殺傷能力 Ⅱ
さてさて、どうしてこんな目に遭わければならないのか、思い返してみて、二度に亘って命を狙われる理由など、思い当たる節は何もない。
当然である。
もしかすれば、六月八日――八千代のマンションを訪れた際に手土産として彼女の愛煙するタバコを持っていかなかったせいかもしれないが、例えそうだとしても、殺されるなんてたまったものじゃない。
そんな理由で死ぬのなんて、御免だ。
しかし、それを言えば、人を殺す理由など深く考察するべきことではないかもしれない。
殺害動機など、多種多様なのだ。
言ってしまえば、『何となく』という理由もまた動機とも言えよう。
気分気ままに殺人を犯す人間の思考を理解しようとも思えないし、理解したくもないけれど、それはそれで当人からすれば立派な動機なのだろう。
そんな理解不能な動機でも、人を殺せるのだろう。
殺害動機のほとんどは、恨みや妬み、憎みからくる、対象の淘汰――或いは、『障害』の排除なのだから、考えてみれば、それもまた『何となく』というそれと何ら遜色ない。
他から見れば、その程度の理由で――と捉えられよう。
ある人からすれば、真っ当だと捉えられよう。
或いは、筋が通っているとか、合理的だとか、理に適ったとか――結局、殺人行為そのものは悪に変わりないのが、しかし、主観でしかそれを語ることができないのもまた事実だ。
正義も、悪も、主観でしか語れない。
だからと言って、殺人行為を正当化するつもりは毛頭ないわけだが、殺人行為のみに関わらず、それでしか語れない事実はそれこそ多種多様だろう。
殺人動機と同様に、多義に亘るだろう。
また一体全体どうして僕が狙われているのか――二度も殺されそうになったのか、だからこそそれには明確な理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
それがあったとしても、なかったとしても、理不尽だけれど。
しかしそれを言えば、事件の犠牲者や、事故に巻き込まれたり、被害者とは常に理不尽だろう。
それに頭を悩まし、自分の行いを意味もなく悔いたり、圧倒的に暴力的な現実に悲観に浸ってみたり――僕はそれに意味があるとは思えない。
いつでも死というのは理不尽であることを知っている。
不合理で、不条理で、筋は通ってなくて、受け入れ難い現実であることを知っている。
八千代と共にするにあたって、僕も幾度かそんな場面を経験してきた。
いや、慣れ親しんできた。
人の死を身近に感じてきたし、だからこそ、よくわかっている。
死は遠く実感の湧かないことのようで、誰にも――誰もが皆等しく隣にそれを置いている。
まぁしかし、それを認識しているのは極少数だろう。
冬の名残を留めた春頃に、 僕はそれを嫌というほど経験し、目の当たりにして、何度も何度も吐いた――連続自殺事件。
僕が死に慣れ切ってしまった理由はそれに起因する。
今ではもう、死体を見ようが、眼前で虐殺を繰り広げられようが、吐き気もしない。
鉄の錆びたような鼻をつんざく臭いにも慣れたし、内臓の柔らかいゴムとガムを混合したような感触も知ってる。
赤黒い塊から垣間見える橙色の光沢を放つ肉塊も何度も見てきた。
腕の切断面から飛び出る太い管や、白光りする細い神経、真っ白の骨片。
首の切断面とざくろを割った中身とが酷似しているというのは、あれは比喩でも、例え話でもなんでもなく、まさしくそうだと、あの時の僕はそう思った。
そんな状況下で、悠長に雑学の真偽を確かめることができるのだから、むしろ『慣れ』を通り越して狂っているとも言っていいかもしれない。
八千代と林檎ちゃんが異才と言うのなら、僕は狂乱――いや、これは別に的を射ているわけではないし、うまくもなんともないか。
自分のことをそう揶揄して、僕にどんな利益があるというのだ。
だから、そんな。
そんな、慣れ親しんだ死が、今まさに僕の目の前までやってきている。
殺意を向けられ、殺人のために殺害されかけている。
この状況――
「ちっとも、笑えない冗談だよ……」
と、僕は病室のベッドの上でそう呟いた。
六月八日に襲われ、三日間も眠り続け、そして目覚めてすぐにまた襲われ――それにしても、一つ奇妙な点がある。
奇妙というか――いまいち理解し難いことで。
一体、どうして立て続けに二度も襲われたのか、ということではなく。
一体、どうして『違う犯人』がそれぞれ僕を襲ったのか、ということだ。
考えるなら、六月八日に僕を襲った彼女――彼女が未遂に終わってしまったことを悔い、再度殺害を試みる、というのならまだわかるし、理解のしようもある。
