39 二度目の春が来て 39 可音の話
「ちょ、花植えるのって肉体労働よ!?」
恭平がまた素っ頓狂な声を上げた。
匍匐性のローズマリーよろしく、地べたならぬテーブルすれすれに体を伸ばしてジト目で可音を見上げている。
「なんか勘違いしてるみてーだけどさぁ、ずっとしゃがんでりゃ脚や腰がすげぇ痛くなるし。シャツだって絞れるほど汗びっしょりーの、翌日は前の日に痛まなかったとこの筋肉痛に襲われーので大変だぜ? 桜前だっけ? お前、花植えたことねーだろ」
「……ないですぅ」
可音はうつむき、肩をすぼめる。
さっきまでの暴れっぷりは真面目に夢だったのではないか。拓は一瞬そう思った。
「だよなぁ。誓って言うけど、俺はさぁ、お前が思うようなキャッキャウフフ会話なんてぜんっぜん、これっぽっちもしてねーからな! お門違いもはなはだしいっつーの!」
恭平は口を尖らせ、さまざまな角度から可音の顔を見回した。口調はヒートアップする一方だ。
「そのくらいにしとけ」
拓は、動き回る恭平を睨んだ。
「いろいろ我慢してる、って言ってたよね? 具体的に話してもらえるかしら」
茜がやわらかい声で可音に話しかける。
可音は静かに顔を上げた。それからまたうつむき、膝頭をぎゅっと掴むと、視線を左右に走らせた。
「……ぼくの父は建築士で、自宅を使って小さな建築設計事務所をやってるんですぅ」
おずおず、といった感じで可音は、茜を上目遣いで見た。
ほ、と茜は頭を縦に振った。自分からは次の言葉を発しない。
沈黙が場を支配する。
可音以外は皆、天井、犬、テーブル、手帳などを見つめている。
そして当の可音は無意識にか、ニットにあしらわれた光るビジューをいじっている。
どのくらい時間が経っただろう。
「で、お父様のことは我慢うんぬんと関係あるのですか?」
高華が、片手で長い髪を振り払った。もう一方の手は、床にのへぇっとしているチロを穏やかに撫でている。
「ありますぅ」
消え入りそうな声で可音は返事をする。
「じゃ、さっさと話してください。皆さん忍耐強いですけど、本来、あなたを逆さ吊りにした上で水責めしてもおかしくないですよ」
「おかしいだろ!」「おかしいよ!」
拓と茜が、すかさず突っ込んだ。
「ぼくには弟がいますぅ。でも弟は小さい頃から体が弱くて、生きてるだけで充分だ、って父も母も甘やかしてるんですぅ」
「あーありがち。うちの親父も、姉ちゃ……姉貴には甘いわなぁ」
恭平が手を頭の後ろで組み、体を反らす。
「その分、って言っていいのかわかんないですけど、両親ともぼくには厳しくて。……幼稚園の頃から塾に行かされて、土日にみんなが遊んでるときも、電車に乗って遠くまで毎週、試験や講義を受けに行ってたんですぅ。高校に入った今でもそうですぅ」
可音の長い睫毛が震える。
耳にかかった髪を、うつむいたまま掻き上げる仕草は、正直ここにいる女たちの誰よりも色気がある。拓はそう思った。
「土日に休んだこと、ないの?」
薫が眉をひそめた。テーブルの上でその両手は固く握りしめられている。
「ん……」
可音は首をかしげた。それから、
「ないですね。あまりに疲れて、試験とかの帰りに、ウルトラマッカバーガーとか賢太の鶏屋さんとかでちょっと寝たりしましたけどぉ」
と彼女を見つめて小さく笑ったのだった。
「なんで、そんなに勉強するの?」
薫はまったく笑っていない。眉は左右不均等によじれ、目は見開かれ、口角はどんどん重力に引かれていく。
「だって、ほかに継ぐ人間がいないから。……父の事務所を」
素早い瞬きを繰り返しながら、可音はなおも笑みを浮かべる。
「母はいつも言うんですぅ。『可音がいるから、お父さんの事務所はこの先も安泰ね。でもあなたは子供なんだから、ただ親を真似てるんじゃだめ。親を超えないと』って。あ、母は事務所の事務や経理をやってますぅ」
フシュゥウウウーーーッ。
拓の斜め後ろで、衣類圧縮袋の空気を抜くときみたいな音がした。
クリスタルが腕と脚を組んだまま、鼻と口から長く息を吐き出しているのだった。
「はぁー、周りから固められてんのね、後継者になる道を」
恭平がパンツのポケットに手を入れ貧乏揺すりを始めた。
「いいじゃねーの、継げばさぁ。うちの親父なんか、会社勤めでいっつもリストラに怯えてるよ? 手に職あれば不況のときでも強いじゃん」
「誰もあなたのおうちのことは訊いてません!」
高華がぴしゃりと恭平をたしなめる。犬の背を撫でる穏やかな手つきとは対照的な声だ。
おー怖、と恭平は肩をすくめた。
「お母様のおっしゃることは理にかなっています。で、あなたは建築設計事務所を継ぎたいんですか? 継ぎたくないんですか?」
高華は顎を持ち上げ、可音を見つめた。
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