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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
34/36

外れた世界の場合

喫茶店からとある病院までは徒歩でおよそ十五分足らずの場所に位置している。

そこは僕が林檎ちゃんの見舞いで頻繁に訪れる場所でもあり、そして、今月に二度も入院する羽目になってしまった場所でもある。

 一度目は籠目 甘奈――神宮司 甘奈に襲われ、

 二度目は籠目 紫に襲われ。

 僕のような――自ら殺人事件現場に足を踏み入れるような狂った人間の命さえも救い、善人だろうが悪人だろうと等しく救命し、平等に看護するそれの偉大さに頭が上がらないのは事実だった。

けれど、まるで聖人の集団であるかのようなサンクチュアリを無断で脱走した挙句、天罰が下ったのか、再度強制送されたことについて、内心では罪悪感を覚えざるを得ない。

 思うように足が前に進まない中、視界に病院が入ったところで前からこちらに向かってくる一つの影を発見した。

 小さな体躯。

 矮小なそれとはかけ離れた知能。

いや、矮躯だからと言って、知能も等しく貧困であるという偏見は自分で思う以上に醜いことだけれど、何だろう、彼女の身体と精神の間隙は僕にとってかなりの違和感を覚えるものだったのだ。

 彼女は天才である。

 彼女は鬼才である。

 彼女は異才である。

 そして何より、周囲とは異なる――常人とは遥かに異なる異彩を放っている。


 旗桐 林檎(はたぎりりんご)


 義務教育課程に属する身なれど、彼女は学校に通っていない。

彼女にとっての学校と言えば、一年のおよそ半分以上を過ごす病室がそうだし、彼女にとっての学業と言えば、それはとうに終了したことだった。

終了して、終業したことだった。

 学業と呼べる学業の全てを、勉強と言える勉強の全てを終えた――《世界から外れた少女》であった。

 だからこそ、一般の世界から外れてしまった林檎ちゃんだからこそ――彼女は病室という檻の中に閉じ込められている。

いや、自らの世界を形成するために、他人の世界を脅かさないように閉じ篭っている。

 病室ですることと言えば、専ら難読難解の論文を読むことで、しかし、その中でも稀に読むことで知的レベルを大幅に下げてしまうかのような下品な漫画を読むこともあった。

林檎ちゃんにとって、読書イコール勉学であるという一般的な解釈は通用しないのだろう。

しないからこそ、そうして何の取り留めもなく多様な書籍や論本を濫読(らんどく)することができるのだろう。

 林檎ちゃんの知能の底は計り知れず、僕のような平凡な大学生にはおよそ理解が及ばない域に達していることは間違いないのだけれど、しかし、僕のような平々凡々だからこそ言えることがあるとすれば、それは経験不足だ。

 彼女は圧倒的に経験値が不足していた。

 どれだけ頭がよかろうと、勉強ができただろうと、林檎ちゃんはそれを経験したことがまるでない。

それは自分の感情が果たしてどれに当てはまるのかを知らない――知識で蓄えたものと経験で蓄えたものとが隔絶しているのと同義だった。

 コミュニケーション力も不足しているようで、僕が週に一度の見舞いを欠かさず続けていたのも、それを養うためと言っても過言ではない。

まぁ、それは表向きな名目に過ぎないのだけれど。

 旗桐 林檎。

 林檎ちゃん。

 お互いの視線が合ったところで、僕は薄ら笑みを浮かべながら足を進めた。

 林檎ちゃんは相変わらず無表情で読めない。

けれど、その足を止めようとも方向を転換しようともせず、一定の足取りでこちらに向かう。


「具合はもういいのですか、お兄ちゃん」

 そして、対峙。

 ちらほらと人が行き交う歩道の真ん中ということもあり、僕と林檎ちゃんは車道との間に設置された鉄柵に体重を預けて並んだ。

「問題ない、とまではさすがに言えないかもね。激しい運動はまだ厳禁だし、寝返りで起きることもあるよ」

「そうですか、もし必要なら、またわたしから医師の方々に処方する薬品を見直すよう働きかけますので遠慮せずに言ってくださいね」

「あぁ、うん……そうするよ……」

 僕は苦笑いして、

「そう言えば――」

 ずっと抱いていた疑問を投げる。

「前に病室で林檎ちゃんに出した問題だけど、どうしてあんなにあっさり解答を出せたんだ?実際、ほとんど言い得ていたわけだし、問題が不十分だったから百点の正解とは言えないんだろうけどさ」

