71 夏から秋へ、そして 12 できること?
いらしてくださり、ありがとうございます。
拓はその場に固まった。
思いもよらぬことだった。
――おふくろの考えることなんて、 皆まるわかりだ。
いつの間に、俺はそう思うようになっていたのだろう。
あんなに喜怒哀楽の感情がわかりやすく表に出る人間もいない、と信じていたおふくろが、俺に悟られないように本心を隠していたなんて。
じいちゃんの言葉を聞いてもなお、すぐには納得できない。
くそっ。――気づいていれば。――見抜いていれば。
そんな言葉ばかりが、拓の頭に浮かぶのだった。
「どうした、ぼけっとして」
「お、おう」
重蔵の言葉で、拓は我に返った。が、次の言葉が出ない。
「しょげなくてもいい」
「けど、おふくろが向こうで危ねえ目に遭ってるってのに、どうすりゃいいか全然思いつかねえ。くっ、……なんとかして向こうに行けねえのかよ。気絶すりゃいいのか!?」
「あせるな。美花子の気持ちを汲んでやれ」
重蔵の手が、拓の肩に置かれた。皺があり、厚みがあり、温かい。
拓は胸がざわっとした。目の奥が熱く、痛くなった。
「それになあ、美花子だって、何も自分が犠牲になることだけを考えとったわけじゃないかもしれん。まずは、こっちで自由に動けるからこそできることを考えろ」
「自由に動けるからこそ、できること!?」
「考える時間はあるぞ。なんだかんだ言っても、お前は花の精から見て使いでがある人間だ。じっとしておれば、向こうさんからやってくるだろ」
重蔵は拓の肩から手を離すと、枕元のリモコンを使って静かにベッドを起こした。そして、ベッドをまたぐように設えられたテーブルからコップを取り、ほうじ茶をすすった。
「んなのんびりしてられっかよ!」
声の大きさを抑えても、拓はつい、語気が荒くなってしまう。
「さほど心配ないと思うがなあ」
重蔵はまた茶に口をつけ、ゆっくりと飲みこんだ。
「この世界で物理的な力を使えば基本、花の精はひどく消耗する。美花子の意識を失わせて中身を向こうに連れていくのもしかり。かなり弱っておるはずじゃ。回復するのには、それ相応の時間がかかるだろう」
「けど、一人が弱ったって、ほかのやつがいるだろ? 花は種類もたくさんあるんだし」
悟りを開いた僧みたいに落ち着いている重蔵に向かって、拓は食ってかかった。
「いや、意外と少人数で回してるようだぞ、人間との関係をどうするかについては。近づかず、かかわらずで遠巻きに見ている者も多い。向こうに行ってよくわかったわ」
「そう……なのか?」
拓は目をしばたたかせた。
「ああ。たいがいの者は、植物の『本体』が生き延びかつ子孫を残すことや、生存範囲を拡大することに夢中だった。まあ、全部を見たわけではないがな」
「だからこの病院、花の精が少ないっつうか、いねえのか」
「それはまた、ちと異なる。生花禁止なんじゃよ。見舞いの花も一切だめだ」
そんなことがあるのか。びっくりするような話ばかりだ。拓は眉根に力を込めた。
「なんでまた」
「花が持っている細菌やウィルスが、病人や高齢者に悪さをすることがあるらしい。元気な者にはなんでもないものでもだ」
重蔵は片目をしかめ、肩を落とした。
「へえ」
「病人や高齢者は、体力や免疫力が低下しているからな。まあ、よほどの用事でもなければ、花の精も本体のない所に来ないだろう。サンゴジュなんかの病院周りの木々は、わしらと花の精との関係には我関せずのようじゃしな」
窓の外を見やったあと、重蔵はじっと拓を見つめた。
「木って、なんか俺たちのことを見守ってくれそうなイメージだけどな」
と口にしてすぐ、拓の頭を、ローズマリーの精ローザの姿がよぎった。金髪で水色の服を着たあどけない少女だ。
同じ木、っつっても、確かにあいつは「見守ってくれる」っつう感じじゃねえもんな。
「にしても、花の精に聞かせたくねえ話をするにはいい環境かもしんねーけど、あいつらは、俺らを見れば俺らの過去がわかるんだよなあ。ってことは、秘密の作戦会議は難しいっつうことか」
頭を冷やすため、拓は、買い物を名目に下の階に降りた。
そのときだ。
売店の向こうの廊下に覚えのある後ろ姿が見えた。
距離があるのと暗いのとでよくわからないところもあるが、ゆるくふわっとした茶髪のボブに、赤っぽい花がついたショート丈ワンピースを着ている若い女だ。
――リッピア!?
拓が胸のうちで呼びかけると、彼女の肩が微かに動いた気がした。けれども彼女は、振り返ることなくまっすぐ歩いていき、やがて角を曲がってしまった。
人違いか。あいつはもう、いねえんだもんな。
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