69 夏から秋へ、そして 10 目覚める者あれば、眠る(?)者あり
いらしてくださり、ありがとうございます。
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長いあいだ意識不明だった水原拓の祖父、重蔵が目を覚ましたという喜びもつかの間、今度は拓の母親である美花子が、重蔵を見舞ったあと意識を失ってしまった。
拓は、美花子に顔を近づけてみた。
「母さん」あるいは「お袋」と耳元で何度か呼びかけたけれど、美花子が拓の声に反応する気配はない。
頼む。なんか答えてくれ。
いつかの日曜日、昼過ぎに美花子を起こしにいったときの
「……うにゃむにゃ……塩カルビ増量って、そちらのご事情ですよね……。たれ……やはり、たれはゆずれま……」
という寝言みたいな、どんな夢見てんだよ! 的なことでもかまわない。
肩に手を当ててそっと揺すってみた。
けれどもやはり、美花子は眠っていた。
彼女の体には、たくさんのチューブがつながっている。
腕の点滴、胸の辺りから何本も伸びている赤や青の管。
ベッドサイドの生体情報モニタには、心拍数や心電図が映し出されている。
「あのう、もうそのくらいで」
山倉に静かに声をかけられ、拓ははっと美花子から手を離した。
「すみません」
電話の声だけではわからなかったけれど、見覚えのある看護師だった。
祖父の重蔵を見舞ったときに何度か会っていたのかもしれない。
「いや。こっちこそ、は……母を、よろしくお願いします。ええと、祖父も」
拓は頭を下げようとした。が、首がひどくこったみたいに硬くなり、顔も斜め下を向いてしまった。
電話連絡の礼も言わなければ、と思ったけれど、うまく言葉が出てこない。
「かしこまりました。お母さま……水原さんもきっと、高天原さんのように目を覚まされると思いますよ。身体的には、今のところ特に問題ないですし」
頬骨が高くふくよかな山倉は、しっかりと拓の目を見ながら言った。
――わたしたちもちゃんと見ているから大丈夫ですよ。
口には出さないけれど、彼女の表情はそう語っているように拓には思えた。
そこへ若い医師が、あわただしく病室にやってきた。
彼女から血液やMRIの検査結果のコピーを受け取り説明を受けたあと、拓は祖父である高天原重蔵の病室に向かった。
「すまん」
拓の顔を見るなり、重蔵は微かに頭を下げた。
「美花子がこんなことになったのは、わしのせいだ」
「じいちゃんのせいじゃねえだろ。それより、完全に平らにしてなくていいのか? ベッド」
「この方が楽でな」
上部を少しだけ起こしたベッドに寝ている重蔵の体にも、チューブが数本、つながっている。
首、肩、腕などの肉はすっかり落ち、骨や筋が浮かび上がっている。
ベッドサイドの生体情報モニタが示す心拍数の数字は、美花子のそれより小さい。
「いや、わしのせいなんじゃよ。……見舞いに来なければ、美花子は意識を失わなかった。本当に、すまん」
「もう謝るな。人の心配してる暇があったら、ちゃんと寝て早く回復しろ」
じいちゃんだって意識が戻ったばかりじゃねーか。
拓は胸のうちでひとりごちた。
理由もわからずに謝られても、困る。
訊きたいことは山ほどある。けど、それでじいちゃんがまた具合が悪くなったら元も子もない。
「フッ……ちょっと見ぬ間に、でかくなったな、拓」
「ちょっとじゃねえし。何年も経てばそりゃ、高校生にもなるって」
「そうだったな。本当に、背も態度もでかくなりおって」
重蔵は拓をじっと見つめた。口元がゆるみかけ、また引き締まる。
すっかり痩せてしまったとはいえ、元気な頃と変わらぬ重蔵の鋭い眼光に、拓は体から力が抜けていくのを感じた。
自分はずっと気持ちが張りつめていたのだ、と初めて気づいた。
「美花子は?」
「まだ眠ってる。血液やMRIの検査結果は、特に異常ないそうだ」
「そうか。眠っているように見えるだろ? だが本当のところ、寝ているとはいえぬかもしれん」
重蔵は、じっと拓を見つめた。
「わしが思うに、あいつは向こうで戦っているはずだ」
「戦う!? いったい何とだよ!」
「人間を、完全に植物に隷属させようとする者たちとじゃ」
重蔵の、低く沈んだ声が響いた。
落ちくぼんだ重蔵の目は、奥の方に得体の知れないものを秘め、いっそう強く光っている。
拓の背筋を寒気が走り抜けた。
「それって花の精のことなのか?」
「ああ。……いや、すべての花の精というわけではないがな」
「なんでだよ!」
拓は小声で叫んだ。
「おふくろには華眼師の力はないんだろ? じゃ、どうしてあいつがじいちゃんと入れ替わりで意識を失うんだ」
こんなふうに矢継ぎ早に訊いてはいけない。
またじいちゃんの具合が悪くなったら元も子もねえって、さっき思ったばっかじゃねえか。
拓の頭の中で、もう一人の自分が話しかけてきた。
それでも頭に血が上り、意識がぐるぐるしてくる。
なぜだ? 戦うって、なんなんだ。
唇の内側の肉を嚙んでみたが、言葉は止まりそうにない。
「まあ、立ち話もなんだ。座ってくれ」
重蔵は苦しそうな表情で、病室の隅にあるパイプ椅子に視線を向けた。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ご来訪に心から感謝いたします。