「百点の正解ではない、ですか」

 林檎ちゃんは神妙に言う。

 もしかしたら天才のプライドを幼いながらに持っているのかもしれない。

そうだとしたら、僕の言い方が気に入らなかったのだろうか――と、一瞬の後悔を感じたが、それは杞憂だった。

「数学ならバツですね。でも、論文なら九十五点です。そして、証明問題なら九十点でしょう――けれど、推理問題なら百点ですね」

 ふふふ、と大人しく微笑む姿はまるで深窓の令嬢如く、僕の心の最奥を揺すった。

「推理なんて当てつけと後付けにしか過ぎません。推理が的を射ていても射ていなくても、筋が通っているのなら、それは犯行可能だということです。推理は所詮、推理――推測は所詮、推測です。公式を使わずに不定数『x』の解を求めるのと同じですよ。或いは、方程式を使わずに『x』を求めるのと同じことです」

「なるほどね、林檎ちゃんはそう考えるわけだ」

「えぇ、まぁ。強引で傲慢な推理であろうと、成立してしまえば同じことですよね。だって、探偵は犯人を知りませんから。知らないということは、犯行に及ぶまでの手順も知らないということです」

「と言うことは、犯行可能で犯行が成立する推理を当てつけているだけってこと?」

「そうですね、そう言ってしまえば、探偵が悪者のように見えてきますけれど」

 けれど、と林檎ちゃんは続ける。

「推理というものは犯行が可能かどうか、犯行が成立するかどうか――もっと言えば、犯罪がそこにあったかどうかの証明過程にか過ぎませんよ」

 その言葉を聞いて、僕はいつかの八千代の話を思い出した。

 殺人がそこに存在したかどうか――

 証明できなければ無罪になる、ということではなく、最初からそこには殺人なんて起きてなかったということになる――既知の無実と未知の真実。

 私たちは犯人を裁くわけでも法廷で討論するわけでもない――か。

「お兄ちゃんが呈した問いで最善かつ可能な方法はそれだったということです。例えそれが間違っていたとしても、いずれにせよそこに犯罪があったという証明になります」

 林檎ちゃんの頭がキレるのか、それとも僕が鈍感で低脳なだけなのか――おそらく後者に違いないのだろうけれど、言われてみれば確かに推理というものはその程度なのかもしれない。

確固たる証拠がない限り、推測の域はいつまで経っても出ないし、可能性と不可能性を吟味して曖昧な解を出す――それが推理なのだろう。

反対に、有力すぎる証拠はかえって疑いに変わることもあるし、動かぬ証拠ほどそこに何かの意図が含んでいる可能性もあるだろう。

だから結局、いつまで経っても推理なのだ。

 推理は推理でしかない、推測は推測でしかない――その先のステージに進める者は僕でも八千代でも林檎ちゃんでもなく、雪間さんだけなのだろう。

雪間さんか三間さんだけなのだろうと思う。

僕らはあくまで推理者であり、フィクション的に言うと探偵であり、犯罪者を裁く権利はないのだ。

 しかし、それでも。

 権利がなくとも犯罪を証明することはできよう。

 権利がなくとも犯罪を立証することはできよう。

 可能性を肯定できよう。

 不可能性を否定できよう。

 犯罪がそこに存在したと、宗教祖さながらの大声で認知させることができよう。

「で、林檎ちゃんは今からどこに行くんだ?」

「実家に帰らせていただきます」

「……まるで離婚寸前の人妻みたいな言い方だな」

「何やら、旗桐本家と分家に厄介事があったようで、おじいちゃんが危ないから家に帰りなさいと――大それたことではないと思いますが、分家が絡んでいるとなると用心せざるを得ないとのことです」

「そっか。まぁ、何かあれば八千代に頼んでみるといいよ。林檎ちゃん相手でも報酬は耳を揃えて払わなくちゃいけないだろうけどね。金のない僕からも搾取しようとしてるんだよ、八千代は」