けれど。
どう見ても、彼女と、彼は別人だった。
そう――
彼と言うのも、あの声は男性のそれだった。
青年男性と言うよりかは、少年っぽさの残る、あどけない声だったけれど、聞き間違いのない確かに男性のものだったのだ。
男性と表現するより、少年とした方がいいか。
少年。
その少年。
まさか、最初に僕を襲った彼女が実は少年だった、なんてことはないだろう。
唐突なことだからと言って、女性と男性を見間違えるほど僕の目は節穴じゃない。
死んだ魚のような目だったとしても、節穴ではない。
女性らしからぬ、男性。
男性らしからぬ、女性。
そんな人も少なからずこの世にいる以上、断定こそできないが。
まぁ、しかし。
最初に襲った彼女の主な判断材料は声なので、もしかすれば、本当に僕の目が節穴で――この場合、目ではないけれど、ともかく、彼女が男性であるという可能性も無きにしも非ずである。
だとしたら、同一犯という可能性が浮上してくるわけだけれど、それもまた明確に肯定できまい。
二度目に襲ってきた彼は、若い声に見合った体格だったので、もしかすれば本当に年端もいかない少年かもしれない。
こんなことなら、彼女の姿をしっかり目に焼き付けておけばよかった。
強烈な痛みでそんな余裕など皆無だったけれど、後々になって、こんな有耶無耶な推測をするくらいなら意地でも視認しておけばよかった。
後になって悔やむ。
あの時の、不甲斐ない自分を。
こういうことをまさに『後悔』と呼ぶのだろう。
後悔しても、手遅れだ。
彼女と彼は、後悔しているのだろうか――
それとも、それこそすでに手遅れなのだろうか――
「…………」
よし。
それなら――
と、僕は決意する。
殺人未遂を二度も経験して、林檎ちゃんが哀れみの表情で病室から出て行った後、僕はナースコールを押した。
林檎ちゃんに構ってもらえなかったから、という理由で押したわけではない。
看護士の方々に助けを求めるわけでも、勿論、ない。
誰かに襲われた、なんて言えるはずもなく。
どこか、腑に落ちないことがあったのだ。
それもそうだろう。
最初の事件が発生してから、もうすでに三日目。
被害者である僕のところに警察機関が誰一人としてやって来ないのだ。
本来なら、目を覚ましたという一報を聞いて、飛んできてもいいはずだろう。
それに。
どうだろうか、犯人が同一人物だろうとなかろうと、立て続けに殺されそうになっているのだ――これは、偶然なのだろうか。
目標を、対象を僕に固定して殺意を放っているのではないだろうか。
あくまで推測だけれど。
警察機関に通報するかどうかは一先ず置いて、もう少しだけ様子を見よう。
その間に殺害されるようなことがあれば元も子もないが、今は未だ、ほんの少しだけ。
そのためにも――僕が殺害対象として狙われているという可能性がある以上、この病室にいつまでも留まっているわけにもいかない。
犯人が不特定多数『n』なのか、同一人物の単独犯なのか、それはまだ明らかになってないけれど、一人にはすでに知られてしまっているのだ。
それに、病室で療養ともなれば、僕自身の動きも鈍る。
無差別の犯行で、僕が二度襲われたことも偶然なのだとしたら、不幸中の幸いとも言えるし、そうでないのなら、病室から逃亡するという判断は必然であり正しいだろう。
それが不明瞭である以上、だからこそ、僕は一つの可能性を消すためにも、脱走する必要がある。
それなら、どうしてナースコールで看護士を呼んだのか。
勿論、正々堂々逃亡するわけにもいかない。
正面切って、脱出するわけにもいかない。
しかし。
僕には最高の切り札があった。
ジョーカーである。
まさしく、ジョーカーである。
「はいはいはいはい、仰せのままに来ましたよ、っと。担当違うんだからさ、理由こじつけてこの病室に来るのも本当は大変なんだよ?ちょっとは労わって欲しいわ――むっ、何やら南名っちから不穏な空気が……」
「いやだなぁ、ババなんて言ってませんよ?」
この病院の名物看護士であり、スーパー看護士であり、そしてこれは素直にたちの悪い噂によると、僕の彼女――志木式さんである。
冗談半分、噂の話であるが、それくらい彼女は病院内で人気者であり、同時に僕は嫉妬の対象なのだ。
どう見ても、僕は被害者だけれど。
「誰がババだ、誰が。あたちはまだこれでも二十八歳、ぴちぴちのきゃぴきゃぴのるんるんだぞ!」
「……はぁ」
あたち?
ぴちぴちのきゃぴきゃぴのるんるん?
