殺人理由 Ⅲ
「ははははっ、あははははっ。よく言ったよ、少年。それは麻由紀には言おうとも言えない言葉だな」
八千代は机に腰をかけ、腕を組みながら快活に笑った。
余裕の表れなのだろう、彼女の笑みは殺人鬼を前にしても尚、普段と変わらないものだった。
「よし、わかった。わかったよ、衛理君。そこまで言うなら手ほどきの一つや二つしてやらないこともない。まぁ、私も全てを理解しているのではないけれどね」
まず初めに事件を整理してみよう――と、八千代は回想する。
あからさまな態度で、露骨な様子で、指先をこめかみに当てた。
まず第零の被害者――僕。
日常的に通行する繁華街の路地裏で甘奈に刺され、入院。
第一、第二。
大学内で教授が殺害され、『神宮司』によるものだと思われていたそれは全く別の犯人である、身元不明の女子が行ったものであった――そして、雪間さんによって連行された。
繁華街の中心で起きた通り魔殺人事件も同様、警察の尽力もあり、その結果、近くのビルディングに備えられた防犯カメラに犯人らしき男性が映っていたようだった。
犯人は目下不明、逃走中のようだ。
ちなみに、僕はそれをこの時に初めて聞かされた。
第三、第四、第五、第六、第七。
閉鎖された会社内で起きた事件は犯人が自殺するという形で成り立った《密室》のようなもので――一人を殺害した後に自らも命を絶つという、荒業とも言えるトリックが用いられたものだった。
犯人は首を吊り死亡。
当初、通り魔事件と思われていた三人の犠牲者の身体にはそうでない外傷が目立ち、捜査の結果、他所から運ばれた死体だということが判明した。
それにより、犯人は『通り魔事件を見立てた』という意思を含んだ『神宮司』以外の何者か、ということに自然と行き着く。
犯人は不明――『神宮司』以外。
第八――森巻 友香。
教室内で首を切断され殺害された犠牲者の身体に遺留した生徒手帳は籠目 紫のもので、強制家宅捜査の末、自宅から彼女の頭部が発見された。
そして、それを手に僕を襲ったのも籠目ちゃんだった。
しかし、籠目ちゃんが最後に吐いた言葉が本当なら、犯人は彼女ではなく甘奈であるということになるが、それも未だ不明瞭である。
第九、第十、第十一、第十二、第十三、第十四。
殺害されたのは教室内殺害事件で協力関係にあった教職員二名とその家族、そして一般人。
この事件の犯行の裏に隠れている意図を探るために重要なのが《一般人》である犠牲者だった。
『神宮司』と繋がっていた教職員二人が殺害されたという点から、恐らく、不特定の殺人行為であると見せかけるためのカモフラージュだろう、というのが八千代の見解だった。
家族を皆殺しにしたのは必要性があったからだろうし、なければ単独の教職員を狙ったことだろう。
そして、《協力者》が殺害されていることから自然と導き出される犯人は、森巻 友香を殺害した者と同一人物であるということだ。
籠目ちゃんの言葉が真実ならば、犯人は『神宮司』だろうし、嘘ならば彼女自身がそうだということになる。
第十五――籠目 紫。
甘奈の妹。
『神宮司』の妹。
哀れむほどに異常を好み、憐れむほどに憧憬を抱き、好奇心を煽られ、情欲を駆り立たされた彼女が一番の関係者だった。
血縁関係はともかく、甘奈がそうだと言っている以上、それは信用に値する事実なのだろう。
一歩踏み出せば底なしの沼へと落下しそうだと思った。
一歩間違えれば、もう二度と戻って来れないと思った。
ちょっとした重みで傾く天秤のようだと思った。
何かの拍子で均衡が崩れる、ぎりぎりの体勢を保ったドミノのようだと思った。
押せば倒れ、引けば倒れ。
倒れ、次も倒れ、また次も倒れ――止まることなく崩壊を続けるドミノのようだと思った。
薄っぺらいトランプを組んで作ったタワーのようだと思った。
一枚のトランプが絶妙なバランスと重心で支え合う、それはまるで自分と自分のようだった。
『自分』と《自分》。
欲望を抱く自分と抑制する自分。
そっと息を吹きかけるだけで潰滅する。
どちらに傾くでもない、全てが潰滅して、壊滅して、崩れ落ちるようだと思った。
籠目ちゃんはそんな――そんな危ない人だった。
鬼に成り損ねた《人》だった。
そして、死んだ。
鬼に成り損ねた彼女は、本物の鬼によって殺された。
