17 二度目の春が来て 17 続く平行線
「あなたは何もわかっていません」
星のような光が再び高華の目に宿った。彼女は恭平を見つめると、長い睫毛を伏せたのだった。
「あったり前じゃん。俺たち今日、出会ったばっかなんだしさぁ」
「そういうことじゃなくて。仕事もせず気楽に学生だけやっているあなたには、想像もつかないようなことがあるんです!」
「へっ! 学生は、学生やんのが仕事だよぉん。それにあんただってさぁ、俺のことなぁーんも知らねーべ」
恭平はにやにやしながら肩を回し、首を鳴らす。
「もういいです。帰ります!」
弾みをつけて高華は立ち上がった。そして拓の手首とを自分のそれとを結ぶハンカチを、空いている手でほどこうとした。
「だめだ」
拓は冷たく言い放った。
「やったことの落とし前はつけてもらう」
「落とし前?」
高華は顔をしかめ、なおも結び目に爪を食い込ませようとする。縁が鋭く尖った目が、ネコ科の野生動物のように光る。
「花壇を荒らしたんだ。元どおりにしてもらう」
拓は無表情のまま、結ばれている方の手を強く自分の胸に引き寄せた。
あっ、と声を上げ、高華がバランスを崩す。
彼女は、転ぶ寸前に自由が効く手でテーブルを掴んだ。そして、かろうじて姿勢を保ったのだった。
「何を言ってるんです? わたしは花壇にあっては美を体現できない花を救い出したんですよ? 感謝されこそすれ非難されるいわれはありません!」
「確かにお前が活けたチューリップは美しい」
拓は、金魚鉢を見やった。
花の色も形もさまざまなチューリップが、土に生えているときとは別の命を与えられたように、中でひとまとまりに輝いている。そこだけ異空間のようだった。
「だが残された花壇はどうだ? バランスを崩して荒れている」
「わたしには関係のないことです」
「ある。お前は俺たちと同じくここの生徒だ」
「校則にも、『校内の美化に努めましょう』、って載ってるし」
茜が生徒手帳の該当ページを高華の鼻先に突き出すと、
「努めています」
自分が活けた花を、彼女は面倒くさそうに指差したのだった。
「とにかく、これからもわたしは、必要とあらば花壇の花を切ります。そして自分の――人の手で再構築された花の美をあなた方に見せてさし上げますわ」
高華は下ろした手を胸に当て、金魚鉢の中で咲くチューリップを眺めた。
背筋を伸ばした彼女は、自分の信念に少しも疑いを持たぬように毅然としていた。
「こりゃ、どこまでいっても平行線だよ。説得しようとするだけ無駄じゃね?」
恭平が拓のブレザーの裾を引っぱりながら耳打ちする。
それにはかまわず、拓は高華の目を静かに見据えた。深呼吸してから、言葉を繰り出す。
「本当に、花の美のためにやっていることなのか?」
「はぁ?」
高華は手を腰に当て、いきなり強い日射しの下に出たように眉をしかめた。そして素早く瞬きすると、
「何を当たり前のことを」
と眉根に皺を寄せたまま、歪んだ笑みを浮かべたのだった。
「それより、手首が鬱血してじんじんします。痕になると困るのでもう外してください」
「ほんと。赤くなってる」
茜は高華の手首を覗き込むと、ハンカチの結び目に両手をかけた。
「だめだ」
語気が強くならないよう、拓は精いっぱい努めた。
「でも痕になったら、拓が怪我させた、って傷害罪とかに問われるかもしれないんだよ?」
「俺が傷害罪ならこいつは器物損壊罪か何かだ。どちらか無傷ということはない」
「拓……」
呟きながら、茜は手を離した。だが結ばれた手首同士のそばで、茜はまだ両手の指を伸ばしたり曲げたりしている。
「あなたはありのままの自然な美がいいと思っているのでしょう? なぜわたしの手首を不自然に縛り続けるんですか?」
高華は唇の端を上げ、首を傾げる。
「それは花についての話だ。お前は花じゃないし、花を傷つけた」
即答だった。
「仕事関係の人には、わたしを花よりも美しいという人もいるんですよ」
「いてもおかしくないとは思うが、俺は違う」
茜の眉がぴく、と上がったことには、拓はまったく気づかなかった。
「やはり話しても無駄でした」
高華は短く息を吐き出した。
彼女は、空いている手の細く長い指で胸のリボンをほどくと、白いシャツのボタンをもどかしげに外し始めた。
胸元から小さなはさみが取り出される。刃が宙で鋭く光り、拓は眩しさに顔をしかめた。
皆が手を伸ばす隙を、高華は、目にも止まらぬ速さですり抜けた。
そして手首同士が縛られた方の腕を、肩をひねりつつ自分の胸に押し当てるように引っぱると、ジョキジョキッ! とハンカチを切ってしまったのだった。
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