27 二度目の春が来て 27 話を聞いた高華は
「やめろ! 誰がやったかまだわかんねーんだし」
拓が恭平の腕を掴み、前に行こうとする彼を引き戻す。
「は? いったいなんのことです?」
眉をひそめた菖蒲院高華に、「実はね」と茜が状況をかいつまんで説明した。わざとか忘れたのか、犬の足跡のことは言っていなかった。
「すべての花を折り、踏み荒らしたですって!? そんな無駄なことを、このわたしがするとでも?」
高華は、恭平の目をまっすぐ見つめ、一歩、また一歩と彼に近づいた。
窓から射し込む光の加減は変わっていない。が、高華の顔にはくっきりとした陰影が現れ、彼女の背後にゴゴゴゴゴ……とでもいうような不穏な空気の揺らめきがある。
少なくとも拓にはそう見えた。
「だって、実際もう、やってるじゃん。チューリップ折ってるじゃんよ! 一部を折って気が済まなかったらさぁ、次は全部やりたくなる。そういうもんじゃねーの?」
「わたしのは、美への信念に基づく、正当な行為です。あなたの、極めて動物的で野蛮な感情や行動の基準で他人を判断するのは、やめてください」
「結果としては一緒じゃん! きれいに咲いてる花を折った、っつうところではさぁ。認めろよ!」
大きな身振り手振りで、恭平は訴える。
「『きれいに咲いている』ものではありません! けっして!」
「だからそれはあんたの価値観で、だけだろ!」
――菖蒲院高華の言ってること、ぜぇーんぶ嘘だから。試しに、犬を飼ってるか訊いてごらんよぉ。
いつのまにかリッピアが拓のそばに来て、囁く。
拓は唾を飲み込んだ。
リッピアからは蠱惑的な表情は消え、その目はきわめて真剣に見える。
「菖蒲院、おまえ……犬を飼ってるか?」
我ながらどうしても声が沈みがちになる、と拓は思った。
「飼ってますが、それが何か?」
こんな会話で時間を無駄使いしたくない、とでもいうような表情がありありと高華の顔に浮かんだ。
――ほぅらね。
とリッピアは得意げに胸を反らす。
「大型犬か? ラブラドール・レトリーバーとか、その、セントバーナードとか土佐犬とか」
「サモエドとか」
薫がぼそっと付け加える。
「ゴールデン・レトリーバーですけど」
――ま、わたしには見えてたけどね。
「ほらぁ! やっぱりぜってぇーーーこいつだよ!!」
恭平も興奮気味に鼻の穴をふくらませる。
「待ってよ長庭君。犬種による足跡の違いとかも確認しないとだめでしょ! 写真判定になるけど」
茜が恭平の肩を突っついてたしなめる。
「いい加減、質問の趣旨を教えてください」
「犯人はどうも、犬にやらせたらしい。足跡が、今朝は残っていた」
「ひどい……」
呟くなり、高華の目にじわっと涙が浮かんだ。
「自らの手を汚さず、家族の一員とも呼ぶべき犬に卑劣な行為をさせるなど言語道断!! 絶対に許せません!」
彼女は顔をゆがめ、スカートの腰の辺りをぎゅっと握りしめた。非常に深い皺がスカートに寄る。けれども、彼女はまったく気にせず続けた。
「園芸部の活動に異論はあります。ですが、この件は別。犯人の特定及び捕獲に協力します!」
選挙演説か何かのような、力強く凛とした声が響く。
一同は、口を半開きにして高華を見つめた。
「え、何。犬に対する愛ってそんっなに強いもんなの……?」
高華を激しく責めていた恭平ですら、うろたえたような小声になってしまった。
「当たり前です! あなた犬を飼ったことないんですかっ!?」
「サァーセンヌェーッス!(すみませんないです)」
大声でずずっと詰め寄られた恭平は、ろれつが回らぬ早口で答えた。
「あんなにかわいい生き物はほかにいません。もふもふして、温かく、常に誠実。飼い主がつらいときなどにはそっと寄り添ってくれる。犬に犯罪行為の片棒を担がせる輩は、人類の敵です! いざ、現場へ!」
まだあっけにとられている皆を追い抜いて高華は進んでいく。
――すっごい演技力ぅ。
リッピアだけが、冷やかな視線で彼女を見送る。
――拓、騙されないでね。
じぃっと自分を見上げる目や噛みしめられた唇からは、高華の犬に対する愛と同じように、いやそれ以上のチューリップへの愛が、ひしひしと伝わってくる。拓はそう感じた。
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