居場所
「あ、それ上申書出てるぞ、親から」
最低賃金除外認定で、対象労働者の親から上申書が出てくることは滅多にない。というか、初めてだった。
今月の方面会議で割り振られた仕事だった。
コンビニの従業員として知的障害者を雇うに当たり、最低賃金除外認定をしてほしい…管内の事業所だ。
コンビニと言っても、全国展開している大手ではなく、一度フランチャイズ契約をし、ノウハウを学んだから自分で経営することにした、地元密着コンビニだ。だから、夜10時には閉まる。大手スーパーより早く閉まるほどだから、“コンビニ”と言っていいのか分からないが、それくらいが健全だと思ったりもする。
上申書には、小さなメモがついていた。
「家から一人で通えるところにあって、雇ってもらえるだけでありがたいのです。どうかお認め下さい。 篠塚芙美子」
金額は、K県の最低賃金の3分の1にも満たなかった。最低賃金除外とはいえ、こんなに低い申請額というのは、あまり見たことがない。会議では、もう少し高い金額なら認定できるが…と付言があった。この金額じゃなきゃ雇えないよ、店長辺りから対象労働者の親が、言われたのかもしれない。しかし、これでは1カ月みっちり働いたとしても、とても自立した生活はできなかろうに…。
「つよしー!」
近所の、亨と同い年の青年が呼ばれているのだろう。呼んでいるのは、おそらく、友達か、そんなところだろう。亨は、友達からそんなふうに呼ばれたことがあっただろうか―。芙美子はそんなことを考えながら、洗濯物を取り込んでいた。あの子が名前を呼ばれるのは、ちゃんと話をするためじゃない。危ないことをしようとしているのを咎められるときくらいだ。だって、話をすることが出来ないんだもの…。話すことができない、というのは正確ではない。声が出ないわけではないし、まったく話をすることができないわけではない。ただ、話している間に、自分のいいたいことが自分でも分からなくなるのか、意味の通らない話になってしまうのだ、大抵の場合。
亨の発達の遅れを指摘されたのは、乳児健診の時だった。8か月になるのに、お座りが出来ない―。なんとなく、発達がゆっくりなのではないかと思うことが多かった。ベビーマッサージは、5カ月にもなると、くすぐったがって赤ちゃんは逃げていきます、無理強いしないように、なんて本には書いてあったが、亨は7カ月を過ぎても、ニコニコされるがままだった。8か月を過ぎてもハイハイができなかったり、お座りが出来ない、そんな様子をみて、わざわざ手紙でベビーマッサージをしてみては?と夫の従兄の嫁が知らせてきた。母親失格と言われた気がして、その手紙はすぐに捨ててしまった。
乳児健診先のかかりつけ小児科医から県の療育センターを紹介され、週1回、療育に通うようになった。それまで見たことのない形の車いすに座った子や、手足がとても細い子、寝たきりのままの子、療育センターにはさまざまな子どもがいた。大変そうだと思った。亨は軽くてよかったなんて思えない雰囲気があった。見た目には問題なさそうな亨に、明らかに不信の目を向ける親もいた。1年通い、2歳を過ぎたころ、亨が歩けるようになり、療育センターでの療育が終わった。経過を観察するために、市の保健センターで巡回療育を2~3か月に1度受けることになった。
「足に装具をつけるようじゃ、うちでは困ります」
市の保育園は、端から亨を受け入れるつもりはないようだった。
「ほかのお子さんが怪我をするかもしれませんからね」
後からその保育園には、足に装具をつけた園児がいると聞いた。園長の知り合いの子らしかった。
幸い、自宅から少し離れたところにある無認可保育園に入ることができた。同じ小学校に上がる子はいなさそうだったが、亨や自分の生活のためには、まず預け先を確保して働かねばならなかったので、ありがたかった。
小学校に上がるのにも一悶着あった。亨が楽しく通えるなら、普通校の特別支援級でも、特別支援学校でも、どちらでもよかった。市の様々な調査に応じたものの、こういう状況ならこう、というアドバイスはなく「決めるのはお母さんですよ」と丸投げされた。結局、近所の人やネットのQ&Aサイトに相談して、普通校の特別支援級に決めた。市にその意思を伝えたら、「こちらもそれがいいと判断していました」と言った。馬鹿にされたような気分だった。
中学は、知的障害のある子どもも受け入れてくれる私立を選んだ。傍から見ると、完全に特別支援学校適応と思える子が、亨と同じ学区の中学校に進学した。軽度の子がお世話係になっているそうだ。亨は軽度ではないけれど、落ち着いているので、放置される可能性が高い。その私立中学は、引きこもりなどで内申のない、学力的には問題のない子も来ていた。亨はずいぶん楽しく過ごしたようだ。高校はそのまま同系列に進んだ。
高校卒業後は、しばらく近所の作業所に通った。しかし、傍若無人な同僚の言うなりの亨はかなりストレスをため、行かないとは言わないものの、ずいぶん暗い顔で毎日を過ごすようになった。これではいけないと、作業所以外で亨が生きていく場所を探して奔走した。やっと見つけたのが近所のコンビニだった。コンビニと言っても夜10時には閉まる、小さなスーパーみたいな店だったが、店長が夫の同級生だった。お給料はいりません、お手伝いさせてください、と夫婦で何度も頭を下げた。じゃあ、最初はお母さんと一緒に来てくださいと言われ、勤め先の上司に渋い顔をされながらも休みをもらい、亨とコンビニに通った。真面目で穏やかな亨は、徐々に信頼してもらえるようになった。
「篠塚さん。亨君をきちんとした形で雇用したいと思う。」
店長から言われたのは、亨だけでコンビニに通うようになって1カ月ほどした時だった。亨ができることは、レジ以外の、商品の面出しやゴミ捨て、掃除などわずかだったが、忙しいと手が回らない処でもあり、確実にこなす亨がいることはずいぶん助けになるということだった。ただ、時給は満額出せないので、監督署の許可を取ろうと思っているという。難しいことは分からなかったが、亨がずっといられるのならと、店長に言われるまま上申書に署名した。これが認められなければ、亨が生きていく場所を失ってしまう。店長に頼んで私からの短いメモも一緒につけさせてもらった。
「とおるくーん!」
高校生アルバイトの女の子が亨を呼んだ。亨がにこやかに笑いながら、女の子にゆっくり近づいていく。ゴミ捨てをお願いされ、亨は大きなゴミ袋と格闘を始めた。