68 夏から秋へ、そして 9 さらなる変化
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「わたしには華眼師の力がないでしょ? だから、華眼師としてのおじいちゃんの苦労はわかってあげられなかった」
明るい美花子の声の背後でサイレンが鳴り、また遠ざかっていく。
「話を聞くことはできても、それだけ。おじいちゃんが何を悩んだり苦しんだりしているのか、どんなに考えても、やっぱり届かない、って思うことがけっこうあったの」
「……」
「けど、拓は違う。花の精が見えるあなたには、おじいちゃんの言葉はより切実なものとして響くんじゃないかな」
「切実」
と拓は繰り返した。
「花の精が見える者同士だからこそ、すぐに実感としてあーわかるわかる! ってなるところもあるような気がするの。あなたの悩みは、昔おじいちゃんが悩んでいたことかもしれないし、おじいちゃんはおじいちゃんで、自分が持ってる知識や技術を伝えられたら、喜ぶんじゃないかしら。勝手な想像だけどね」
「んなもんか?」
「まあ、そこはおじいちゃんと話してみればわかるよ。じゃ、信号変わるから切るねー!」
「ちょ!」
電話は切れてしまった。
確かに、重蔵に訊きたいことはいろいろあった。
じいちゃんの話によると、華眼師は、花の精と話すことで農作物の出来不出来や天候についての情報などを得、それを村人たちに伝えて状況の改善などに力を尽くしていた。
けれども、ほかにもまだ仕事があるようだった。それっていったいなんなのか?
それから。
拓は溜め息をついた。
チューリップの精リッピアは、誰かに――上司っぽいやつに、俺のエネルギーを奪うよう命令されていたみたいだった。
その上司とやらが誰だったのかは、いまだにわかっていない。けど、じいちゃんに訊けば、わかるんだろうか。
――答えの出ない問いって、するだけ時間の無駄だよねぇ。
拓の脳内で、リッピアがゆるくふわっとした茶髪ボブを揺らし、首を傾けた。
白い縁取りがある赤い花と、ウェイビーで長く尖った葉とを髣髴とさせるショート丈ワンピース。
長い睫毛と吸い込まれそうな大きな目。
湯上がりかと思う頬。
程よくふくらんだ血色がいい唇。
リッピアがいなくなったことがいまだに信じられないほど、脳裏に浮かぶ彼女の姿はくっきりしていた。
「ほんと!? よかったね!」
拓が電話をかけると、茜は声を弾ませた。美花子との通話が終わって間もなくのことだ。
「拓は行かなくていいの? 病院」
「ああ。俺は明日行く」
「なんだったら、その、わたしの方は延期してもらってもかまわないよ?」
携帯端末越しに、茜の声が少し弱々しくなった。
「問題ない。お袋もまたいつ急に忙しくなるかわかんねえ。お袋から話を聞けるときに聞いとけよ。とにかく、茜は心配しなくていい」
「そうぉ? ありがとう 」
茜は、はにかんだようなやわらかい調子で言った。そして、「昨日のことも、ありがとね」と付け加えた。
「何が」
「……ファミレスでいろいろ、気を遣ってくれたでしょ」
「別に、なんもしてねーよ」
ぶっきらぼうに答えつつ、拓は心臓が速く打つのを感じた。
エアコンをかけていてもすべてのものが溶けそうな暑さの中、拓は凍らせた保冷剤を冷蔵庫の冷凍室から出した。
そしてそれを、薄い手拭いでくるんで首に巻いたのだった。
携帯端末の着信音で、拓ははっと顔を上げた。
いつの間にか寝てしまったらしい。参考書に突っ伏していたため、額がじんじんする。
外はすっかり暗くなっていた。
「垣根病院で看護師をしております山倉と申しますが、水原美花子さんのお宅でいらっしゃいますか?」
母親と同じくらいかもう少し年上らしき女性だった。
家族かと尋ねられたので、拓は息子だと答えた。
「実は、先ほど水原さんがこちらで倒れて、意識不明になられてるんです」
「おふくろが!?」
拓は大声を上げ、椅子から立ち上がった。携帯端末を握りしめる。
「どういうことっすか! 命は、命は大丈夫なんっすか?」
「高天原重蔵さんのお見舞いにいらして、話をされているうちに、急に意識を失ったようで。今のところ命に別状はありません。ですが」
山倉は声のトーンを落とした。
「原因がわからないんです。心臓にも脳にも特段の異常はなく、多少貧血気味とはいえほかにまだ何も見つかっていません。誠に言いにくいのですが、高天原さんのときと同じなんですよ」
「わかった。すぐ行きます。祖父は、高天原重蔵は大丈夫ですか」
「冷静にふるまっておられます。でも、目覚めたばかりでこんなことになって、かなりショックは受けておられるのではないかと」
病室の美花子は、安らかな顔をして眠っていた。顔色はあまりよくない。
唾を飲み込みながら近寄り、その胸が静かに上下しているのを見た拓は、「母さん」と呟いた。
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