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74 深まりゆく秋 1 転校生 

いらしてくださり、ありがとうございます。


追記:後半を修正しました。(2018年4月5日)


「落としましたよ、これ」

 やわらかく落ち着いた声だった。

 独特のリズムがあり、言葉の区切りにリバーブがかかっている。 

 長い指で差し出されたのは、あかねの生徒手帳だった。


「あれっ、ポケットに入れといたはずなのに……。どうもありがとう、岸野きしのくん」

「どういたしまして、土屋茜つちやあかねさん」

 茜と同じく緑高校の夏服を着た少年は、おだやかにほほ笑み、茜を見つめた。


「下の名前まで、覚えてくれてるんだ」

「最初に覚えたよ。もう、クラス全員覚えたけどね」

「すごい記憶力だね。転校してきてまだ何日も経ってないのに」

「それほどでも」


 いつの間にか、少年は茜の横に並んで歩いていた。

 拓より背が高いんだなあ、と茜は思った。

 あごが細い卵形の顔は、美術展で見た古い大理石の彫刻みたいに肌がなめらかだった。そして顔色が少し悪い。

 ややかげりのある澄んだ目は、思慮深さと知性を茜に感じさせた。

 髪はストレートでサラサラ、夕日を反射してところどころ光っている。

 手も脚も長く、何か人間ではないような神々しさがあった。


「岸野くんの下の名前は、ええと……」

理緋人りひと。理科の理に、もうせん――赤いフェルトの敷物――の緋に、人」

「そうだ、理緋人くんだ。ごめんね、わたしのは覚えてくれてたのに」

「かまいやしないさ」


 学校に慣れたかなどの話をしていて会話がひと区切りついたときのこと。

「あの、もしよかったら今日の数学のノート、見せてもらえないかな」

 理緋人が茜の目を見つめてきた。

「前の学校では習っていないところだから、ついていけなくて」

「そっか。いいよ」

「ありがとう」


 理緋人は顔をくしゃくしゃにして笑った。

 急に子犬のような表情になった、と茜は思った。

 さっきまでは、その落ち着きっぷりから何十年も生きている人のような感じがしていたのに。


「次の数学の授業の前に返してくればいいから」

 茜がカバンからノートを取り出そうとすると、「待って」と理緋人がそれを制した。


「できれば、直に教えてほしいんだ。ずうずうしいお願いですまないけど」


 申し訳なさそうな顔をする理緋人の目を見ていると、茜は自分の中の何かが吸い込まれていくような心持ちになった。

 相手も自分も体の動きが止まり、空気の流れさえも止まってしまったみたいな変な感覚だった。


「今からってこと?」

「うん。……それか家に帰ってからビデオ通話か何かで」

「まあ、確かにその場で話しながらやった方がわかる場合もあるよね」

 茜は、あごに手を当てて辺りを見回した。


「じゃ、近くの図書館の一階に飲み食いしたりしゃべったりできるスペースがあるから、そこでやろう。ほかの子たちも使ってるところだよ」

 図書館は建物の二階から四階だ。

 他の公的な施設も同居しているので、一階ではさまざまな年齢の人々が、ジュースを飲んだり菓子パンを食べたりしながらいくつかのテーブルを囲んでいた。


「……で、今度はここの部分がどのくらいになるかを求めるわけ。微分してこれになるってことは、逆にこっちを積分すればこれになるのね。で、さっきの公式を使って数値を当てはめていくと、こういう式になって答えが出る、と」


「なるほど」

 茜の説明に、理緋人はうなずいたり、気がつかなかったとくやしそうな顔を見せたりした。


「あれ、茜ちゃん!」

 茜が顔を上げると、赤くつんつん尖った髪の少年と、濃い青のストレートロングヘアの背が高い少女という、見慣れた二人が。


 二階と一階を結ぶ階段を、長庭恭平(ながにわきょうへい)菖蒲院高華(しょうぶいんたかか)が連れ立って下りてくるところだった。


「誰そいつ」

 上がり眉をさらに上げ不審そうな顔をする恭平の腕を引っぱり、高華が前に出た。

「こ、こんなところでお会いするなんて珍しいですね、茜先輩」

 高華はシャープなまなじりを下げて笑った。


「ほんとに珍しいよねー」

 茜も口元がゆるむ。

「こちらは、二学期からクラスに転校してきた岸野理緋人くん。帰りに会って、今日の数学の授業がわからないって言うから説明してたの」


 それから茜は理緋人に視線を戻した。

「で、岸野くん、こちらは菖蒲院高華しょうぶいんたかかさんと長庭恭平ながにわきょうへいくん。部活が一緒なんだ。園芸部」


「よろしく」

 理緋人は静かにほほ笑み、二人を見た。

「よろしくお願いします」

 高華は、(にら)むような目で硬い声を出した。彼女はなおも理緋人を見つめ続けた。


「俺はこの学校に入る前から茜ちゃんと知り合いだけどさぁ、勉強教えてもらったことなんか一度もねーし! 転校してきたばっかで一緒に図書館? はぁ? 遠慮とかそーゆーのないわけ?」

 恭平は、理緋人を見上げながら肩をいからせ、胸を反らした。


「あなたが言ってもまったく説得力がありません!」

 高華が恭平のシャツの背を引っぱる。

 彼女と恭平を、理緋人は静かにほほ笑みながら眺めていた。

ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

ご来訪に心から感謝いたします。


恭平については前作「ある高校生華眼師こうこうせいかげんしの超凡な日常」の「秋 コスモス・ローズマリー」(35話登場)を、

高華については本作の「二度目の春が来て」(5話登場)をご参照いただければ幸いです。

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