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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
31/36

殺人理由 Ⅱ

 怒声と言うよりは悲鳴だった。

 怒号と言うよりは絶叫だった。

 哭声と言うよりは咆哮のようで、他者を圧倒するには十分なものだった。


「こらァ!深夜にどこほっつき歩いてんだガキ共ッ!」


 まるで、背後で何かが爆発したかのように、その衝撃は空間そのものを震撼させた。

空気が振動して、耳に届いて、聴覚を経由して脳へと伝わり、電気信号が全身を駆け巡り、そして、僕はその声に身を強張らせた。

 僕の背後から発せられた怒声――恐らく、教室の入り口からのものである。

と言うことは、つまり、誰かが教室内に這入ってきたということ。

第三者が侵入してきたということ。

しかし、真夜中に在校生が訪れるはずはなく、そうなれば必然的にその声の主は限られてくる。

 僕は振り返る。

 手首を掴まれたままだったので、首を翻し、半身になった。


「おうおう、楽しそうなことになってんじゃねーかよ、おい。あたしも混ぜてくれよ、ボケ共。若者の流行にはちっとばかし疎いが――まぁ、んなことはすぐに慣れるさ。あたしだってこれでもまだ二十代なんだからよ」 


 声の主は。

 彼女は――

 暗闇を照らすほどに眩しい金色の頭髪をした国家公安刑事の、警察機関に属した身であると外見からでは想像だにできないほどの容姿、綺麗で、長身で、人類が思い描く最良のスタイルと人類が有する最悪なまでに圧倒的で暴力的な、高圧的な態度を併せ持つ、社会正義を背負った悪魔のような彼女――白光りするほどの金色――雪間 麻由紀。

 金色の公安刑事、雪間 麻由紀であった。

 そして、彼女の奥からもう一つの影。


「……はぁ、どうやら事態は私の想像を遥かに超越したようだな。逆の意味で」


 暗闇から暗闇が現れたかのような、黒と同化する《黒》がそこにあった。

 黒長髪に闇色の瞳、上下を黒で揃えたスーツ姿、黒いシャツ、黒いネクタイ、黒い革靴、上背とは言い難いスタイルの中で際立つ線の細さ、細い体躯、その中でさらに際立つ張りのある胸部――黒い、黒い弁護士を名乗る彼女――八千代 真伊であった。

 雪間さんと並ぶとまるで大人と子供のように見えてしまうほど、外見も内面も、彼女らは正反対のようで真逆のようだった。

しかし、その中でも共通した《何か》を、僕は彼女ら二人の間に感じていた。

 そう。

 それはこんな感じで。

「人殺しなんて私は許さない、法律も許さない」

「人殺しなんて社会は許さない、あたしは許すけどよ」

 雪間さんと八千代の登場に、僕は安堵していた。

張った糸が弛むような感覚を全身で味わうことができた。

精神状態も限界に近かったのかもしれない、顔が綻んでいるのを自覚できる。

そして、子供が久しぶりに両親と相見えたような安堵感に行き着いた後、その延長線上に待っていたのは疑問であった。

 どうしてここに雪間さんと八千代が?

 いや、どうしても何も、そんな疑問を抱くこと自体が愚かに違いない。

問えば愚問だと、笑えば安直だと、泣けば滑稽だと、頷けば浅はかだと、そう言われるに違いない。

 八千代が有する海のように広大で強大な情報網を活用すれば、僕なんかの位置情報はすぐに割り出されるだろう。

 恐ろしいことではあるが。

 それが彼女が持つパーソナリティであり、才能なのだから。

 通信衛星より高度なものを、八千代は見えない形で所持しているのだから。

「あれぇ、あれれぇ……お姉さんたち、どうしてここにいるんですかぁ」

 と、意外にも口を開いたのは甘奈だった。

 変わらず、僕の手首を掴みながらである。

「もしかして、もしかしてぇ、お兄さん。甘奈ちゃんを嵌めたなぁ……?嵌めたんですねぇ?悪い子です、いけない子ですぅ、甘奈ちゃんはそんな子に育てた覚えはありませんよぉ」

「…………」

 僕もそんな風に育てられた覚えはなかった。

「『どうして』だってェ!?んなの決まってんだろ!お前を捕まえに来てやったんだよ、このボケ!」

「ひ、ひぃぃ」

 甘奈は露骨に嫌な表情をして、僕の手首をさらに強く握り、顔を近づけた。

 ねぇねぇ、と雪間さんらには聞こえないようにするためか小声だった。

「……何」

「お兄さんのお友達ぃ?あれが?ありえないですぅ、勘弁して欲しいですぅ。甘奈ちゃん、強気な人には手も足も出ない性質なんですよぉ……怖いです、恐ろしいですぅ。何とかしてくださいぃ……」

「えっと、ちなみにだけど、後ろの黒い方もかなり強気だよ」

 僕の言葉に甘奈はより強く眉をしかめて、血の気が引いた表情になった。

 まぁ確かに、前も一度思ったことだけれど、これではどっちが殺人鬼かわからない――雪間さんの高圧的な態度は、他所から見る限り、殺人鬼とまではさすがにいかないものの、喧嘩早い印象を与えるには十分だろう。

十分と言うか、根からそうなのだけれど。

 しかし、まぁ。 

 何と言うか、八千代の前では全てが筒抜けだったということなのだろう。

 僕が取った行動も、僕が取るべき行動も、思考回路も、その原理も――それらが八千代の推測なのか、どこかで得た情報なのかどうかはさて置き、何度も思ったことではあるけれど、まるで全ては彼女が描いたシナリオ通りのような気がしてくる。

