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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
33/36

嵌った世界の場合

 六月下旬。

 初夏の香りを感じるには未だ時期尚早のようだったけれど、真緑を生やした木々を見る度に、僕は訪れるであろう酷暑を予期して気鬱になった。

 夏は嫌いだった。

そして同様に、冬も嫌いだった。

けれど、生活するにあたって心地いいであろう気温の春秋もどちらかというと嫌いだった。

春は梅雨に滅入り、秋は台風に参るし、乾燥に滅法弱い僕としてはいずれにせよ一年を通して憂鬱にならざるを得なかった。

 八千代は相変わらず、春夏秋冬、一年三百六十五日を通じて冷たい飲み物を口にし、だらしない食生活を惰性で続けているようで、事件が一応の解決を見た後の落ち着いた生活に帰還しても、僕が度々彼女の自宅まで出向き、料理をした。

まるで八千代専属のメイドのような生活にそろそろ慣れ始めている自身の適応力に驚き、そして、引いた。

 家庭的な僕を、僕自身は許していなかった。

それは多分、男は外に出て働くべきである、という古風な考えに基づく理念なのだろうが、生憎、時代は停止することなく進捗しているので、時代錯誤も甚だしいそれについて、いささか改める必要がありそうだった。

 僕の根底にある、僕を形成する理念はともかく、事件以後、八千代と雪間さんは後処理に追われたようで、文句を垂れながらも何とか落ち着いたようだ。

 一応の目処は立った、というべきか。

 特に忙しなく右往左往していたのは雪間さんで、警察機関に属する身としては当然の職務であるのだろうが、そのほとんどを三間さんに押し付けたらしい。

それについて質問すると、

「あたしは警察だけど、公安なんだよ。端から担当が違ぇからいいの。むしろボランティア扱いにされそうになったんだぜ」

ということだった。

 僕が手伝えることは殆どなかったので(当たり前のことだが)、目をひん剥いて勤しむ彼女らを応援するくらいしかできなかった。

 まぁ、ともあれ。

 事件収束後――六月の終わり。

 僕は八千代と雪間さんの三人で頻繁に通う喫茶店に向かった。

 鈴の鳴る扉を開けて、指定席さながらいつもの窓際に座った。

アイスコーヒーを三つ注文して、運ばれるのを待ってから、八千代は切り出した。


「どうだい、麻由紀、首尾の方は」

「あー?どうもねぇよ、あたしは刑事課じゃねーって」

「そっか、相変わらず三間警部に頼ってばっかだな」

「そうだよ、悪ぃか」

 犬猿の仲と言うよりかは、同種族間の喧嘩のようだった。

いや、勿論、彼女らのこの程度の会話を喧嘩と表現することは間違っているのだけれど。

犬猿ではなく、犬々――犬々の仲。

「……甘奈は自殺――あ、いや、死んだんですよね」

「違うさ、殺されたんだよ」

「殺された?」

「甘奈少女の心の中で生きる『神宮司』に殺されたんだよ。そう考えてあげれば、少女も成仏できるだろうさ」

「八千代らしくない言葉だね」

「若者が死ぬのはどうも、ね――感傷的になってしまうものだよ」

 甘奈は――死んだ。

 八千代が放った最後の台詞を聞いた甘奈は、まるで何かの衝動に駆られたように自殺した。

僕の手から包丁を奪い、喉を掻っ切るまで一瞬だった。

躊躇うこともなく、踏みとどまることもなく、迷いもなく、最短距離で喉を裂いた。

 幕切れは想像以上に呆気なかった。

 人が死ぬということは呆気ない。

 呆気なく人は死ぬんだと、忘れていた認識を思い出した。

 あれから――再び犠牲者が出るということはなかった。

甘奈で終わりではなく、もしかしたらそれでも尚、継続するかもしれないと危惧していたけれど、どうやらその心配は無駄に終わったようだった。


「あの事件は別にそれぞれが単独で動いたものではなかろう。むしろ、あれほどまでに共通している点があったのだから、グループを組んでいたのかもしれないな。そのリーダーが甘奈少女だったのかもしれん。報道があって以来、事件は起きていないのだから」