 まったく、とんだ守銭奴である。

 まぁそれについては、全ての責任が僕にあるわけなので、利子なし無期限の返済計画を立てる必要があるのだけれど。

「親しい中にも礼儀あり、ですよ。どれだけ親密だろうと、お金で簡単に崩れてしまうものです。お金はこの世界の力の一つですからね」

「それには概ね同意するけどさ。それも読書で学んだ知識?」

「いいえ、自分を律するための、友人を守るための人生論ですよ」

「林檎ちゃんが人生を語るにはまだ早いと思うけどね」

「ですね、ふふふっ」

 そうして、僕と林檎ちゃんは別れを済ませ、互いに別の方向へと進んだ。

 僕は前へ。

 林檎ちゃんは後ろへ。

 林檎ちゃんは前へ。

 僕は後ろへ。


 病院までの足取りは決して軽くはない。

どころか、重くて前に進まないのが現状である。

まるで、人生最大の選択を強いられ、決断するのが怖くて現状を放置するかのような有様に近かった。

現実逃避と言えばそうなのだろうが、しかし、それはただ物事を先送りにしているだけであって、選択を先延ばしにしているだけなのだろう。

 人生とは選択の連続である、なんてどこぞの偉人のような文言を僕のような一介の者がおいそれと発言していいことではないと承知している。

適当な選択をしなければ、バッドエンドにもなるだろう。

しかし、どちらかを選択したとしても、どちらもバッドになり得るという可能性は誰にも否定できない。

最良の選択をしたとしても、それはただ単に、『最悪よりはいくらかマシ』程度のことなのだろう。

 そう考えれば、人生はゲーム的だ。

 人生はセーブができないからゲームではない、という大家の文言がまかり通り中であえて言うのなら、人生はセーブはできないがコンティニューはできる、ということである。

 死ぬまでコンティニュー。

 残機一のコンティニューだ。

 選択の連続が人生なのだとしたら、人生はやはりゲーム的で、そう考えればゲームもまた人生的と言えるのかもしれないが、ゲームは人生ではないのでそれは傍若無人な自論なのかもしれない。

 ともあれ、人生がゲーム的であるかどうかの適当な解答を得られずに到着したのはいつもの病院である。

街の中心である繁華街から少しだけ離れた位置にある、そびえ立つ白い巨大建造物。

 今となってしまえば病院内に這入ることに何の躊躇いもないけれど、当初、僕は足を踏み入れることが億劫だった。

何だかよくわからない嫌悪感を抱いていたのだろう。

そもそも、病院に赴く際、誰が愉悦を感じられるのか――本来なら誰だって病院には通いたくないし、健常でいたいはずなのだから、その時の僕の何とも言い難い感情は説明せずとも理解できるだろう。

 病院が怖かったのかもしれない。

 学校以上に世間から隔離された世界に恐怖したのかもしれない。

 中で何が行われているか知らないからこそ、怖いのだろう。

それが怖くないと知って、僕は初めて病院に対する考えを変えることができたのだと思う。

これはきっと、怖いもの見たさ、と同じようなものなのだろう。

 

 病院内に這入り、受付を済ませ、僕はエレベーターに乗った。

その途中、名物看護士である志木式さんとの邂逅を果たしてしまい、無駄な世間話に付き合わされたことは言うまでもなかった。


「無断脱走の挙句、再度入院!強引な手段で退院後、何の罪悪感もなく再び通院!バカかね南名っち!お姉さん、給料減額の羽目に遭うかもしれなかったんだからね!職失ったら養う覚悟あるのか!ちゃんと……責任取ってよね……」


 などと罵詈雑言を浴びせられたが、最後の言葉だけが違う意味に聞こえたので彼女なりの冗談なのだろう。

そんな冗談の言い合いを日常的にするからこそ、僕と志木式さんの間に浮ついた噂が絶えないのかもしれなかった。

院内の名物看護士との噂となれば嫉妬する者も多く(その多くはご年配の方々である)、僕に向けられる痛い視線は単なる被害妄想ではないという確信は根拠はなくとも伝播する噂が証明していた。

 志木式さんとの世間話は彼女が上司に怒られるか僕が逃げるかしないと終わらないので、この場合、周囲にそれらしき人物がいなかったことにより後者が選択された。

脈絡を無視してまで強引に打ち切ることは非常に申し訳ない気持ちで一杯になるけれど、しかし、志木式さんもその点は十分に察してくれているはずなので、文句を言いながらも解放してくれるのであった。

