64 夏から秋へ、そして 5 抱きしめたあとのこと
いらしてくださり、ありがとうございます。
一応、ドア前方の植栽のおかげで外からは二人の様子は見えにくくなっている。とはいえ、美花子が出てくる可能性もある。
が、そんなことはどうでもよかった。
茜の体は、見た目よりもずっと細かった。……胸を除いて。
マスクメロン並みに大きくその果肉よりやわらかく、熟したモモやマンゴーよりも弾力がある乳房。それが、薄いTシャツ越しに自分の体に密着している。
同時に、フルーティないい匂いが茜の髪や体から発せられている。多少人工的だが、一年と少し前にかがされた香水のように厭なにおいではまったくなかった。
そして自分よりも高い体温が胸や腹から伝わってくる。
拓は頭がくらくらしてきた。
「ちょ、……拓!?」
茜は拓の腕の中でもがいた。
拓はますます腕に力を込めた。
「やめて」
拓の頭の中で、心臓の鼓動がズクンズクンと鳴る。自分のものなのか茜のものなのかわからない。
次の瞬間。
「いてっ!」
拓は股間を押さえてよろけた。
すでに硬く大きくなっていた分、通常の何倍もの痛みが脳天まで突き抜けた。
にじむ涙越しに、茜が眉根に皺を寄せ、蹴り上げた脚を地上に下ろしているのが見える。
「やめてって言ったでしょ! こんなの厭だ」
赤い顔で拳を握りしめる茜を見て、拓ははっとした。
「すまない。お、お前のために何かしてやりたかった。けど、どうしたらいいかわかんねえ」
寺の鐘の音が長く響き続けるように、拓の急所の痛みもまだ尾を引いている。拓は、それを顔に出さぬようにした。
茜の大きな目がさらに押し広げられた。同時に彼女が息を吸う短い音が拓に聞こえた。
「だとしてもこれじゃない! 少なくとも今は、こういうの望んでないよわたし!」
無声音に近い声とともに手足をばたつかせる茜の顔は、ますます赤くなった。
彼女は静かに息を吐き出し、拓をまっすぐ見つめた。拳は開かれていた。
「でも、わたしのために何かしてやりたいっていうのは、ありがと」
さらに小さな声で茜は付け加え、横を向いた。
「じゃ、何すりゃいいんだよ?」
拓も茜と反対の方に顔を向け、横目で彼女を見た。冷静になってくると、まともに茜と顔を合わせられない。
「黙って、そばにいてくれるだけでいいの。で、離れてるとき、ときどきわたしのことを思い出して。両親と無事に話せてるかな、とか。そしたら、ずいぶん心強いから」
茜が自分の顔を再び見上げたので、拓も正面を向いた。
けっこう注文多いよな、と拓は思った。
めんどくせえ。
けれども「わかった」とだけ言った。
「ところで……大丈夫? 蹴っちゃってごめん」
茜はどこを見ていいかわからないといった様子で、肩をすくめた。
「問題ない。俺の方こそ悪かった」
さっきより弱まったとはいえ、実際のところ、痛みはまだ続いている。が、拓は今度も顔に出さぬようにした。
「おやすみ」
「お、おう。健闘を祈る」
片手を挙げて下ろすという返事をし、一度も振り返らず、茜は家に帰っていった。
茜がドアを閉めてからも、しばらく拓は同じ場所に突っ立っていた。
幸い、美花子は風呂に入っていたため、顔を合わせずに済んだ。
けれども、珍しく階段で躓いてしまった。
拓は自分の部屋に戻ると電気を消し、カーテンを開けて茜の家を見た。
二階は遮光カーテンの上の方が黄色っぽく光っている。
一階は真っ暗だ。
さすがに今夜は話さないのかもしれない。
拓はベッドに身を投げ出した。
茜を抱きしめたときのやわらかい胸の感触や髪の匂いが、やけにリアルに思い出された。
翌日の午後、拓は数駅先のファミレスを訪れた。
SNSを通じて、茜から呼び出しを受けたのだ。
派手な色の屋根を持つ店は、いわゆる昼飯どきを過ぎても、友達同士で来ているらしき若者、子連れ母親グループ、一人または数人組の高齢者など、さまざまな年齢層でにぎわっていた。
高校とは電車の駅が反対方向のせいもあるのか、ぱっと見、知った顔はいなかった。
入口から見えない奥の席に、茜はもう来ていた。
元気そう、とまではいえない。が、目が合ったとき茜が笑顔になったので、拓も少し緊張がゆるんだ。
間仕切りで、隣りのテーブルは見えない。
「話せた……ゕ?」
拓は喉がカラカラだった。どこぞのスポーツ新聞の見出しみたいに「か」が小さくなってしまった。
「うん」
茜は小さく頷くと、二つある大判のメニューの一つを拓に渡した。
「びっくりしちゃったよ。拓のお母さん――美花子さんとうちのお父さんお母さん――あ、今の両親ね――高校の同級生だったの。知ってた?」
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