 そういうことなのだろう。

 まさか、それぞれが思うがままに動いていたなら、よりもっと事件が混沌としていただろう。

 屋内殺人と通り魔殺人の連続――全ての事件に共通する、大まかに挙げられるのがそれだった。

「つまり、最初から『神宮司』なんて存在はなかったってことか……」

 僕は独白のように呟いた。

 事件発生当初から『神宮司』を追い、正体を探り、追求してきたけれど、実際はそんなものどこにもいない。

『神宮司』は確かに都市伝説だったし、それ以上でも以下でもなかった。

 そう。

 それはきっと、僕が小学生くらいの頃に流行った『こっくりさん』を見よう見まねでやってみたようなものなのだろう。

『神宮司』を崇拝するとか、憧憬を抱くとかはまた別に置いておくとしても、都市伝説の実現化は誰もが好奇心を煽られるはずなのだから。

都市伝説がどれほど嘘臭くても、妙に現実味を帯びているような気がしてしまうのも、だからこそ、と言えるのかもしれない。

実現しうるからこそ、憧れもするし興味を持ってしまうのだろう。

 実際、事件が収束した今でも『神宮司』の名がネット上で飛び交っている。

その騒ぎがテレビまで影響を及ぼし、特別番組でも『神宮司』の都市伝説について取り上げていたほどだった。

 確かに『神宮司』は世間を震撼させた。

 恐怖に陥れた。

 外出することすらままならない人もたくさんいた。

 人間不信に陥る人もいた。

 他人が他人を白い目で見る光景がよく見られた。

 互いを牽制して、互いの距離を遠ざけた。

 そう考えれば、確かに『神宮司』は実現した――存在した。

それらが彼らの思惑通りだったかどうかはともかく、世間が『神宮司』を既知としたのは確かだった。

たとえ都市伝説だったとしても、明瞭にそこに実在したのだ。

明るみになったのだから――


「『神宮司』か――まんまとあたしらは踊らされたってわけか。そんなもん、どこにもいやしねーってのに、ただの都市伝説だったってのに」

 雪間さんは嘆息した。

「考えれば気付くはずだったのだ、『神宮司』という殺人鬼がどうして都市伝説のように扱われているか――いや、都市伝説そのものだったのだから、それに尽きる」 

 都市伝説。

 街談巷説。

 道聴塗説。

 『神宮司』は最初からそういう定義の中にあった。

「都市伝説と言えば、オカルトと似たようなものだね。あるかもしれない、という曖昧さが妙に情欲を駆る。わからなくもないさ、私だって、小学生の頃は花子さんを信じていたのだから」

 結果、六月八日に僕を襲った未遂事件から始まった連続殺人は『神宮司』によるものではなかった――いや、明確に言えばそうであるだけで、曖昧に言えば『神宮司』による犯行と表現しても正しいのかもしれない。

 どちらにせよ、僕たちには彼らが『神宮司』に見えていたのだから。

世間もそう捉えていただろう。

「ようやく、あのチビの身元が割れたぜ。事件に関わった連中もどっかに身を潜めてるだろうが、遅かれ捕まるだろうよ。まぁ、甘奈は死んじまったが」

 チビというのはきっと、雪間さんに直接連行された彼女のことだろう。

 そうなのだ、思えば、あのタイミングで気付くべきだった――気付いてもおかしくはなかった。

 『神宮司』ならざる者が暗躍しているのだと、気付かなければいけなかった。

まぁ、勿論、そんなことは後からどうとでも言えるのだけれど。


「神宮司 甘奈――いや、籠目 甘奈だったんですよね……」


 甘奈は妹と言った――籠目ちゃんに対して、妹だと言った。

「『神宮司』を名乗ってただけだからな。まぁ、甘奈は偽物だったけど、本物でもあったんじゃねーのか?」

「…………」

 偽物。

 本物。

 本物に近い――偽物。

「籠目ちゃんの行動は不審でしたからね。思えば、どうして都合よく、しかも早朝にビルの前を通ったのか、不思議ですよね。まず、初めて彼女と会ったときに言われた――『きっかけはキミなんだよ』は今考えれば合点がいきます」

「妹だからな、そりゃ姉の行動を把握するくらい簡単だろうぜ」

 初めから籠目ちゃんは知っていたのだ。

 知っていて、わかっていたのだ。

 僕が姉の甘奈に襲われたことを――甘奈が『神宮司』を名乗っていたことも。

「けれど、最後は許せなかった。許すことができなかった」

 八千代は言う。

「『神宮司』ごっこの被害に、友達が遭ってしまった。不幸にも、殺されてしまった」

「八千代、僕は判然としないな。確かに籠目ちゃんはそう言っていたけれど、ならどうして被害者の森巻 友香のポケットから彼女の生徒手帳が出てきたんだ?それに、自宅から頭部も見つかったんだろ?」

「その原因も君じゃないのか、はははっ」

 と、言われたが、思い当たる節が皆無だったので、僕は沈黙する。

「少年、君が彼女にヒントを強要したからじゃないか」

 あぁ……そんなこともあったか。

 いや、強要は断固としてしていないはずだけれど。

「『神宮司』に繋がるヒントを、身を挺して君に与えたのだろうさ。それも、友達のためなのかもしれん」

「『神宮司』に殺された――甘奈に殺された友達、か」

 ならば、それはきっと姉である甘奈に頼んで、自分の生徒手帳を渡したのだろう。

いや、もしくは籠目ちゃん自らが忍ばせたのかもしれない。

けれど、持ち去った頭部の方はどう説明すればいいのだろうか――いや、これもまた後からどうとでも言えるのかもしれない。

籠目ちゃんが持ち去ったにしろ、甘奈が持ち去ったにしろ、二人が姉妹であるのならそれすらも容易だろう。

 しかし。

 僕は考える。

 他人の姉妹関係に対して口を挟む資格はないかもしれないが、しかし、どうして甘奈は躊躇せず籠目ちゃんを刺したのだろうか。

 刺すことができたのだろうか。

 どうして、妹を――刺せたのだろうか。

「どいつもこいつもだらしねーよ、まじで。勿論、あたしも含めてな。都市伝説だとかオカルトだとか、信じる価値もねーもんに右往左往してよ。現実逃避のファンタジーじゃねーか」