 そして、安堵。

 台風一過である。

 エレベーターを降り、長い廊下を足音を立てないよう配慮しながら進む。

 音はしない。

 無音。

 入院患者が過ごすフロアということもあるだろうが、妙な静けさを感じた。

 僕は病室の扉である木目調のスライドドアの前で深呼吸をして、ノックする。


 一回。

 二回。

 三回。


 中から辛うじて聞こえた「どうぞ」に反応して、微かな音も立てないドアに感心しながら這入った。

 全開になった大窓から夏の到来を予感させる心地いい風が真っ白のカーテンを(なび)かせていた。

ちらちらと入射する日差しは彼女が寝ているベッドの布団を焦がし、室内には外の香りが漂っている。

 いつもの光景だった。

 いつも見る風景だった。

 これがいつもの情景だった。

 林檎ちゃんを見舞う度に訪れる病室と同じ、僕が入院していた病室と同じ、よく見るよくあるそれに、僕は日常への復帰を改めて実感した。

けれど、それは日常ではなかった。

日常と言うには程遠い光景で、その中に含まれた違和感だからこそ、余計に異物が混入しているような気分になってしまう。

 見れば。

 ベッドの中で体を起こし、こちらに視線を合わせようともしない彼女は、

 顔も合わせようとしない彼女は、

 あの時の活力や元気を微塵にも感じさせなくなってしまった大人しい彼女は言う。

「えっと」

 後悔を滲ませ、罪を悔い、過ぎたことに思い悩み、まるで懺悔するかのような、神に縋るような口調だった。


「ごめんね……」


 その姿は『神宮司』でも『殺人鬼』でもない――普通の女子高生。

 神宮司 甘奈の妹ではなく、籠目 甘奈の妹――籠目 紫。

 平凡な女子高生に過ぎない籠目ちゃんの姿がそこにある。


「具合はどう?」

「普通」

「そうは見えないけど」

「危なかったらしいけど」

「そうなんだ」

「そうみたい」

 籠目ちゃんが甘奈の返り討ちに遭って、腹部を刺された――その事実は紛れもなく真実で、まさか都合よく懐に仕込んだ鎖帷子があったというわけではなく、大量の出血を確認したこともあり、籠目ちゃんの腹部が凶器によって裂かれたのは嘘ではない。

あの時、僕は本当に死んだと思っていた。

死んでしまったと思った。

殺されたと思ったし、殺したとも思った。

けれど、意識を失った後、命辛々、一命を取り留めたのだった。

それについては甘奈が『神宮司』により殺害された後、雪間さんが応急処置をしたおかげと言えるのだろう。

 籠目ちゃんは生きていた。

 罪がないとは言い切れない、法に触れなかったとは言い切れない、しかし誰も殺していないのは事実だろう。

けれど、だからどうしたという話だ。

殺していないから殺人に加担していいわけがない、殺人の片棒を担いでいたということは客観的に見て取れることだ。

 きっと。

 きっとそれが――後悔の種なのだろう。

 『神宮司』を名乗り、『神宮司』の犯行に加担し、真実を隠し、嘘を言って偽って、そうまでして『都市伝説』の実現化を計った――それを後悔しているのだろう。

 好奇心と情欲を煽られ、憧憬を抱いた己を悔いているのだろう。

 思えば初めからそうだったのだ、『籠目ちゃんはあと半歩でも踏み外せば戻れなくなる』――籠目ちゃんと初めて対面した時、それはすでにもう手遅れだったに違いない。

時すでに遅し、彼女はもはや戻れなくなっていた。

帰る術もなければ、帰ることもしなかった。


「座るよ」


 僕は籠目ちゃんの承諾を得ないまま、無言でそっぽを向く彼女のベッドの隣にあった丸椅子に座る。

「甘奈は実の姉だったのか?」

「……うん」

「教室内で殺された森巻 友香――だったっけ、彼女を殺害したのは甘奈だったよね。それなのにどうして籠目ちゃんの生徒手帳が被害者のポケットに入っていて、それでどうして彼女の頭部を持って僕を襲ったんだ?」

