30 二度目の春が来て 30 演技?
グロ描写ありです。お食事中の方など、ご注意ください。
間髪入れぬ返事に、拓はちょっと腹が立った。が、前の日に部室で高華が描いた「彼女が見ている世界の絵」を思い出すと、怒りが急速にトーンダウンした。
何事もなく花がきれいに咲いている状態でも、血の雨やどす黒い雲、闇にまみれたおどろおどろしい風景を菖蒲院は見ている。それはまさに、「阿鼻叫喚」という言葉がふさわしいものだった。
こいつの画力をどのくらい差し引きするか、という別の問題は置いておくとして――こんなに踏み荒らされた状態なら、いったいどんな地獄絵がこいつの目に映っているのか。
――ちょっと拓、何、感情移入してるのぉ?
いつのまにか戻ってきたリッピアが、拓の背後で囁いた。
――だって菖蒲院は、揺れてもいねー所で船酔いみてーになってるんだぞ?
――お人好し。チューリップを切られたときの怒りを忘れちゃった? 演技だよぉ全部。
ぐっと黒目を持ち上げたリッピアの目に、憎々しげな光が宿った。
――でも、これが演技に見えるか? 吐いてんだぞ実際!
――本気で演じれば、血だってゲロだって吐けるよぉ。女優なら。
話にならない、というふうにリッピアは溜息をつき、手を左右に大きく振る。
《――リッピアには、ちょっと気をつけた方がいいかもしれない》
パンジー・ビオラの精であるアンジーの言葉が、拓の脳裏に甦る。
十七世紀のオランダで起こった「チューリップ・マニア」――チューリップについてのバブル経済とその崩壊は、「チューリップをオランダに浸透させ、その後オランダ以外のヨーロッパの国々で需要が高まったときに、オランダから供給ができるような仕組みを整えるという戦略」だったとリッピアがアンジーに語った、という話も。
今すぐにでも、リッピアの真意を確かめたかった。
けれども、それはだめだ、ともう一人の自分が内側からブレーキをかける。
「カレーパンがだめなら、ハムカツパンはどう? なんなら取り替えるよ?」
「う、だめそうです今日は。……揚げ物的な意味で」
高華の声は、演技でも何でもなく心底弱っているように、拓には聞こえた。
「ちょっとさぁ、何とかなんねーの? それ。俺、聞こえるたんびに自分が吐きそうになってんだけど」
恭平がげんなりした顔で高華を見た。彼はしゃがんだまま、折られたチューリップの茎をごみ袋に放った。
「わたしは酔い止めを飲んで症状を抑えています。あなたも、文句があるならご自分で何か対策をしてからにしてください」
高華は立ち上がり、腰に手を当てて恭平を見下ろした。
今は放課後。園芸部プラス高華という面子で、再び花壇の後始末をしているのだった。
皆、ジャージ姿だ。
高華は昼休み同様、何度も「うっ!」と口に手を当てていた。ゲオゲオッとなることも一度ならずある。
それでもよろよろと、チューリップの葉や茎を片付け続ける。
「無理しないで。花の苗を買いに行くとか、やれることを分担してもらえばいいから」
さりげない感じで茜が声をかけた。
だが高華は首を横に振った。そして昼のことや、吐き気でうまく作業ができないことを何度も彼女に謝った。
「気にしないで。自慢じゃないけど、わたしも昔はよくリバースしてたよー」
「いやいやいや、気にしなさいよ! 甘やかしちゃいかんぜよ茜ちゃん。俺、自分もリバースしそうになってんだけど」
恭平が、葉を振りながら口を尖らせた。
そういや、茜は幼稚園や小学校低学年の遠足ではよく吐いてたな。
拓は、遠足のバスや電車で、蒼い顔をして嘔吐用の袋に顔を突っ込んでいた小さな茜を思い出した。
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本日はもう1話あります。
なお、本日2話更新のため、2015年8月27日(木)は更新を休む予定です。




