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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
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殺傷能力 Ⅲ

 三日間の睡眠と言うより、五日間の飲まず食わずの生活は存外知らず知らずの内に体が悲鳴をあげるようで、体の節々が痛む中、それ以上に捻り切れそうな胃袋を治めるべく、先ず第一に病院からその足で向かったのは大型スーパーである。

 日用品は勿論、雑貨や家具、さらには愛玩動物など多種多様の品揃えを誇る超大型スーパー。

年中不休、二十四時間営業。

利用者からすればそれは便利なのだろうけれど、一方で従業員の過労や体調面が心配になってしまう。

まぁ、こんなこと利用者である僕がする心配ではないのだけれど。

しかし、近所ということもあって頻繁に通うので、訪れる度に見覚えのある顔の従業員がいるとどうしても気になってしまう。

 頻繁に通う、と言うのも。

 それは自分の空腹を満たすためということではなく、主に八千代のためだ。

食が細いとか、小食とか、そういうことではなく、彼女は食事そのものを自主的に取ろうとはしない。

そもそも食事に興味がない、と言うより、その行為自体に意味を見出していないような、そんな風に見受けられる。

勿論、どれだけ異質と言われようが、どれだけ異端だと言われようが、彼女もまた僕と同じ人間なので生きるためには食事をしなくてはいけないし、命を繋ぐためにも栄養を摂らなければいけない。

そんなこと、僕が言うまでもなく彼女は理解している。

理解しているけれど、それを訊く度に彼女はまるでどうでもいい物忘れでもしたかのような素振りをするのだった。

美味しいとか、不味いとか、料理に対する感想を述べずに食事をする様はそういったことに起因しているのかもしれない。

それはただまさしく命を繋ぐという文字通りの意味での行為としか捉えていないのだろう。

 だから、まぁ。

 八千代の命がこうして現在も続いていることは多少なりとも僕のおかげと言えるだろう。

僕が彼女を生かしていると言っても過言ではないのかもしれない。

過言でもあり、恩着せがましい行為でもあるのかもしれないが。

 

「……ん」

 八千代の冷蔵庫に眠ったままの食材(これも勿論、僕が買ったもの)を思い出しつつ、そしてそれを利用できるメニューを考えつつ、志木式さんから痛み止めとは別に貰った内服薬があることをふと思い出した。

恐ろしくてどのような効果がある薬なのかは訊かなかったけれど、志木式さんのことだ、体に毒のある薬を渡すなんてことは間違ってもないだろう。

そう。

間違っても、彼女は看護士だ。

 そんなことを考えながら、ついでに栄養剤でも買ってそれと一緒に薬を飲もうと考えながら、レジ近くに並ぶ『激安特価!』と名目を掲げた商品棚から一番安い栄養剤に手を伸ばす。

