第十話 卒業試験２
洞窟に入り始めてから百ルメール（メートル）ほど歩いただろうか、ついに左右の岩壁がなくなると三人は広い空間に出る。そこはドーム型の大きな空間になっており、上を仰ぐと天井は巨大に丸く切り取られた孔から陽光が燦々《さんさん》と射し込んでいた。三人の眼前には細い岩肌の一本道が奥まで続いており、周囲はぶくぶくと煮え滾ったマグマで覆われている。
フィールカはごくりと息を呑んで、思わず足が竦みそうになる。
「ひえぇ………こんなところで落ちたら一巻の終わりだな………」
「もう。落ちないように気をつけなさいよね」
全く緊張感のない青年に、シエルは子供をたしなめるように注意する。
三人はつまずかないように足許を見ながら慎重に歩いていると、ふと何かに気づいたようにレオンが鋭く叫んだ。
「二人とも伏せろ！」
その瞬間、突然マグマの中から燃え盛る火球が勢いよく飛び出してくる。
フィールカとシエルは咄嗟に反応してその場に身を伏せると、ぎりぎりのところでそれを躱す。
どうにか直撃を免れた二人に、レオンは駆け寄って心配の声をかける。
「おい、二人とも大丈夫か！」
「ああ、なんとか………」
「それより今のは………」
三人は火球が飛んできたマグマのほうに視線を向ける。燃え盛る火の海の中から、紅い鱗を纏った体長二ルメールほどの二体の大トカゲが姿を現す。
この広大な世界の、どこにでもはびこる邪悪な存在―――《魔物》だ。
「下位魔級の《メラリザード》ね」
シエルが素っ気ない口調で言う。
魔導軍事学校が規定している魔物のレベルは、下位・中位・上位・最上位の全部で四つの段階に分かれている。中でも最上位魔級は都一つを簡単に消し去るほどの力があるらしく、実際のところ、世界に現存しているかも定かではない。だが、壁外に出ればどこにでもいる下位魔級ともなれば当然話は別だ。
少女はすぐさま二人に指示を出す。
「私とレオンが後衛で援護するから、フィールカはいつも通り前衛をお願い！」
「ああ、わかった！」
そう言われて、フィールカは魔法術式の詠唱を始める。
反乱軍に入隊するならば必ず身につけなければならない、この世界の戦闘において最も基本的な術式の一つ―――
「―――リベレイト・オーダー！」
高々に右手と声を上げると、手の中に実戦用装備の片手剣が水色の光の粒子を集めて生成されていく。
予め《記憶保管術式》に入れておいた必要な装備を出現させ、瞬時に自身の身体に装着を可能にする魔法―――《武装解放術式》だ。この術式は記憶保管から所持品の出し入れする時と同じ原理のＭＳであり、フィールカのようなＭＳが苦手な人間でも練習すれば簡単に発動することができる。
反乱軍には様々な《軍事職業》が存在するが、三人は学校の職業選択の授業で自分たちにもっとも適したものを選んだ。フィールカは小さい頃から剣を振るっていたので《戦士》、レオンは狩猟で猟銃を扱うことに慣れていたので《狙撃手》、シエルはとにかく魔法に長けていたので《魔導士》を選択した。
レオンとシエルも愛用のアサルトライフルとロッドをそれぞれ出現させると、まずフィールカが二体の火トカゲのうちの一体に斬り込む。
「うおおおおおおおッ！！」
正面から突っ込んできた青年に対してメラリザードは火球を飛ばしてくるが、彼は持ち前の優れた瞬発力で左右に素早く移動し、敵の攻撃を軽快に躱す。
火トカゲとの間合を一息に詰めると、フィールカは両手で剣を握り、そこに意識を集める。途端、紫色の淡い光が剣に帯び始め、その切っ先を地面に激しく擦りつけながら、下段から上段に向かって高速で振り上げる。
下位剣技―――《アッパーカット》。
これは、力の源であるＡＳを直接剣に込めた技だ。バネで弾かれたように振り上げた剣がメラリザードの体を捉えると、火トカゲはふわりと宙に舞い上がる。
そこへ透かさず、フィールカは後衛に指示を出す。
「レオン、今だ！」
おう！ と金髪の青年は力強く応えると、メラリザードにアサルトライフルの銃口を向けて標準を合わせる。上空に飛んだ火トカゲを正確に狙い―――。
「くらいやがれ！」
素早くトリガーを引くと同時に銃口が火を吹くと、連射された銃弾が見事にメラリザードの体を何発も貫き、そのまま火トカゲは灼熱の海に落ちていった。
それに続いてシエルも、もう一体の火トカゲに攻撃を仕掛ける。
「―――マイム・ブラスト」
滑らかな詠唱によって、敵の周辺に複数の丸い水の塊が生成される。
