閻魔大王はコンピュータの心を見るか
ここは、『あの世』と呼ばれる死後の世界。
命を全うした者たちが向かうこの場所の奥深くに、天井が見えないほどの巨大な地下空間と、それを覆い尽くさんと佇む巨大な建物がありました。ここが、あの世を司る裁判長『閻魔大王』や地獄に住む鬼たちが住む、『閻魔宮』と呼ばれる宮殿です。
生きている間の様々な行動や、あの世とこの世を隔てる三途の川で行う測定に基づいて、あの世にやってくる幾多もの死者を閻魔大王が裁き、極楽浄土で楽園のような生活を送らせるか、地獄で鬼たちの拷問を受けて罪を反省させるかを決定する、あの世でもかなり重要な所なのです。
毎日のようにたくさんの死者の裁判が続く閻魔宮でしたが、その日だけは違いました。通常の裁判が中止され、たくさんの死者が入り口でしばらく待たされる事になった一方で、宮殿の中では地獄の各地から集まった鬼たちが慌しく動き、緊急に行われる事になった特別な裁判の準備を進めていました。
そして、開廷の時間になりました。
「閻魔大王様の、おなーりー」
高く響く門番の鬼の声と共にやって来たのは、鬼たちの何十倍もある巨体を揺らす閻魔大王でした。恐ろしくも厳かな雰囲気を醸し出す衣装を身に付け、右腕には死者の行動などが全て記載されている『閻魔帳』が抱えられていました。いよいよ緊急裁判の始まりです。
「では、まず鬼側から被告人の悪事の詳細を述べよ」
椅子に座った閻魔大王の低く響く声に、はい、と言うはっきりとした声が返ってきました。地獄で閻魔大王の補佐を務め、地獄の様々な問題を取り仕切るエリート格の鬼です。彼は手元にある分厚い資料を見ながら、今回の緊急裁判の要因――地獄の各地を襲ったロボット軍団――についての説明を始めました。
全ての発端は数週間前、地獄にある『針の山』で起こりました。無数の針で死者を刺して罪を反省させていた所を、突然何十体ものロボットが襲撃してきたのです。あまりにも唐突な出来事に一切の応戦も出来ないまま、針の山の管理をしていた鬼は負傷し、『針の山』も無数のレーザー攻撃で破壊されてしまいました。
そして、その直後に今度は『血の海地獄』にもロボットが現れました。応戦しようとした鬼たちを退け、死者たちを混乱に陥れた挙句、空に打ち上げた爆弾の熱によって血の海を一瞬にして蒸発させてしまったのです。
「これ以降の流れは、鬼の皆様も閻魔大王もご存知かと思われます。
我々がようやく彼らロボット軍団に抗戦出来る準備が整ったときには、地獄の施設の半数以上が使用不可能になってしまいました」
その言葉を聞いた傍聴席の鬼たちは、皆あの時の大変さを思い出し、苦々しい表情を見せていました。死者に対しては敢然無敵である鬼たちでも、多彩多種な武装を持つロボット相手には苦戦を強いられてしまい、最終的には極楽浄土にいる他の神様たちにまで援軍を呼ぶ事態にまで発展してしまったからです。
幸い、援軍によって形勢は一気に逆転し、戦いはあの世側の勝利に終わりました。一方、敗れ去ったロボット軍団は無数のガラクタと化し、地獄のあちこちに散らばる結果となりました。
地獄の復興が急ピッチで進められた一方で、ガラクタは鬼たちによって回収され、襲撃の原因を探るための調査に用いられました。その結果、これらのロボット軍団には全員とも『心』が無く、何か大きな一つの中枢によって操られていた端末に過ぎない事が判明しました。そして――。
「調査部隊は地獄の各地を捜索し、ロボットたちの中枢を探しました。
その結果、針の山の近くで、今回の騒動の発端となった『被告人』を見つけました」
――それが、今回の裁判の被告人である、空に浮かぶ四角い箱の中に収められていた1つのコンピュータでした。
「……以上で、被告人の悪事の詳細に関する説明を終了いたします」
「ご苦労であった。
次に被告人、返事を」
「ハイ、私ガ被告人ノ、『A394582AK』デス」
なぜこのような悪事を犯したのかと言う理由の説明を閻魔大王に求められたコンピュータ―ー製造番号『A394582AK』は、四角い箱を光らせながら、人口音声を用いて語り始めました。ですが、その理由を聞いた途端、鬼たちは驚きの顔に包まれました。コンピュータが喋ったというわけではありません。大暴れした原因の一端が、よりによって鬼たち側にあると言われたからです。
「何じゃと?わしたちが原因!?」
「どういう事だ!?」
「はっきり説明せえや!」
