殺人衝動 Ⅲ
現場検証と言えど、八千代 真伊が行うそれは鑑識官や検査官と同様のものではない。
それならば、果たして彼女の行うそれを現場検証と呼ぶことができるのかどうか――まぁ、それはそれで彼女なりの現場検証と言えよう。
これはおよそ思考回路の違いだと思う。
そもそもが常人と違う思考なのだ、八千代特有の現場検証のやり方があっても納得がいくだろう。
八千代 真伊。
類を見ない大規模な人脈を構築し、末端から末端にまで及ぶそれを利用した情報網を持つ彼女。
学問や知識においては、十四歳の『終わった少女』旗桐 林檎に少々遅れを取るだろうが、それでも八千代が他の分野で誰かに劣っているところを僕は知らない。
さすがに、十四歳にして全ての学問を終えた林檎ちゃんと同じ土俵で比較するのは八千代に悪いだろう。
けれど、両者の優劣はさておいたとしても、両者がいずれも常人から外れた世界で住む『異質』であることに変わりはない。
異質で、異端で、異常な――世界から外れた彼女たちだ。
非凡な才能を持ち、突出した能力を有する彼女たちだ。
そうまで言ってしまえば、もはや異質を通り越してある意味胡散臭ささえ感じられる八千代ではあるが、その思考回路は常人の僕には到底理解できないものだ。
例えば。
目の前に砂場がある、そこに大きな山を作るとしよう。
その山の中にトンネルを掘って、幼少期を懐かしみながら砂遊びをしてみよう。
常人ならば、普通ならば、辺りの砂をかき集めて掌で砂を積み固めながら作るだろう。
まずは半球状の丸々とした山を作り、崩れないようにトンネルを掘るだろう。
けれど。
八千代の場合、少し奇妙なことに、砂を積み上げるのではなく、逆に辺りの砂を掘り下げる。
砂を掘り除いて、半球を形成させるのだ。
言ってみれば、砂場から陥没した位置に山ができる。
その様はまるで、最初から埋まっていた山の周りにある余分な砂を取り除いてるようなのだ――取捨選択をして余分な情報を取り除き、的確な情景を見据えるように。
例えば。
目の前に正方形の折り紙がある、その上に可能な限り高く砂を積み上げるとしよう。
砂地を作る範囲に限度がある以上、高度にも限界があるわけだけれど、その上で丁寧に積み上げよう。
常人ならば、普通ならば、同じように掌で砂を固めながら崩れないように積み上げることだろう。
先端はおよそ鉛筆のように尖るはずだ。
けれど。
これもまた八千代の場合、少し奇妙なことに、砂を積み上げるのではなく、折り紙の中心を目掛けて砂を零すのだ。
砂時計のように掌からぱらぱらと少しずつ砂を零し、それが次第に積もって高度を持つ砂山を形成させるのだ。
それはまるで、事を見極めるための情報量を計測するように――情報過多になって錯誤しないためにも、適量を持って的確に見極めるようだ。
勿論、言うまでもないことではあるが、この他ならない思考は八千代だけが持つものではなく、少数ではあるだろうけれど、探せば同じような思考回路を持ち合わせている者もいることだろう。
例を出して表現したけれど、それが別段特別というわけでもない。
知能指数のことを一般的にIQと呼ぶが、知能検査の結果によってはさらに違った思考が生まれることだろう。
或いは、心理異常者の思考回路とか――サイコパスとか。
「少年、これは一体、何だと思う?」
規制線を跨ぎ、教授が殺害された現場に足を踏み入れて、僕は呆然とする。
『神宮司』の犯行だという推測が立っている以上、それはつまり殺害現場に彼らの存在を暗に指し示す遺留品が何らかの形で残されているということだ――けれど、それは想像だにしていなかった《もの》だった。
そこにあったのは、殺害に使用された凶器でも『神宮司』が残した決定的な証拠でもなく――上下に可動する大きな二枚の黒板に書かれた――
『Hi boy,who the fuck do i hang out with?』
「それと――」
八千代が無表情に指を指す先には花束が置かれていた。
殺人現場の異様さをより感じさせる花束。
まるで殺害された教授を弔うかのように、凄然と添えられていた。
けれど、どこか似合わない、どかかそぐわない――殺人現場の異様さがより増しているのは、その花束が綺麗なものではなかったからだ。
殺人現場や事故現場に添えられる花束はどれを見ても儚いもので、その凄惨さが一目で伝わるものだけれど、この場合、そうではなかった。
黒。
真っ黒。
闇。
闇色。
ブーケと言ってしまえば、ウエディングブーケのような純白の祝福を連想しがちではあるけれど、それとは真逆のものだ。
祝いならぬ、呪い。
死者を弔うわけでもない、むしろ冒涜し、殺人行為を肯定するかのような印象を与えるにはそれだけで十分だった。
闇色の花弁が反り返り、中から奇妙な色の雄蕊と雌蕊が見える。
緑の、不快感を増幅させるものだ。
「ふふ、これは何と言うか、何と言えばいいのか。まぁ、この現場を見る限り一般的な殺人現場とは言えないな。確かに、『神宮司』がやりそうなことだ」
「……そう、だな」
八千代は不敬にも楽しそうに笑みをこぼして、既に回収された死体についての情報を得るべく規制線の外側で鑑識官の話を聞くようだ。
はぁ。
はぁ、と僕はそこで二度溜息に似た深呼吸を吐いて、乱雑に一面に書かれた英文に目をやる。
『Hi boy,who the fuck do i hang out with?』――これは一体どういう意味だろう。
えっと……。
直訳は『少年、私は誰と遊んでいるのでしょう?』になるのか。
いや、少しニュアンスは違うかもしれない。
授業ではおよそ教わらないスラングのせいで、的確な訳がわかならない。
それに。
この黒い花束は一体何だ?