無残にも。
凄惨にも。
自業自得と言えばそうかもしれない、罰を受けたと言えばそうかもしれない、天罰が下ったのかもしれない、神の怒りに触れたのかもしれない、世界が異所を修正しただけなのかもしれない、元々存在そのものが許されなかったのかもしれない、道を踏み外した者の末路なのかもしれない、焼きが回ったのかもしれない、生を受けた瞬間からそういう運命下にあったのかもしれない。
それでも。
それでも――
殺されていい理由などあるはずがない。
あるはずがないのだ。
人でなしだろうと、鬼だろうと、成り損ないだろうと、人を殺していい理由などない――雪間さんとは相反するかもしれないが、僕は思う。
鬼だろうと化け物だろうと、人は人なのだと。
鬼だろうと化け物だろうと、それよりも前に人なのだと。
だって。
僕たちは生きているじゃないか。
人の形をした人として、生きているのだから。
「そもそも、『神宮司』とは一体何だと思う?どうして彼らが都市伝説として扱われていると思う?」
「それは……」
僕は言う。
「類稀なる、存在も疑わしいほどの殺人鬼――犯行現場を目撃した者は皆無で、誰一人として生きていない――未解決の事件は大よそ『神宮司』によるものだと判断されて――」
「そう、それだよ、少年」
八千代は僕の回答に待ってましたと言わんばかりの相槌を打った。
どうやら、その合致が心地良かったらしく頷きを繰り返した。
「都市伝説と称されるほどの殺人鬼が、まさか現場に有力な証拠を残すとは思えないだろう。今までの事件を見ても、犯人が『神宮司』でないと言うことは明らかだ。明らかだったからこそ、そこに行き着いた――」
これまでの事件は『神宮司』を崇拝する者による、彼らを真似た狂人による犯行だった――
「そして、第零の被害者である君が運良く『神宮司』の強襲から逃れたことにより、事件は始まってしまった。これは『神宮司』を崇める者としては気に食わないだろうな。だって、彼らの神である『神宮司』が殺害に失敗するなど有り得てはいけないのだから」
八千代は続ける。
「そう考えれば、この連続殺人事件全体がカモフラージュと言っても過言ではない。第零の未遂事件を隠すための犯行だったと表現してもいいだろう。それを裏付けるのは、全く異なる犯人による
事件なのにも関わらず、共通点があったこと――書置きもそうだし、通り魔を装った事件もそうだ」
確かにそれは気づいていた。
通り魔事件と屋内事件が並行して起きていたこと――それはやはり、『神宮司兄妹』による犯行だと連想させる。
しかし、そうではなかった。
そうだ。
そうなのだ。
通り魔事件を装った『通り魔事件』――八千代がそれに対して疑問を抱いていたのはそういうことだったのだ。
すぐに露見してしまうのに、労力を惜しまず装うことに何の意味があるのか――考えなくともわかる。
犯人は無理にでもそうせざるを得なかった。
犯人は無理矢理そう見せた。
『神宮司』の犯行は通り魔でなくてはいけないという点がネックで、本来有り得難い事件現場になってしまったけれど、そう考えると納得がいく。
そうしたのも――浅はかだと罵られようが、そのような浅薄な犯行に及んでしまったのも、僕のせいだと言うのか。
「君は一番の被害者でもあり、被疑者でもある――」か。
確かにそうなのだろう、その通りなのだろう。
あの時点で僕が死んでいれば――殺されていれば、こんなにも犠牲者が出ずに済んだのかもしれない。
十五人。
六月十一日から数えて十五人が死んだ。
僕のような安っぽい命のせいで、尊ぶべき生命がこんなにも失われた。
頭では理解しているのだ、僕が事件の始まりだったとしても、自身に責任があるはずがない。
その責任を負う道理なんてない。
けれど、やはり、どんな風にポジティブになったところで、心の片隅に『僕のせいだ』という意識が残留してしまうのもまた事実だった。
わかってはいる。
それはただ気弱になっているだけで、被害妄想が膨らんで、ネガティブになっているだけなのだと。
けれど。
けれどやっぱり――十五人は死に過ぎた。
殺され過ぎた。
無関係を装い、口笛を吹いてしらを切るにはもうすでに手遅れに近い。
そして、やっぱりそんな思考の側に、おしどり夫婦のように寄り添う罪悪感と後悔は、僕を苛ませるには十分だった。