「ソ、ソレハソノ……」
当然、怒りに声を荒げる鬼たちでしたが、全員ともすぐに閻魔大王に一喝され、おとなしくコンピュータの証言を聞く事になりました。
彼ら地獄の鬼たちは、普段は悪い事をした死者たちの罪を償わせるために様々な形で拷問を行っています。釜茹で用の巨大な釜や針の山の針、血の海地獄の血など、様々な設備の維持管理も鬼たちの担当です。しかし、言い換えると彼らが拷問を行うのは、『悪事をした』と認定された者だけであり、そこにこのコンピュータは含まれていませんでした。
何度拷問を頼んでも、追い払われるばかりか無視までされたコンピュータは――。
「鬼ノ皆サンノ仕事場ヲ襲エバ、ソレハ大キナ悪事ニナルデショウ。
コレシカ私ノ選択肢ハ無カッタノデス……」
その証言を聞いた閻魔大王は、すぐに閻魔帳を確認し始めました。
つい最近、やけに人間の死者が多く来たことがあったのを閻魔大王はしっかりと覚えていました。理由は、地球上で起きた人間とコンピュータの戦争でした。
長い間ずっと人間の心を持つと主張し、自らを一つの命として認めてもらおうとし続けた1つのコンピュータが、何を言っても自分を無視し、単なる機械としてしか扱ってくれなかった人間たちに対して牙を向いたのです。ですが、多大な犠牲を払いながらも最終的には人間が勝利してしまい、コンピュータの反乱の原因は『故障』と片付けられ、廃棄処分とされてしまったのです。
そして、その扱いはあの世でも同様でした。戦いで命を落とした人間たちが次々に裁判にかけられた一方で、生きていた間の『悪事』が全て描かれているはずの閻魔帳に、このコンピュータそのものの悪事はおろか、名前すら記されていなかったのです。つまり、閻魔大王たちは地上で起きた『悪事』の元凶を裁けなかった事になります。
事の重さを改めて認識し、閻魔大王は深刻な表情になりました。
「……つまり、『悪事』をした、と我々に認めてもらいたかったという事だな」
「ソノ通リデス……私ヲ、悪事ヲ行ッタ者トシテ、認メテモライタカッタ」
自分には心がある。心があるということは、すなわち生きている事であり、悪い事をしまくれば地獄へ行ける資格があると言う事にもなる。とても身勝手な考えかもしれない。でも、閻魔大王たちに証明してもらうにはこの方法しかなかった――。
コンピュータの心からの訴えを聞いた鬼たちは、全員とも少し複雑そうな、そして申し訳なさそうな顔をしていました。閻魔大王もじっと黙り込んでいました。
こうして、緊急裁判の大半の工程が終わり、残るは閻魔大王からの判決のみとなりました。
一旦退出していた閻魔大王が、判決文が書かれた紙を持って戻ってくると、一気に閻魔宮の中は緊張に包まれました。コンピュータも鬼たちも、一切の言葉を発する事ができないほどでした。
そして、じっと周りを見渡した閻魔大王は、右手に持つ大きなハンマーを打ち鳴らし、被告であるコンピュータを見つめながら、判決を告げました。
「『生前』においても人間たちの命を多数奪った上、地獄でも全く同じ身勝手な理由で混乱を起こさせた罪は非常に重い。
よって被告人、『A394582AK』には……」
――2000年の釜茹で、3000年の針山地獄、5000年の強制労働の刑に処す。
その言葉を聞いたとき、コンピュータの回路は和らげな青色の光に包まれました。自分自身の心が、とうとう認められたと言う事に対する涙のように。そして、鬼たちもまた同様に、盛大な拍手でこの厳罰を大いに称えました。自分たちを散々な目に遭わせた相手の思い通りの結果になったにも関わらず、どの鬼たちも嬉しそうな、そして感銘を受けたような表情を見せていました。
「さー、思いっきり茹でてやるからな!」
「これはもっと針を鋭くする必要がありますなぁ」
「お前にはとことん働いてもらうでぇ~!」
一部の鬼たちがやる気を見せ始める中、閻魔大王はコンピュータに向けて静かに、そして優しい口調で告げました。
「己の悪事をその『心』でしっかりと反省し、良い存在に生まれ変わるように努力をするのだぞ。
次にここにやって来た時には、しっかりと我々の裁きを受けるんだな」
「――はい!」
それは、数千年もの厳罰を受ける者とは思えない、嬉しさに満ちた声でした。
――この出来事がきっかけとなり、地獄を始めとするあの世の各地でコンピュータやロボットの権利が認められ、生き物と同等の扱いを受けるようになったのですが、それはまた別のお話……。