相変わらず、ぶっ飛んだ看護士だ。
僕は志木式さんの理解不能な言葉を軽く受け流して。
「志木式さん、僕の彼女として一つお願いしてもいですか?」
「いいよーん、なんでも。あたち彼氏の言うこと何でも聞いちゃう!」
「…………」
自分で振っておいて、志木式さんの適応力に引いた。
登場してままならない内に、キャラが崩壊した。
いやまぁ、けれど、やっぱ志木式さんは楽しい人だ。
こんな風に、病院内で延々と駄弁っているから、僕たちが恋人同士という噂が立つんだろうか。
「そうそう、昨日さ、南名っちの病室掃除して、布団とかも変えてたわけよ。そしたら、何か臭いなって思って、辿ればどうやら君のベッドからするみたいなんだよね。まぁ何日もずっと眠ってたわけだし、そりゃそうかって考えながら掛け布団をめくったらさ――南名っち、えっと、えー、お……おねしょ、してたよ」
「嘘つけ!」
「いやでも仕方ないよ。眠ってる間、排泄できなかったんだからさ。溜まったものが溢れ出るってのは、うん、仕方ない」
そう言えば。
林檎ちゃんが出て行った後、トイレを済ませたけれど、尿意はあまりなかったような……。
襲われたのは便意であって、尿意ではなかったような……。
「嘘だと言ってください……」
「あ!」
志木式さんは唐突に大きく声を上げる。
「あ、ごめん、南名っちのことじゃなくて、林檎っちの話だったわ。あぁ、やっちゃった、どうしよ」
「いや、そのおねしょ僕なんで、僕のやったことなんで、全て僕のおねしょなんで、林檎ちゃんは何も関係ないです。と言うか、林檎ちゃんはおねしょなんかしませんよ。おねしょどころか、あんな少女が排泄なんてしません、絶対」
「君は少女にどんな夢を描いているの」
ともかく。
僕はこんな内容のない会話をするために、志木式さんを呼んだわけではない。
とにかく。
本題に入らないと、いつまで経っても続いてしまう。
志木式さんと会話すれば、いつまでも喋っていられてしまう。
「志木式さん、単刀直入に言います。痛み止めを処方してください」
「痛み止め……どうして?」
「ちょっと複雑な事情があって、家で養生しようと思います。さすがに傷も酷いので、快適な在宅ライフを送るためにも、痛み止めが欲しいんです」
半分は本当で、半分は嘘である。
まぁ、嘘も方便、嘘八百というやつだ。
「うーん、えっと、君の言ってることは理解できるけれど、痛み止めなんて服用してたっけ」
「あぁ、そっか。志木式さんは聞いてないんでしたね。何やら林檎ちゃんが指定した痛み止めを服用してるらしいんですけど、それが効くので、同じものが欲しいんですよ」
「それは知ってるよ。林檎っちが叱咤しながら指示出してたからね。さすがに私もついて行けなかったけど」
「ん、知ってるんですか?なら、話は早いです。それをこっそり、忍の如く掻っ攫ってきて欲しいんですが」
「えっと、南名っち、あれ痛み止めじゃないけど?」
痛み止めじゃない?
それならどうして、痛みを全く感じないんだろうか。
いや、全くというわけではないけれど、少なくとも、過度な負荷さえ掛けなければ日常生活くらい余裕で送れそうなのだけれど。
「痛み止めじゃなくて、神経毒薬だよ?」
「…………」
暫く沈黙して。
「……は?」
「いやだから、神経毒薬」
「毒――」
「さすがに傷口を直接触ったりしたら、多少の痛みは生じるけど、今の南名っちは擦り傷とかくらいなら全く痛みを感じないはず。痛覚が死んじゃってるもん」
「……は?」
「正確に言えば、痛覚は機能してるけれど、脳まで伝達する神経を障害してるから、痛みは感じないんだぜ?」
「いやいやいやいや、感じないんだぜ、じゃないですよ。何やってるんですか、何やっちゃってるんですか。神経毒薬って、もうそれが何なのか理解できませんけど、それってやばくないですか?」
「私は関与してないから。責めるなら林檎ちゃんを責めてね。まぁでも暫くしたら、次第に中和されてくから安心して。生命維持に何の支障もないから。ちょっとばかし、痛みの感じない人間になるだけだよ」
「痛みの感じない人間は人間じゃないです……」
「小さいこと言うな。便利そうでいいじゃん。片腕くらい吹っ飛んでも『あ、痛っ』くらいで済むかもよ?」
だめだ。
この人に何を言っても無駄かもしれない。
「南名っちは痛みの感じない人間じゃない人間になってしまった――しかし、最初から人間の痛みを感じない人間でもあったのだ――」
「……なんにも、うまくないです。理解不能です」
「あはははっ、まぁいいじゃないか。まぁ、さすがに私の無いに等しい権限で退院ってことにはできないから、その点は了解しておいて。脱走しても、それは目を瞑ってあげるけどね。一応、『本物の痛み止めのようなもの』は持ってきてあげるから」
「あ、はい……ありがとうございます」
南名っち――
南名っち――
と、志木式さんは妙に意味を含ませたように、一拍置いてから言う。
声のトーンは変わらないものの、やけに神妙な、なんとも言えない表情だった。
「あんまり、無茶しちゃ駄目だぞ」
僕はそれに小さく頷いて、志木式さんが病室からあくびをしながら出て行くのを見送った。