まるで意図的に染色されたような黒い花だ。
一見、百合の花にも見えるけれど、花についての知識は皆無なので確証は得られない。
「黒百合さ。珍しいよね、黒百合。黒い、百合の花。見た目はちょっと奇妙だし、見ていて癒されないよね。けれど、香りはとても良いんだよ、見た目とは裏腹にね」
不思議に花束を見つめる僕の背後でそんな声が聞こえる。
声の印象だけで、好青年だと判断できるほどの透き通った真っ直ぐな声。
はっきりと自分の意思を表示することができるような、そんな声だった。
「あぁ……あなたですか。お久しぶりです、三間さん」
「久しぶり、衛理くん」
三間 弦義。
警視庁刑事二課所属、刑事課長――三間警部。
外見と声だけを伺えばおよそ二十代に思えてしまうが、実の年齢は三十六歳である。
まぁ、しかし。
その若さで刑事課長を務めているのだから、言わばスーパーエリートだ。
将来有望、才徳兼備、聖人君子。
「あれから、どれくらい経ったかな。まだあの時の余波は残っているようだね――」
三間さんは過去を懐かしむと言うより、思い出したくもない過去を回想するような表情を見せた。
「あれから、ですか……」
そう。
どうして一般人で平凡な僕が三間さんのような一生関わることができないほどの遠い存在と関係を持っているかと言うと、それはおよそ半年前に起きた集団自殺事件で僕と八千代同様、その捜査に当たっていたのが彼というわけだ。
共同戦線を張り、向かうところ敵無しと言わんばかりに捜査に入り浸った――その事件が収束を迎えた今でも、三間さんは当時の己の不甲斐なさを気負っているのだろう。
彼の苦痛に満ちた表情を見るだけで、読み取れる。
まぁ。
それを言ってしまえば、僕なんて屁の役にも立っていないのだけれど。
いや、屁の役割は人体の構造上必要不可欠なものなので、言うなれば僕はゴミの役にも立っていないわけだ。
平凡でどこにでもいるような大学生である僕がこうして警察機関と共に殺人現場に足を踏み入れることができるのも、三間さんの計らいのおかげと言えるだろう。
勿論、顔が利く八千代のおかげでもある。
今では、『八千代が連れ回す小僧』という蔑称にも似た通り名で警察機関も暗黙の了解としているらしい。
一般人である僕を殺人現場に入れ、さらには捜査の一端を担っている(役には立っていない)ということを公にすることができない以上、僕の存在は警察内部でしか語られないことではあるけれど、しかしどうしたって、その蔑称を心から受け入れることはできそうにない。
八千代の隣で悠然と殺人現場に踏み入る僕の心中には、鼻高々という的外れな勘違いが微かに存在しているのだが、それもそうだろう。
全くないと否定し切れない。
顔パスの如く当然のように現場に入るのだ、まるで大御所芸能人にでもなったかのような錯覚に陥ることだってあるだろう。
八千代の存在のおかげというのにも関わらず、勘違いも甚だしいけれど。
鼻頭を伸ばして、意気揚々と現場に踏み入れる僕の気付かないところで、囃し立てられているけれど。
「おっと、それじゃ僕はそろそろ行くよ。衛理くん、またね」
「行くって、どこにですか?まともに現場検証も済んでいないのに」
「知っての通り、殺人事件はこれだけじゃないからね。そっちにも急行しないといけないんだよ」
あぁ、と僕は思い出すように相槌を打った。
通り魔殺人事件、か。
三日前、僕を襲った殺人未遂事件――それと関連性があるかもしれない、通り魔殺人事件。
「あ、そうだ――」
三間さんは僕に背中を向けた去り際に言う。
「花言葉、知ってる?」
「あぁ……いえ、花には全く知識がないので」
「ふふん、そっか。黒百合、黒い百合。花言葉は――」
「――呪い」
全身の毛が逆立つ感覚に襲われた僕は何も言えず、身を固めたまま三間さんの去っていく背中を眺めるのだった。
腹部に鈍痛が走った。