 手を伸ばして――

 その手は空振りに終わる。

背後から伸びてきた手が僕の手を避けるように先に商品を掴んだのだった。

 気にせず。

 気にも留めず、僕は再度、同じ商品に手を伸ばす。

伸ばして――

再度、空振る。

「…………」

 まぁ、スーパーに行けばこんなこと日常茶飯事だろう。

人気アトラクションのように商品の前に並ぶなんてことあるはずがないわけだし、むしろ目当ての商品は逸早くカゴに入れるべきなのだ。

横取り行為と見受けられなくもないけれど、別にそこに確固たるルールがあるわけでもないし、マナーが存在していたとしても、それに則って行動する理由も特別ないと思う。

そう、思う。

 ともあれ。

 二度に及ぶ『手』によって、一番安い栄養剤が尽きてしまった。

『激安特価!』と銘打たれているものの、中にはかなり高価な商品もあり、その中でも唯一の値段だったのに。

 ふむ……。

 なら少しは値が張ってしまうが、仕方ないだろう。

後で八千代から食材費が貰えるわけだし、いっそのこと一番高価な栄養剤でも買ってしまおう。

 と、手を伸ばす。

中でも、目を疑うような価格の栄養剤に手を伸ばして――

空をかく。

またも、背後から伸びてきた手によって、遮られた。

 まぁしかし、幸いなことに購入意欲を削ぐほどの値段だからなのか、大量に売り余っているのだ。

何度先に商品を取られようとも、いずれ僕の手に渡るはずだろう。

 そう思いながら、再度、挑戦。

 再挑戦。

「…………」

 しかし、空しくも、四度目の空振り。

「………………」

 五度目の空振り。

「……………………」

 六度目、七度目、八度目。

「…………………………」

 わざとなのだろうか。

いや、偶然だったとして、何度も何度も同じ商品を横から奪われると嫌でも必死になってしまう。

たかが栄養剤一本を買うのに、本気になってしまう。

 そこで、違う栄養剤に手を伸ばしてみる。

 伸ばして――

やはり僕の手は空振る。

「…………」

 絶対にわざとだ。

性善説に(のっと)って、人を無闇に疑うような真似をしたくないけれど、しかしこの場合、どうしたって僕の腹の虫が収まるわけがない。

違う商品に手を伸ばそうが、どれだけ素早く手を伸ばそうが、それは遮られ、僕を遥かに超える速度で商品を掻っ攫われる。

誰がどう見たって、狙ってやっているに違いない。

他人が目をつけた商品を幾度となく横取りする行為は例え明確なルールがそこになくとも、常識の範疇を超えている。

マナーに則る理由がない、そう言ったけれど、少なくとも人として――他人と共存するに当たって最低限必要なマナーがあるだろう。

マナーに則らなくとも、それを考えて、守るべきだ。

 よし……。 

 ならば、振り返って、一つや二つ文句でも言おう。

そうすれば、たかが栄養剤、一本くらい買えるだろう。

まさか、商品棚に並ぶ全ての栄養剤を欲する人間なんているまい。

ましてや、一本も譲る気などない、なんてそんな心の狭い人間もいないだろう。

 

 心を決め、振り返る。

 振り返って――

「十、二十、三十……三十五――」

 彼女は。

 眩しいほどに鮮やかな金色の髪をした彼女は、カゴに入った大量の栄養剤を数えていた。

「えっと……」

 あれ、僕は何を言おうとしていたのだろうか。

 カゴに入った目を疑うほど大量の栄養剤、そして、嫌でも人目を惹きつける金色の髪。

そんな様に目を奪われ、言葉を失ってしまう。

「あ?何か用か?」

 金色の彼女は僕に向かって、そんな風に、高圧的に言った。

 顔を上げて、彼女の顔立ちが明らかになって、僕はさらに目を奪われた。

赤面する。

僕がだけれど。

「ったく、何も用がないんだったら振り向くなっての。敵かと思うじゃねぇか」

「えっと……」

「あぁ、悪い。もしかしてあたしのせいで買えなかったって感じか?」

「……え?」

 振り返れば。

商品棚にあった大量の栄養剤がなくなっていた。

なくなっていた、のではなく、正確には彼女が持つカゴの中に収まっていた。

 驚愕。

 驚き。

零れ落ちそうなほどに、山盛りになったカゴを平然と手に持つ彼女にも驚いた。

開いた口が塞がらないというのは、まさしくこのことを言うのだと思った。

「おいおい……泣きそうになってんじゃねぇよ。悪かったよ、確かにあたしが大人げなかった。少しくらい分けてやるから。ほら、カゴ出せ」

 そう言って、彼女は僕が持つカゴに大量の栄養剤を流し込む。

一気に重みが僕の手を襲う。

「え、えっと、こんなにいらないんですけど」

「あ?何だよ、せっかく分けてやったのによ。面倒くせぇやつだな、お前」

 初対面だと言うのに、彼女は辛辣に心底呆れたように言った。

「あぁ――えっと、ありがとうございます……」

「おう!」

 大人びた見た目とは違い、快活な返事と共に見せた無邪気な笑顔はどこか違和感を覚えるものだったけれど、一方でその間隙(かんげき)は僕に強烈な印象を与えたのだった。

 それは八千代と初めて出会った時のことを彷彿とさせ、どことなく彼女と似ていると思わせた。


 初対面にも関わらず、(なび)く。

 震える。 

 ――揺らぐ。

 









