47 二度目の春が来て 47 高華の追及
再び寝る準備をした拓は、尿意をもよおし廊下に出た。
ところどころ非常灯が点いているとはいえ、暗く長い廊下は不気味だ。
拓は迷わず、電気のスイッチを押した。蛍光灯がありがたいなどと思ったのは、生まれて初めてだった。
「待ってください」
高華が追ってきた。
汚いものを見るような目で、彼女は拓を睨みつける。
「泣かせた女に化けて出られるなんて、どんだけ悪いことをしたんですか?」
「違う! なんだよそれ。俺の人生を捏造すんな」
我ながらかなり悪い目つきになっているに違いない。そう思いながら、拓は眉根に力を込めた。
「じゃ、いったいあれはなんなのです? 生き霊? しかもわたしたちよりも若い少女だし! きちんと説明してください!」
高華は、仁王立ちになって拓の行く手を阻む。
青く長い髪は、ギリシャ神話のメドゥーサよろしく、今にも無数の蛇になって鎌首をもたげそうだ。
拓は溜め息をついた。
「あれは、花の――チューリップの精だ」
「はぁあ!?」
大きな声を上げた高華は、口を押さえて辺りを見回した。
「ふざけてるんですか?」
だいぶ声が小さくなった。
「まじめな話だ。ほかのやつには見えねえ花の本質とやらがお前に見えるように、俺には花の精が――そのエリアで咲く、同じ種類の花を見守ってるやつが見える」
ぶっ、と高華は吹き出した。ぷっ、ではない。ぶっ、だ。
「いや、花の精って。ないない。あり得ません」
彼女は、腹に手を当て体を二つに折った。体を震わせて笑っている。
「人間の残留思念や物理的痕跡が、幽霊や生き霊の形をとって現れることはあり得るでしょう。でも、花ですよ? 花! 花が人間みたいな意識や体を持ち、花の精として同じ花を見守る? ぶっ。その認識自体ナンセンスですし、花自体の姿ならともかく、人型なんて。ぐぶぶっ!!」
「なんでだよ! お前自身、見たじゃねーか実際。人型があり得ねーとか決めつけるな!」
どういう思考回路をしてんだ、この女は。
自分の考えの枠の中だけで、すべての物事を処理しようとしている。
拓はパンツのポケットの中で拳を握りしめた。
とはいえ、拓はうまく反論することができない。言葉の断片はいろいろ頭に浮かぶ。けれども、実際に口に出すとしどろもどろになってしまうのだ。
一方、高華は、まさに「立て板に水」という調子で持論を展開する。内容には、花の精なんて、これほど拓に似合わぬ言葉があるだろうかということも含まれていた。
茜や薫のように、拓の体に触れても花の精の姿が見えず、かろうじて声だけ聞こえる人間もいる。
だが高華は、少なくともチューリップの精の――白い縁取りがある赤い花と、ウェイビーで長く尖った葉とを髣髴とさせるショート丈ワンピースをまとったリッピアの姿を見ている。
なのに、それを花の精だとは認めようとしないのだ。
高華も、そして彼女を説得できない自分も、拓はもどかしかった。
なんでだよ、という言葉のリフレインが脳裏に広がる。
「ほんとだよ」
小さめな、明るくて凛とした声が二人を包み込んだ。
拓が振り向くと、茜がすぐそこに立っていた。
ポニーテールをほどき、髪を下ろした姿を見るのは拓は久しぶりだった。
何か新鮮だ。髪は高華よりは短いが、思ったよりは長い。
「茜先輩!」
寝食をともにしたせいなのかどうか、高華の呼び方が変わっている。
「信じられないと思うけど、拓……あ、水原君が言ってることは本当なの」
驚きの声を上げた高華は、眦のすっとした目を見開いたまま、茜を見つめる。
「茜先輩は、見たんですか?」
「残念ながら、わたしには見えないよ」
茜は、寂しげに笑いながら首を横に振った。
「でもずっと前、拓の体にさわってるときに、パンジー・ビオラの精の人の声が聞こえたの。実は、薫ちゃんも一緒に、同じ体験をしてるんだよ」
「それって腹話術や、遠隔操作で音声を流してるとかじゃないんですか?」
「違うよ。裸にして調べたわけじゃないけど、そんなことするメリットないし。拓が花の精が見えるのは、子供の頃からだし」
きっぱり言い切る茜を見て、高華はじっと考え込んだ。
「菖蒲院さんが何か見たのも、拓にさわったときじゃなかった?」
「は、はい……。わたしの意思とは関係なく、不可抗力でですが」
高華は、途中で拓を睨みつけることを忘れなかった。
「じゃ、ひょっとしたら、花の本質が見えるっていう菖蒲院さんの能力と、拓の、花の精が見えるって能力とがリンクしたのかもね」
茜は顎に手を当て、首をかしげた。
「では、わたしが見たのはもしかして、花の精、なんでしょうか……?」
おい! と突っ込みたいのを拓は抑えた。
俺が何度説明してもだめなのに、茜が言ったら一発で心が動くのかよ。
「何を見たのか聞かないとわからないよ」
「ちょっと待った! 具体的な表情とか動作とかは話さないでくれ」
拓は慌てて、会話に割り込んだ。
――どうして、そんなことする必要があるのかなぁ。
すぐそこで、間延びしたあどけない声が囁いた。
心内語なので、茜たちは気づいていない。
ゆるふわボブカットのリッピアが、幼さと蠱惑的な表情との入り混じった微笑みを浮かべている。
彼女は笑いながら拓の背中に貼りつき、その腹に腕を回した。
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