火属性であるメラリザードの弱点は水属性だ。シエルは頭上でロッドを一回転させて地面に突き立てると、複製された水の塊が合わさるように火トカゲの全身を包み込む。
すると直後、大きな爆発音とともにメラリザードは呆気なく破裂した。
先に戦闘を終えていたフィールカとレオンが、感心したようにその戦闘を見守っていると、黒髪の青年がふと気になった様子で少女に訊いた。
「なあシエル、前から気になってたんだけどさ、何属性まで引き出せるんだ？」
彼が訊いているのは、ＭＳに必ず付与されている七属性のことだ。
それに対して、シエルは怪訝そうに聞き返す。
「なんでそんなこと訊くのよ？ まあ誰にも言わないのなら、特別に教えてあげないこともないけど」
腕を組んで得意げな顔で言う。フィールカは興味津々に首を上下させて、誰にも言わないことを約束する。
はあ、とシエルは呆れたように大きく嘆息する。
「………六属性よ。残ってる闇属性だけは解放できるかまだ判らないけどね」
その答えを聞いて、フィールカは思わず驚きで声を上げそうになる。
七属性は全部で火・水・雷・地・風・光・闇の七つだ。火は水に相性が悪く、水は火に相性が良いといった、さっきの戦闘でシエルが水属性の魔法で火属性のメラリザードを斃したときと同じ理屈である。
しかし、光と闇の二種類に限っては例外で、互いに対極の位置にある属性だ。特殊な属性ゆえに引き出すことができればとても強力な武器になるが、上位階級の魔導士でさえ、光と闇の属性を習得できている人間はごく僅かだと言われている。
いくら彼女が天才と言えど、本来ならこれは有り得ない急成長だ。彼女ほどではないが、各地方から魔導軍事学校に集まった魔導士の秀才たちも四属性くらいまでならどうにか引き出せるらしい。フィールカとレオンはどれだけがんばっても二属性までしか引き出せなかったが。
だが、シエルはこの二年間で六属性の魔力を習得したともなれば、もはやそこらの魔導士のレベルを遥かに越えている―――。
「シエルって、やっぱり天才だったんだな。きっと教官たちもこれからの活躍に期待して―――」
「―――その言い方はやめて」
フィールカの発言が不満だったかのように、少女は溜め息をつく。
「私ね、そうやって誰かと区別されるのが嫌なのよ………。あの学校に入ってからすぐに天才扱いされて、ずっと皆の視線が辛くて………」
顔を俯けて、弱々しい声で呟く。
少女の本音を聞いて、フィールカはようやく気づいた。彼女は自分に魔導の才能があることに対してずっと苦悩していたのだ。天才であるが故に凡人と区別される………それは聞こえは良いかもしれないが、彼女にとって学校での生活は相当辛い日々だったに違いない。
すっかり落ち込む彼女の姿を見て、しかしフィールカは、反省の言葉よりも素直な感想が口をついた。
「………シエルは男子も女子からも、常に人気者だもんな」
「えっ？」
思いがけない言葉に、少女は驚いたように顔を上げる。
青年は虚空に視線を向けて、どこか遠いところを見ているかのように真剣な眼差しで言った。
「学校のどこを歩いても同級生や後輩たちに憧れられる存在。俺からしてみればすごく羨ましいことだけど、そんなふうにシエルが思い詰めてたなんて考えもしなかった、ホントにごめん。けどシエルが天才だろうとなんだろうと、俺は一度もお前を特別扱いしたことはないぜ？ ―――いつか俺が、お前を越えていくからな」
二年前に訓練場で逢った日のことを彷彿とさせるような唐突な宣言に、シエルはつい苦笑してしまう。
「もう………。あんたが私に一生勝てるわけないでしょ、バカ」
「なっ………そんなのまだわからないだろ！」
「わかるわよ、バカ」
「あっ、またバカって言ったな！」
「バカだからバカって言ったのよ」
言い返しの応酬にシエルはくすくす笑いながら、思わず不思議そうに訊いた。
「ねえ、フィールカは私のことをなんとも思わないの？ その………怖いとか………」
表情を昏くして口ごもる。それこそフィールカは訝しげに聞き返す。
「はあ？ なんで俺がお前のことを怖がらないといけないんだよ？」
「だって、その………。ううん、なんでもないわ」
二人がしばらく話していると、不意に洞窟の奥から呼び声が聞こえてくる。
「おーい、二人とも！ こっち来てみろよ！」
いつの間にか洞窟の奥に行っていたレオンに呼ばれる。
フィールカとシエルは話を終わらせて、二人もすぐに彼のもとに向かった。