「雪間さんも『神宮司』を捜査してたじゃないですか」

「そりゃそうだ、だって犯人は『神宮司』だったじゃねーかよ。偽物だったとしても、あいつらは本物だったよ、十分過ぎるほどにな」


 本物。

 本物の『神宮司』か――


「ところで、雪間さん、どうして公園で連行した女の子の顔も見ないで、彼女のことを『神宮司』だと言ったんですか?」

 僕の問いに雪間さんは目を点にした。

 そして、深い溜息を吐いた。

「あのなー、あの時はすでにあたしも『神宮司』の犯行かもしれねぇって情報は掴んでたんだよ。んで、お前が八日に襲われた話もすでに真伊から聞いてたしよ」

「でも僕の顔は知りませんでしたよね?」

「その辺は勘だ。お前かなーって思って、お前だなーって思って、お前だと確信したんだよ」

「……そうですか」

 まぁ、雪間さんが言うのならそうなのだろう。

 勘とは言っても、それはきっと常人とは一括りにできないものに違いない。

「十五人か……」

 八千代は独白するように、遠い目で言う。

闇をぶち込んだかのような黒い瞳は虚ろで、物思いに耽っているようだった。

 十五人。

 六月八日から始まった連続殺人事件の総犠牲者――十五人。

 名前を羅列するのも億劫になるほどの数だ。

 ここまできたら、もう犠牲者の名前すら思い出せなくなりそうなほどの数だ。

 個として認識できなくなるほどの数だ。

 一つの集合体として――一括りの死者数として――そして、もはや統計のような数字だ。


 十五。


 その数だけを目の前にぽんと置かれたような気分だ。

各々が死ぬ間際に抱いた感情を絶望を、何を願い何を捨てたのかも、そんな憶測を放棄せざるを得ない。

悲しみすらも湧かない、悲壮感もない、同情もできないし憐れみもない――それはただ死んだ人の数という認識しかできなかった。

 まるで自然災害で出た死者数のようで。

 まるで他国の大事故で出た死者数のようで。

 まるで遠い過去の大事件で出た死者数のようで。

 だけど、けれど――それはつい先日にやっと終幕した恐怖の連続殺人事件だった。

紛れもない現実で、惑うことなき現実で、現実離れした現実味のない現実だった。

 どいつもこいつも有り得ないほどに一般からかけ離れていて、常人から程遠い存在だ。

 一般的な世界から外れた世界のようだ。

 彼ら彼女らが外れたのか、世界そのものが外れているのかはともかく、『関節が外れた』とは少し違う――僕らの世界はそもそも関節がない。

 

 僕らの世界は――逸脱した世界は――



 関節から外れた白骨と、関節から吹き出た血飛沫が散らばる――外れた世界。



 僕も彼女も少女も、彼らも彼女らも、何もかもがずれていて、外れてしまっているに違いない。


「やっぱり、森巻 友香と教職員、その家族を殺したのは甘奈だったのか?」

「証拠はまだあがってないのだよ、残念ながらね。だからわからない――しかし、籠目 紫の犯行かと言われれば、それも断言できないな。犯行を証明するものがないのだから」

「そっか……」

「なぜそこで安心する……緩み過ぎだと思うが」

 僕は綻ぶ顔を自覚して、わざとらしい咳払いを一つ。

「籠目 紫、籠目 甘奈、そして――もう一人の甘奈である蓮ニ。結局、彼女らがこの事件の黒幕と言っても過言じゃないのか……」

「だからー、さっきも麻由紀が言った通り、真の黒幕は『神宮司』だろう。実行犯は別にせよ、私たちはそれに踊らされたし、幕切れもまた『神宮司』によるものだったんだよ」

「内に潜んだ『神宮司』――」

「そう、そういう意味では確かに存在したと言える。実際、今回の事件に関与した犯人は『神宮司』に等しい、本物に等しい偽物だったよ。躊躇いなく自分の命を絶つことができるほどにな」

 まぁ、私には理解できん話だが、と八千代は加えた。



「籠目ちゃんは――どう考えていたのかな……」



 僕は誰に聞かせるためでもない独り言を呟いた。

「自分で確かめにいけばいいさ」 

 八千代の返答に頷いて、僕は二人を残し、喫茶店を出た。

 



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