死んでいればよかった。
殺されていればよかった。
僕が生きていていいのか。
十五人の代わりに生きていいのだろうか。
僕は十五人分の命の重さに見合った者だろうか。
勿論、命の重さを単純な足し算で計算できるとは思っていないけれど、少なくとも相応ではないと認識できる。
たとえ僕の命が百だったとして、きっと彼の命は百一で、彼女の命は百二十なのだから。
そして、彼の命が一だったとしても、彼女の命はきっと二百一なのだから。
僕という狂った人間は――半年ほど前に狂ってしまった僕のような人間は――
いや、この世に生を受けた瞬間から狂いだした僕のような人間は――
狂った世界で狂いながら生きる僕は――
僕のような《鬼》は――
死ねばいいのに。
「何の話してるですかぁ、甘奈ちゃんにはよくわからないですぅ」
「わからなくていいさ」
八千代は言う。
「わからないのならわからせてやる。無いに等しい脳味噌でよく考えることだよ、甘奈少女。いや、考えるまでもないか――だって、君はもうすでに理解しているのだから。わかっているはずなのだから」
僕は八千代の薄ら笑みを視認して、甘奈に目を遣った。
首を傾げて、瞬きを増やす甘奈から滲む変わらない歪んだ気配を感じた。
「甘奈少女、なぁ、少女よ――君は、君なら信じることができるか?今まさに目の前にいる私が、私こそが『神宮司』のオリジナルだと言えば、何の疑問も抱かずに信じることができるか?」
いや――と八千代は続けた。
「できないだろう、できるはずがない。私でなかったとしても、仮に少年がそうだと言っても、麻由紀がそうだと言っても、君は信じないだろう」
「そんなの当たり前じゃないですかぁ、何言ってんですかぁ」
「なら、私の知り合いに『神宮司』だと思われる人がいると言った場合でも信じるか?私の知り合いの知り合いの、遠い知り合いに『神宮司』がいると言えば信じることができるか?――いや、それもできないだろうな。だって、できるはずがないんだから」
八千代はくつくつと笑った。
雪間さんの微笑みは悪魔のようだったけれど、それに比べて八千代のそれは閻魔のようだった。
地獄の王様というか、地獄の裁判官というか、雪間さんとはまた別の意味を含んだもののように感じた。
「いやいや、まさかとは思うが信じないでくれよ。万が一にもその可能性はないのだから。皆無だよ、皆無。断言してもいい、私は『神宮司』ではないし、友人や知り合いにもそのような人物に心当たりはない」
心当たりはない。
八千代の知り合いを探しても――心当たりはない。
「君は、私のような人間に会うのは初めてかい?まぁ、そうだろうさ、私のような人間が二人も存在しては困る――と言うか、仮に世界のどこかに存在していたとしても、それもきっと私なのだろうけれどね」
八千代は誰の返答も聞かずまま、聞こうとしないまま、まるで独り言を語るような口調だった。
誰に聞かせるでもない独白をつらつらと述べているだけのようだった。
「こんな私にも一つだけ自負していることがある――情報と人脈だ。情報は知恵だ、知識だ。そして何より、人脈でもある。人脈もまた知恵だ、知識だ。そして何より、情報でもある」
海のように広大な、
大気のように壮大な、
深海よりも深く、
衛星よりも高く、
山脈より幅広く、
毛細血管より枝分かれ、
肺胞のように繊細な、
こめかみの奥に所狭しと詰まった橙色、
その中に凝縮され、濃縮されている――
――情報網。
八千代の武器――兵器のハイエンド――
そんな八千代が。
『神宮司』に心当たりがない――確かに言われてみれば、それはおかしいはずなのだ。
それは有り得るはずがないのだ。
八千代が有する莫大な情報量の中で、『神宮司』というワードが検索ヒットされないということは、つまり、八千代がわからないということ。
八千代が知らないということ。
八千代が知らない『神宮司』。
都市伝説――つまり。
つまり。
「なぁ、甘奈少女。知っているか――」
八千代は笑った。
精一杯の皮肉と侮辱を込めて、盛大に笑った。
「『神宮司』ってさ、都市伝説なんだよ。最初からそういうことになっているんだろう?」
甘奈は緩んだ僕の手から出刃包丁を奪い、切っ先を喉に当てた。