甘い冬の夢
ゆきのまちに投稿した作品です。
灰色の空の下、薄暗くなったこの街で、お菓子屋『ベアーベアー』の店主である熊のテオは、クリスマスケーキの宣伝をしていた。
「クリスマスケーキ、いかがですかー」
だが、何度呼んでも誰もやってこない。
それどころか、冬になってから誰にも会ってないような気がする。
みんなの家の電気は消え、店もずっと閉まっている。
いや、気がするのではない。誰にも会っていないのだ。
前に聞いたことがある。『冬眠』というらしい。秋の終わり頃になると、みんな眠くなるらしいのだ。そして冬になると、眠ってしまう。春になるまで起きてこない。
テオはなぜか、その『冬眠』というものを経験したことがなかった。今に誰かが起きてくる、と信じ、毎日お菓子を作り続けている。
子ぐまの頃は、この街の雰囲気に疑問を持ったことはなかった。父も母も、冬眠しない体質だったからだ。
冬になると外に出ず、家族で過ごしていた。食料は秋のうちに貯めておき、冬を過ごす。どこの家もそうだと思っていた。
『冬眠』というものを知らないまま大ぐまになり、両親を亡くしたテオは、初めての一匹で過ごす冬を迎えた。
冬は家にいる、というのが定着していたので、二ヶ月ほどは家に籠っていた。が、さすがに一匹は寂しいので、友達の家に行ってみた。なぜか明かりはついていない。呼び鈴を鳴らしても出てこなかった。
春になり、街は賑わいを取り戻す。疑問に思ったテオは、お菓子を買いに来た客に尋ねてみた。
「いらっしゃいませ。みなさん、冬はどうお過ごしになられたのですか?」
そう言うと、客は怪訝そうな顔をして、くすくすと笑いながらこう言った。
「あら、どう、だなんて。変なことをおっしゃる方ですのね。そりゃあ冬は『冬眠』するに決まっているじゃないですか」
そこで初めて『冬眠』というものを知った。
今年は二度目の冬。きっと自分だけではない。その思いは日に日に薄れていた。
テオの一日はケーキ作りから始まる。両親から受け継いだこのお菓子屋は、両親が亡くなってから一日も欠かさず開き続けている。
春、夏、秋は大繁盛、冬は誰も来ない。そんなのはわかっている。作らずにはいられないのだ。
「はぁー、今日も来なかったなー」
手に息を吹きかけながらテオは店の中へ入った。
北風を受けて冷たくなった身体がじんわりと温まる。
ストーブをつけて、手をかざす。霜焼けというものになったことがあるのも自分だけだろうか。そんなことを思いながら、今日作ったケーキをお皿に移す。今日のケーキは、秋に採れた最後の栗を使ったモンブランだ。
明日からはもう栗はない。
冬は使える食材が少なくなる。去年思い知ったテオは、自家栽培をはじめた。いちご畑を作ったのだ。家の裏は全ていちご。いちごで埋め尽くされている。
これからは毎日いちごケーキか。
「いただきます」
フォークの先がモンブランに触れる。マロンクリームとしっとりしたケーキを口に運ぶ。
うん、うまい。いつもと変わらぬ調子で食べ進める。
実を言うと、テオはこんな生活にうんざりしていた。毎日同じことの繰り返し。新しいお菓子を試作するのは楽しいが、材料の少ない冬だと使う量を控えなければいけない。自分も冬眠できるのではないか、と、昼に布団に入ったこともある。だが、どうやっても無理だった。
テオは何気なく窓の外を覗いた。
「!?」
雨ではない何かが降っている!
テオは慌てて外へ飛び出した。
ふわふわと漂い落ちるそれは、初めて見るものだった。
地面に落ちるとすっと溶けていく。
テオは手のひらを上に向け、降ってくるものを手の上に乗っけた。
それは冷たい、と思った瞬間溶けて、水になった。
「なんだろう、これ」
最初はちらちらと舞っているだけだったが、どんどん勢いが増してきた。
地面に落ちて溶けたものは、溶ける前に積もっていって、地面が白くなってきた。
上を歩くと、足跡がつく。
「かきごおりみたいだ。すごいなあ」
テオは誰かにこれを見てほしくなった。
「みんなー!空からかきごおりが降ってくるよー!」
そう叫んで、急いで家にかきごおり用のシロップを取りに帰った。
ついでにお皿とスプーンも取って、もう一度外に出る。
街はさっきよりも真っ白になっていた。
ふわふわと積もるそれを、お皿に盛る。たらりとたらすシロップは、素朴なみぞれ味。
スプーンですくって、ぱくり。
「あ、甘っ!」
シロップをかけすぎたのか、とも思ったが、それにしては甘すぎる。
テオは、直にそのままスプーンですくい、口に運んだ。
……やはり、甘い。そして、おいしい。テオは夢中になって食べた。
舌にのせるとすっと溶けて広がる甘い味……。どうすればこんな味が出せるのか。と思ったその時。
「あの……あなたは……?」
一瞬テオは何が起きたのか分からなかった。
声が聞こえた。それだけは分かった。
声のした方を見つめ、そして固まった。
真っ赤な頬、きっと冷え切っているであろう真っ白な手、ぴょこんと立った大きな耳……。
夢を見ているのだろうか。誰も起きていないはずのこの街で。
テオの目の前には、可愛らしいうさぎの女の子が立っていた。
「え、ええと、あの」
そう言ったうさぎの子の目には涙が溢れている。
「ひょっとして、君も……?」
その先の言葉は続けられなかった。テオの目にも涙が浮かんだ。その瞬間、心の中で何かが弾けた。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。テオとうさぎの子は駆け寄り、抱き合った。互いの肩を貸し合い、泣いた。
「私、こんなところで誰かに会えるだなんて、思っていませんでした」
思う存分泣いた二匹は、テオのお菓子屋の階段に座っていた。
「僕もだよ。冬に誰かに会うっていうのは、去年からの僕の夢だったんだ」
「じゃあ夢、叶いましたね」
二匹は見つめ合い、微笑んだ。
久しぶりに話すことができたテオは、幸せでいっぱいだった。
うさぎの子の名はスノー、というらしい。この街の先にある山を超えて、こちら側に来たのだそうだ。
「ところでさ、今降ってるのって何か知ってる?雨ではないよね」
ずっと気になっていたことを尋ねた。
「雪、っていうんですよ、これ。見るの初めてですか?」
スノーは手で雪をすくいながら答えた。
「雪……うん、初めて。とっても甘かった。作ってみたいな」
なぜだかテオは、眠くなってきた。ついに自分も冬眠することができるのだろうか。
「これ、実は私なんです」
その言葉が、テオが聞いた最後の言葉だった。
季節は巡り、春。
冬眠から覚めた動物たちは、お菓子屋の階段で眠るテオを見つけた。その身体は凍るように冷たく、固まっていた。眠るテオの顔は、とても幸せそうだった。