37 二度目の春が来て 37 デジャヴ? 茜の変化
「黙って撮ってごめんなさい。でも言ったら目をつぶっちゃうでしょ? これで、逃げてもあなたはすぐに捕まるわ」
茜は背筋を伸ばして少年を見下ろす。
携帯端末をポケットにしまう手が震えているのに、拓は気づいた。
茜は、少年からやや離れたところにしゃがみ込んだ。
「あなたが犬を大事にしてるように、わたしたちも花を大事にしてるの」
茜は、静かに少年に語りかけた。
その目は、これまで拓が見たことがないくらい冷徹な光を放っている。
「茜……?」
拓の声は聞こえていないかのようだ。
「自分でやったことの責任は、とってもらいます。犬がどうなるかも、あなた次第よ」
この感じ。何かに似ている。
拓は、目の奥にシャッターを下ろしたような茜の顔をゆっくりと眺めた。
そして、はたと思い当たる。
口調こそあのときほどではない。けれども、去年の冬、錦城薬局の店主、錦城吹子に食ってかかったときとそっくりだ、と。
吹子によれば、あのとき茜は、邪気にとらわれていたという。
吹子の協力もあって、何とか事態は収拾がついた。
けれどもその邪気が何に由来するかや、どうして茜の身に満ち拓に影響を及ぼしたのかは、未だにわかっていないのだった。
「こっちを見て。目をちゃんと開けて、よく顔を見せて」
茜が凛とした口調で言っても、少年は当然ながら言うことを聞かない。
「チロ、だっけ? 犬がどうなっても、いいの?」
目をつぶり、顔をそむけ暴れる彼に、茜の言葉が容赦なく浴びせられる。
すると彼は目を見開き、まっすぐに茜を見上げた。
「チロに何かしてみろ! 絶対に許さん!」
「さっきも言ったでしょう? あなた次第だ、って。それに、自分が先にチューリップをめちゃめちゃにしておいてよく言うわよね。絶対に許さない? その言葉、そのまんまお返しするわ!」
茜の目に、少年が厭がることをして楽しむような残忍な光が走る。茜の顔は、拓には妙に活き活きして見える。
もしかして、また?
「茜。茜!」
少年の腕を押さえつつ、拓は彼女の名を呼んだ。
「心配しないで。これはわたし自身の怒りだから」
唇の端は上がっていても、茜の目は笑っていない。
「けど、あのときだってお前、自覚なかっただろ?」
「大丈夫」
酔っぱらいの「大丈夫」と同様、ぜんぜん大丈夫そうじゃない。
それでいて、酔っ払いが「泥船に乗ったつもりでドーンと」などと続けるような「わかりやすさ」もない。
「あのときとは違うの。ほんとだよ。この人を見たら、なんか急にものすごく腹が立って」
静かに言いながら茜は、なおも携帯端末のシャッターを切り続ける。
辺りが暗いせいばかりでなく、やけに顔が青白い、と拓は思った。
少年も、拓も、恭平も、息が荒くなっている。
やや離れた所で、犬がクゥゥーン、とガタイの割に細く高めな声を上げた。
「チロ! チロォ!!」
少年は首を上げようとした。
しゃがんでいる高華の後ろ姿と網と、犬にまたがりそれを押さえつけているクリスタルのせいで、拓の位置からでも、犬がどのような状況にあるのかはよくわからない。少年の目線ではもっとわかりにくいと思われた。
「安心して」
茜が再び口を開く。
「あなたが変なことさえしなければ、犬に危害を加える人たちじゃないわ。変なことをした場合、保証はできないけど」
ひと呼吸置いて、彼女は続けた。
「今すぐ警察に突き出されるのと、わたしたちと話をするのと、二つに一つ。どっちがいい?」
やはり茜らしくない。けど、それは「俺が知らなかった」だけなのか?
何かほかに案はないかと困惑しながらも拓は、言葉が出ない。
歯を食いしばっていた少年は、クキュシュゥッ、と息を漏らした。そして、観念したようにうなだれ、手足をだらんとさせたのだった。
ほぼ同時に薫が、ハッと息を呑んだ。
「この人、うちのクラスの男子。……女装や化粧でわかんなかった。なんだっけ名前……」
「一年生かよ。なのにもう、俺より背が高えのか。入学したばっかだってのにさぁ」
恭平が改めて、少年の頭から爪先まで視線を走らせる。
拓は、少年から手を離さないようにしつつ、体を起こすよう彼を促した。
「あのぅ、桜前ですぅ。ご、ごめんなさい春島さん」
起き上がった少年は、さっきまでとはまったく違う口調と蚊の鳴くような声で、薫を見た。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ご来訪に心から感謝いたします。
本日はもう1話あります。
なお、今回出てきた錦城吹子と茜の過去の話については、『ある高校生華眼師の超凡な日常』(オークラ出版NMG文庫)またはこのサイトの同作の「冬 冬虫夏草」をご参照ください。




