61 夏から秋へ、そして 2 本当の母?
いらしてくださり、ありがとうございます。
前回から不定期連載になっております。
「わかんない。でも、お母さんの知り合いでほかに『みかこ』って人、聞いたことないし」
白目がピンクがかった目で、茜は拓を見つめたのだった。
睫毛も目の縁も濡れ、ている。
「百歩ゆずって仮におふくろだとして、なんでそこにおふくろが出てくるんだ?」
拓は頭を抱えた。
「例えば……わたしの本当のお母さんは美花子さんとか」
茜がぼそっと呟く。
「いやいやいや! ねーだろ!」
拓は手をほどいて立ち上がった。椅子が思ったより大きな音を立てた。
「親父と結婚してるのにおふくろが茜の親父さんと付き合ってたとか、あり得ねー。第一、お前と俺は誕生日、一年も離れてねーんだから、その……物理的にも無理だろ。数か月で二人産むとか」
拓はいつになく饒舌になった。
乱暴に冷凍庫の扉を開く。
氷を持ってくるとカップに山盛りに入れ、再び椅子に掛けた。
握りしめたカップがソーサーに当たり、カタカタカタ、と小刻みに音を立てる。
「訊くけど、拓は本当に美花子さんの子供? 美花子さんから産まれた証拠、ある?」
茜は刺すような視線を拓に投げかけた。長い髪の先を、指でしきりとしごいている。
「う、産まれたばかりの俺を抱いてる写真があるし、へその緒だって見せてもらった。桐の箱に入って干からびてるやつ」
「そんなのいくらでも加工できそう」
茜は、あ、枝毛、と呟きながら髪の毛の先をブチッと切った。
「へその緒とかどうやって作るんだよ」
「知らない。けど、ドラマや映画に出てくる傷の特殊メイクってかなりリアルでしょ? だから作れないことはないと思う、ゴムとかで」
拓はすぐには反論できない。
美花子の、能天気で明るい笑顔が頭に浮かんだ。拓を叱り飛ばすときの額に青筋を立てた表情、ビールを飲み過ぎ、にやけながら食卓と一体化しそうになっている姿なども次々に脳内に現れる。
母親と血がつながっていないのではないか、とは思ったことがない。が、言われてみると顔もぜんぜん似ていない。
拓は、氷をたくさん口に含み、勢いよく噛んで飲み込んだ。
頭がキーンとする。
DNA鑑定があるじゃねえか。ぼんやりと思った。けれども、口には出せなかった。
「お母さんには自分が産んだ子かわかっても、子供にはわからないんだよ。少なくともすぐには」
茜は口を尖らせたあと、溜め息をついた。
それから拓を見て、小さく笑った。
「そんなにしょげないでよ。まあ、美花子さんがうちのお父さんの愛人だったら、十年以上、向かいに住んでうちのお母さんと――お母さんと思ってる人と――仲よくしたりはしないと思うよ?」
「お、おう」
「わたしが『本当のお母さん』って言ったのは、『卵子提供した人』って意味。拓が面白いからちょっといじめてみたけど」
茜は肩をすくめ、手を口に当てて笑った。
いつもだったら、なんだよいじめるって、と突っ込んだだろう。けれども、拓はそんな気にならなかった。
「卵子……提供?」
「何らかの事情からうちの親が美花子さんに卵子を提供してもらった。で、うちのお父さんの精子で受精させ、受精卵としてのわたしができた。で、それをうちのお母さんのお腹に戻して、臨月がきたらわたしが産まれたんじゃないか、って」
「卵子提供って、ニュースでは見たことあるが」
拓はつむじの辺りをくしゃくしゃと手で掻いた。
「お前のおふくろさん、お前を産んだの二十歳かそこらだろ? 卵子提供って、もっと年上の――四十代とか――そんで子供ができねえ人のためのもんじゃねえのか」
「とは限らないよ。若くても、癌なんかの重い病気で、自分の卵子では子供ができない、あるいはできにくいってことはあるわけだし」
冷静な調子で説明する茜は、拓にはずいぶん大人びて見えた。
対して自分は、さっきから急に血流が増したみたいに、心臓の鼓動を体全体で感じ、頭がぐるぐるしている。
かろうじて次の言葉が口から出た。
「だが、弟が産まれている」
茜ははっとしたように拓を見つめた。けれどもすぐに目を逸らした。
「あの子も同じことなのかも」
ゼリーよりもみっしりした沈黙が、二人の間に流れる。
息苦しい、と拓が思ったそのとき。
「ただいまぁ!」
上機嫌な声が玄関に響いた。
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