 怪我人にこのような質問攻めはあまりにも常識に欠けるかもしれない。

けれど、確認せずにはいられなかった。

それを確かめるためにも、僕は自らの足で、自らの耳で聞くために訪れたのだ。

 籠目ちゃんは暫く沈黙した後、表情をこちらに見せないよう、窓の外を眺めながら言う。

「甘奈ちゃんが殺したってのは本当。生徒手帳は前もって友香ちゃんに渡してたんだ」

「ってことは、森巻 友香が殺されることは事前に把握していたんだね」

「甘奈ちゃんが次誰を狙うかは知っていたもん、だけど、止めることなんてできなかった……」

 だから、と籠目ちゃんは続ける。

 声に力はないが、しかし、その中でもはっきりとした意思を感じた。

「せめて『神宮司』に繋がるヒントを、って思ったわけ……例え疑われることになっても、甘奈ちゃんに繋がるかもしれないから。友香ちゃんの首をわざわざ甘奈ちゃんから貰ったのも、ヒントになると思ったからなんだよ……」

「そっか、そういうことだったんだ。けれど、それなら『神宮司』の主犯格が甘奈だってことを言えばよかったんじゃないか?」

 と、籠目ちゃんはその言葉を聞いた途端に体を震わせた。

歯を食いしばった様子で、小さな拳が握られていた。


「そんなの――」


 声に力が入る。

 先ほどとは一転、以前に感じたような活力が戻る。

 けれどそれは元気と言うには程遠い、怒りのようなものに近かった。


「言えるわけないよ!『神宮司』は甘奈ちゃんで、『神宮司』は甘奈ちゃんじゃなくて……憧れで、大好きで……」

「…………」

 きっと籠目ちゃんは『神宮司』など最初から存在しないということを知っていたのだろう。

そして、『神宮司』を名乗っているのは甘奈だけでなく、複数いたことを認識していたのだろう。

けれど、『神宮司』に対して憧れにも似た感情を抱いていたことは偽りなんかじゃなく、本気だったに違いない。

 だからこそ、

 そうだからこそ、言えるわけがなかった。

 言えるはずがなかった。

 仲間を売るような行為に憚られたのかもしれない、『神宮司』に対する憧憬が邪魔をしたのかもしれない。

前者にしろ後者にしろ、気持ちは――わかる。

それも痛いほどに。

 しかし、籠目ちゃんは言っていたではないか。

 『神宮司』のあり方を肯定しているわけではない、と。

それはつまり、『神宮司』が複数人によって再現される都市伝説に過ぎないということなのだろうか。

いや、違う――そういうことではなく、恐らく、『神宮司』の実現化を名目に人が人を殺すということを否定しているのだ。

『神宮司』を口実に殺人をする不敬者を厭っているのだろう。

「……そうかもしれないね」

 籠目ちゃんは先ほどの威勢を喪失したように脱力した。

「心のどこかではわかっていたんだよ、『神宮司』なんてただの殺人鬼に過ぎないって――憧れるなんてもっての外だって。けど、けれど……どうなのかな……」

「どうなのかなって?」


「籠目ちゃんは死にたかっただけなのかな……」


「…………」

 死にたかっただけ、か。

 その言葉を僕はどうしてか冷静に受け止めることができた。

 寂しいほどに。

 悲しいほどに。

 憂うほどに。

 哀れむほどに。

 不憫なほどに同情する。

 悲しい人間なのだと、哀憫する。

 まるで何もない空白紙を何の目的もなく差し出されたような気分だ。

 空しいと言えばそうなのかもしれない。

 切ないと言えばそうなのかもしれない。

「自殺する勇気がなかったから誰かに殺して欲しいって願っただけなのかもしれないよね。弱いから、死ねない――弱いから殺せない――生きる意味なんて、ない――」

 だから僕は。

 そんなことを簡単に言う女子高生に向かって言おう。


「君は死ぬのが怖いから生きているんだよ。生きたいから死ぬのが怖い。それに、生きる意味なんて誰にもないよ、僕にも君にも。生きている価値もないかもしれない。でも人は、生きる意味を探すために生きているんだよ」


 生きる意味なんて、誰にもない。

 生きなければいけない理由なんて誰にもない。

 死ななければいけない理由がないのと同じで、死んでもいい理由も誰にもない。


 だから。

 だから籠目ちゃんは。


「えっへっへっ」

 と、こちらを見て笑ったのだった。

 快活の中に見せた流れる雫が僕の心の中に落ちた。



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