19 二度目の春が来て 19 翌朝
チューリップの精リッピアは、急に拓の腕にしがみついてきた。
彼女は、「菖蒲院高華と花壇とを早く切り離せ」と彼に言う。
花の精は、ものを物理的に――人間にも見えるような形で――動かすと、体力が非常に消耗してしまう。
そうではなく、人間の目には見えぬ、「ものの本質」にさわっているだけの場合は大丈夫らしい。
これまでの経験からわかってはいる。だが。
俺が動いたら、ひょっとしたらリッピアの体力が不可抗力的に奪われるんじゃねーか?
と思うと、うかつに動くこともできない。
そして何より、自分でも信じたくないが、こうして腕に巻きつかれているのが不快ではなかったのだった。
――実は、あの人みたいにチューリップを切りまくりたいんじゃない?
リッピアは、潤んだ目に人を試すようないたずらっぽさを浮かべ、唇の片端を上げる。
――馬鹿な! 冗談でもそんなこと言うんじゃねえ!
――じゃ、行動で示してよ。
「何ぼうっと突っ立ってんだよ。これからどうすんの? 拓」
背後から恭平の声がした。
「長庭君、ああ見えて拓は策を練ってるのよ。もうちょっとだけ、そっとしたげて」
茜がさっと拓の助け舟を出した。
――離れろ。俺は俺のやり方で花とも菖蒲院とも向き合う。
心内語で言いながら拓は、リッピアの腕の間から静かに自分の腕を抜いた。
「切られたチューリップのそばに、それぞれ新しいチューリップを植える。今から苗を買いに行って、今日のうちに作業を終わらせるぞ」
――拓のヘタレ! いくじなし! 甘すぎだよぉ!
リッピアの声が、拓の背中に突き刺さる。
彼女の声こそ、憤っていても甘ったるかった。
翌朝。
拓が登校すると、花壇の前に人だかりができていた。
掻き分けて前に進んだ拓は、息を呑んだ。
前の日に植えたものを含め、すべてのチューリップが無残に折られ、踏みしだかれている。
花びらはばらばらに散らばり、変色したり破れたりして土にまみれている。
まっすぐに花茎を伸ばし、かたまって凛と咲いていた姿はどこにもなかった。
「嘘、だろ……」
拓は拳を握りしめた。
体の震えが止まらない。悪寒に似た感触が、何度も何度も、爪先から頭まで駆け抜ける。
何人かの生徒が、拓の方をちらちら見ながら小声で話している。拓と目が合うと、彼らはおびえたように視線を逸らし、口をつぐんだ。
拓は花壇に立ち入った。
息も絶え絶えという感じで残っているチューリップの葉を踏まぬよう、そっと進む。
そしてしゃがみ込み、つぶれて土まみれになった花を拾おうとした。
「待って!」
やはり人混みを掻き分けて、茜が拓の横に来た。
「まずは写真を撮るわ」
「写真? そんなものより花をなんとかするのが先だろ!」
自分で思ったよりも大きな声が出てしまった拓だった。ジリッと後ずさりするような靴音が、いくつも聞こえた。
「気持ちは、わからなくはないよ?」
茜は、ひるむ気配もなく拓の目を見据えた。
「でも、これだけ被害があった、って証拠を残しとかないと。大河原先生とか、誰かに報告するにしても、話だけより目に見えるものがあった方がいいし」
「お、おう」
拓ははっとした。
茜の目に涙が盛り上がっている。零れはしない。蜂蜜色の虹彩の中で、光が細かく揺れる。
彼女は唇を引き結び、自分の携帯端末を花壇のチューリップに向けた。
シャッターを切る乾いた音が響く。
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