        ◆








 八千代の住む高級マンションの重厚な門扉を潜り、エレベータを待つ中で後ろから声を掛けられた。

 突然の発声。

 僕は人生を謳歌する大学生であるのに、友達と呼べる人間は限られている――友達が多い方ではないので、道端で偶然知り合いに出くわすという機会が皆無なのだ、だからこうして唐突に声を掛けられても、それが誰に向かって発信しているものなのか、それを理解するのに時間がかかってしまう。

けれど、この場合。

エレベーターを待つ他の人がいない、というこの状況の場合。

それは勿論、僕に向かって発信された声ということだ。

ただの独り言である可能性は否定できないが、「ねぇねぇ」と背後から聞こえた声をどう解釈したところで、どう斜めに理解したところで、それが独り言ではなく明確に僕を目掛けて放たれた言葉という以外他にないだろう。

まさか、独り言で「ねぇねぇ」などと、そんなことを言う人間はいないだろう。

いや、それ以上に、独り言で誰かに話しかけているその様を想像するだけである種の恐ろしさを感じられる。

「えっと、なんですか」

 振り返って。

 僕は彼女と知り合いではないことを確信する。

見たこともない、僕と同じくらいの年齢だろう。

「私、この後死ぬの。死ぬ直前の人の気持ち、知りたいと思わない?」

「思わない」

 僕はそんな意味不明のことを突然言い出した彼女に即答して、背を向けた。

「え、あ!ちょっと!」

「…………」

 何だ、この人。

恐ろしい、って言うか、怖い!

見ず知らずの他人に理解不能な言葉を放つ彼女の精神状態が恐ろしい。

大丈夫、こういうのは関わらなければ――無視を決め込んで、相手にしなければ自然とどこかへ行ってくれるはずだ。

「キミさ、でも、すっごく知りたそうな顔してる」

「…………」

「うーん、違うなぁ。死ぬ人の気持ちがどうと言うより、人が死ぬ理由を知りたい――みたいな感じかな?」

「自殺志願者の気持ちを理解できずとも考える、けれど、首を吊った人の気持ちは考えない、みたいな」

 彼女は背後で滔々(とうとう)と言った。

 無視しよう……。

 それに限る……。

「人を殺す理由はあっても人が殺されていい理由なんてない、なんて言う人がいるけどさ、それっておかしいよね?人を殺す理由と同じくらい、人が殺される理由もそこにあると思うんだよ」

「まぁ、でもさ、さすがに理不尽な殺人に関して言えば、通用しないけど。例えば、無差別殺人とか、通り魔とか――」

 僕はそのフレーズを聞いて、一瞬にして反転する。

彼女を正面に見据えて、少し距離を取って、身構える。

身を構えて、いつでも反応できるように彼女の一挙一動に目を凝らした。

 通り魔。

 無差別殺人。

 それは、つい先日、僕を襲った未だ解明されていない謎の事件だ。

犯人も、謎のままだ。

「えっと……何かな、急に」

「…………」

 僕は無言のまま、驚いたような表情の彼女を見つめる。

「あれ、私、なんか気に障るようなこと言っちゃった?え、えっと……さすがにちょっと怖いんだけど」

「…………」

 怖いのは僕の方だ。

 なんて、そんなことを思いながら。

「君は――誰なんだ」

「へ?」

「君は誰だ」

 私は――

 と、彼女は怪訝な顔つきのまま言った。


籠目 紫(かごめむらさき)、現役女子高生やってます!」

「……それ、本名か?」

「キミ、失礼だね。そんな顔してる」

「お互い様だろ……」


 彼女への不信感を拭いきれないまま、僕たちは同じエレベーターに乗った。

 今日の僕はどうやら初対面の人に縁があるようだった。


 不運にも。

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