舞するように叱責する。

　炎竜の吐き続ける猛炎をどうにか防ごうとするが、徐々に氷壁が水を流して溶け始める。

「くっ………！　まずい、火力が強すぎるわ！！」

　このままではじり貧の状況に、レオンが素早く考えを巡らして提案する。

「シエルちゃん！　もう一度俺が奴の頭を狙う！　だからそれまでの間だけ持ち堪えてくれ！」

「わかったわ！　でもこのままじゃ………！」

　ますます状況が悪化する一方と思われたその時だった。

「―――炎竜………こっちだ！！」

　いつの間にか炎竜の攻撃から立ち直ったフィールカが、両手で剣を後ろに引きながら炎竜に向かって駆け出していた。

　いま炎竜は二人を攻撃対象にしている。反撃するなら、この瞬間しかない。

　フィールカは一息に炎竜の横腹に肉薄すると、有らん限りの力で剣を振り下ろす。が、想像以上の体の頑丈さに、軽く剣が弾かれてしまう。

　―――くっ、なんて硬いんだ！！

　当然、今の攻撃で炎竜はフィールカに気づくと、火炎ブレスを止めて標的を彼に変更する。攻撃の反動で一瞬身体が硬直してしまった青年を見逃さず、右手の爪を高く振りかざす。

「―――っ！！」

　先ほどと同様に、炎竜は鋼のような爪を大きく薙ぎ払うと、咄嗟に剣でガードしたフィールカの身体ごと宙に弾き飛ばす。

　何度も地面に激しく叩き付けられてぐったり転がると、青年はもう立ち上がることはなかった。

「フィールカ！！」

　シエルは思わず悲痛の叫びを洩らすが、無惨に切り裂かれた彼の軍服からは大量の血が滲《にじ》み出ており、すでに意識を失っていた。

「くそおおおおおおおおッ！！」

　レオンは込み上げてきた怒りから自暴自棄になってしまい、アサルトライフルを炎竜の頭部に向かって再び連射する。

　しかし今度は炎竜がそれを予想していたのか、両翼を交差して盾のように展開すると、正確に飛んできた銃弾を全て撥《は》ね返して一発も通さない。

「なっ………さっきの攻撃でもう学習したって言うのかよ………！」

　悔しさのあまり、ぎりっと歯噛みする。

　すると、さらに今度は炎竜がお返しとばかりに、残った二人に勢いよく肉厚の尻尾を振り払ってくる。

「えっ………」

「あぶねえ、シエルちゃん！！」

　咄嗟にレオンは少女を突き飛ばして庇《かば》うが、代わりに尻尾に殴られた青年は岩壁に思いきり叩き付けられてしまう。

「レオン！！」

　シエルは急いで青年に駆け寄るが、フィールカと同じくすでに気を失っていた。

「このままじゃ………みんな殺されちゃう………」

　地面に両膝をついて悲痛の声を洩らすと、少女の瞳から一つ、また一つと涙がこぼれ落ちる。

　今ここで自分が炎竜を斃《たお》さなければ、間違いなく二人は死んでしまうだろう。こうして泣いている間にも、死の宣告が刻一刻と迫ってくる。

　だが、絶望の淵に追い詰められているのにもかかわらず、不思議と恐怖は感じなかった。

　それは多分―――炎竜を斃すための僅かな希望(、、)が、自分の中にはまだ残されていたからだろう。

　できることなら、この場からすぐにでも逃げたかった。こんな忌まわしい力を使うことなく。

　けれど、今はもう迷っている暇はない。シエルはさっと涙を拭い、覚悟を決めて立ち上がる。

　全身から水属性である水色の魔力《センス》の奔流を解き放つと、いま自分が発現できる最上位魔法を詠唱する。

「―――エターナル・ゼロ」

　そう静かに呟いた瞬間、少女の周りから氷の波動が雷撃の如く迸《ほとばし》る―――！