63 夏から秋へ、そして 4 尋(たず)ねる
いらしてくださり、ありがとうございます。
「どうして、そんなこと訊くのかしら?」
穏やかな口調で、美花子は首をかしげた。口角が少しだけ上がっている。
「んなことどうでもいいだろ! ちょっと疑問に思っただけだっつうの」
拓は唾を飲み込んだ。
「ふうん」
美花子は干しアンズを口に放り込んだ。
拓は顔を彼女に向けたまま、横目で茜を見た。
茜はうつむき、しきりに瞬きしている。テーブルの下で、短パンの裾をさらにきつく握りしめている。
突如、茜は顔を上げた。
「わ……わたしが偶然、聞いちゃったんです! 両親が話してるのを」
美花子は、はっとしたように眉を持ち上げ、目を瞠った。
彼女はティッシュを口に当て、アンズを飲み下した。ずっと、心配そうに茜を見つめている。
「わたしが両親の実の子供じゃないことを、そろそろ話さなくちゃいけない、って話になって。……母が、『茜にはほんとのことを知る権利がある』って言ったら、父が、『みかこさんにも相談すべきじゃないか』って言ったんです」
下を向きかけていた茜は、意を決したように再び顔を上げた。
彼女の大きな目は、強い光を発している。
「『みかこ』って、たぶん、おばさんのことですよね? どういうことなのか、教えてください」
茜と美花子は、黙って見つめ合った。
茜は閉じた唇を歪めている。
斜め上・横・下、と視線はせわしなく動き、呼吸するたびに上下しながら、肩が震えている。
美花子は、泣いている我が子を慰める母親みたいなまなざしを、ずっと茜に向けている。
「そうだったの」
先に口を開いたのは、美花子だった。
さっきまでに比べて、しっとりした響きが声に加わっている。
「つらかったね、茜ちゃん」
美花子の目は潤んでいた。
茜は体をびくっとさせた。肩が落ち、うつむいた彼女の目から涙がテーブルに零れる。
美花子は立ち上がって茜の後ろに行くと、背後から彼女をぎゅっと抱きしめた。
途端に茜は、声を上げて泣き出した。
拓は、その光景を黙って眺め、茜にティッシュを差し出すことしかできなかった。心臓が速く打ち、しきりに瞬きせずにいられない。
「わたしの知ってることは、全部話すわ」
茜の耳元で美花子は、子守歌でも歌うようにゆっくりと呟いた。
それから、茜の顔を下から覗き込むようにして、彼女と視線を合わせた。
「けど、できることなら、やっぱり先に茜ちゃんのお母さんとお父さん――和恵さんと陽一郎さんから話を聞いてほしいの。あなたをここまで育てたのは、二人なんだし」
美花子の目も潤み、その手は、茜の両肩近くをしっかり掴んでいる。
自分を叱るときよりも真剣で、深い思いのこもったような母親のまなざしを、拓は初めて見た気がした。
「そのあと、ってことで、いいかな?」
「……はい」
茜は、ティッシュと手の甲で涙をぬぐいながら、頷いた。
そのあと、思いつめたような表情で目を伏せた。
しばらくすると茜は、天井に視線をやり、ふらつきながら立ち上がった。
「今日は帰ります」
「大丈夫? もうちょっと落ち着くまで、ここにいたら? うちは、いくらでもいてくれていいのよ?」
「帰ります」
涙でくしゃくしゃになり、鼻の辺りが赤くなった顔で、茜は唇の端を上げてみせたのだった。
拓は茜のあとを追った。
そして玄関で、何枚か重なったティッシュペーパーを、無理やり茜に握らせた。
「もうちっと顔ふけよ」
「大丈夫」
「ぜんぜん、大丈夫じゃねえだろ」
拓は茜の腕を掴み、彼女の前に回った。
そして、茜の涙とその痕を、まだ手に残っていたティッシュで押さえた。
むくれた様子ながらも、茜はされるがままになっている。
続いて、鼻水も拓はティッシュで拭き取った。
「あ、拓! さっきの質問だけど、茜ちゃんは、あんたのきょうだいじゃないわよ」
ダイニングキッチンから、美花子の声が聞こえてきた。彼女はいつも玄関まで茜を見送るのに、今日は出てこない。
拓は短い答えを返した。
「これで今夜、少しは眠れるかも」
美花子には聞こえそうにない声とともに、茜は小さく微笑んだ。
けれどもその目は笑っていない。
茜に続いて、拓も家を出た。茜の涙と鼻水をぬぐったティッシュは、ハーフパンツのポケットに押し込んだ。
「大丈夫か?」
自分の家の前で、拓はもういちど言った。
茜はうん、と頷いた。
が、その黒目は不安げに揺れ動いている。
拓は、いきなり茜の体を引き寄せ、抱きしめた。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ご来訪に心から感謝いたします。
よろしければまたお越しください。