勿論、そんなものはどこにも存在せず、概ね八千代の推測と情報網を駆使して得たそれなのだろうが――負けた気分になってしまうのは何故だろうか。

所詮、僕のような若輩者の平凡な大学生が取る行動など、彼女からすれば考えるまでもない、取るに足らない程度のことかもしれない。

しかし、呪うべきは見事その術中に嵌ったと言っても過言ではない僕の安直な思考なのだろう。

 こんなにも頭を悩ませたというのに。

 籠目ちゃんを呼び出す方法に不備はないかと不安になったり、余計な心配をしてみたり、不相応な行為に恥じたり。

 これではまるで、手のひらの上で踊らされたピエロのようではないか。

 いや、ピエロというより餌に近い。

僕で『神宮司』を釣ったようなものだ。

けれどまぁ、それもこれも、僕の考えが何のひねりもない真っ直ぐなものだったから故なのだろうが。

それでも一つ確かに言えることは、この状況は僕にとって願ってもいなかったことである。

救援と表現してもいいし、救済と言っても過言ではないし、そして何より救いでもあったのだから。

さらに、それ以上に現状を打破する好機とも言える。

 正直、僕は呑まれかけていた。

理解が追いつかないままに展開を見せる場に、先ほどまでの思考を放棄せざるを得ない状況下であった。


 『神宮司』がどうして僕に殺されたがるのか。

 籠目ちゃんが吐いた嘘とは。

 森巻 友香を殺害した真犯人は一体誰なのか。

 事件に協力したであろう教職員らを殺害した真犯人は誰なのか。

 そもそも、この事件の真相とは何なのか。


 

 事件の根底に存在する『神宮司』――


 『神宮司』とは一体、何なのか――




「さぁ、殺人鬼――往生しやがれ」

 雪間さんは指の骨を片手で器用に鳴らし歩む。

 一歩。

 一歩と。

 その高圧的な態度はまさしく正義の味方である警察機関に相応しいと言えば当てはまるけれど、しかし、彼女の薄ら笑みは何かを企てる悪魔のようにも思えた。

屈託のない笑顔の裏に隠れた、楽観的な微笑みの奥に潜んだ狂気を肌で感じることができたのだ。

 曖昧ではあったけれど。

 有耶無耶ではあったけれど。

 煙のようだったけれど。

 それでも、僕は雪間さんが抱く見えない何かをそこに見た気がした。

「あ、えっと……あれ、もしかして甘奈ちゃんピンチ!?大大大大ピンチ!?……いやだよぉ、捕まってもこの人にだけは捕まりたくないですぅ」

 僕が甘奈の立場であったなら、その意見には概ね同意する。 

けれど、雪間さんを前に逃げるなど不可能だという推測が先に立つかもしれない。

彼女の暴力はそれくらいに圧倒的なのだから。

「待って下さい、雪間さん」

 手首を掴んだ甘奈の手を振り解いて、振り返る。

 出刃包丁を握ったまま。

 その図はまるで僕が雪間さんに凶器を向けて脅迫しているようなものだった。

「もう少し待って下さい……何か、何かおかしいんですよ」

「あぁ?」

 何かがおかしい。

 何がおかしいかと問われれば答えに困る。

 けれど。

 おかしいのだ。

 何かがおかしいのだ。

 この事件――六月八日から連続する殺人事件は、どこかがおかしい。

「そりゃおかしいだろうが。今月で何人が死んだと思ってんだよ。そこの女子高生を含めて、これで十五人だ――十五人だぞ、これが異常でないと言うなら何が異常なんだよ」

 或いは、何が正常か。

 雪間さんは問う。

「化け物を内に宿した殺人鬼が一般を装って世間に隠れながら生きるのが正常か?それとも、その化け物を外界に放つことが正常か?自分の我が儘が社会にまかり通るのが正常か?――違うだろ、そうじゃないだろうが。誰もが自分の理想とかけ離れた現実に折り合いをつけてるじゃねーか。欲望が己を焦がすことになると、誰もが理解してるじゃねーか」 

「…………」

「殺人がどうして悪いことなのか――そんな小学生が勉強するような道徳について討論したいわけじゃねーんだよ。むしろ、あたしくらいになれば殺人の一つや二つは許容できるぜ。大いに結構、勝手にやって頂戴ってことだ。けどな、社会は絶対にそれを許さない。それがどうしてかわかるか?」

 僕は沈黙する。

 雪間さんの言葉を待つべき場面であると理解する。

「人間は馬鹿じゃねーんだよ。それをやっちまうと人間の定義から外れる。知能と心――それはつまり、自己を抑制する精神と欲望を我慢する忍耐を持つということだろ」

 人を殺すやつはそもそも《人》じゃねーんだよ、と雪間さんは加えた。

「人じゃない鬼にただの人が相手になるはずがねーよな。それなら、あたしの出番だ。あたし達警察の出番だ。簡単な理屈だ、鬼を捕まえられんのは鬼しかいないってことだ」

「鬼には鬼――」

「そうだろ、誰が好き好んで殺人鬼を相手にするんだよ。誰もそんな危険は犯したくねーって。けど、鬼は違ぇ、鬼は違ぇんだよ。大義名分、社会正義、敬天愛人、破邪顕正――人を殺す鬼とは違って、あたし達は馬鹿でけぇもんを背負ってる。家族もいるし、恋人もいる、親友だっている。鬼はそいつらを喰うんだよ。腹が満ちればそれで満足しちまうような馬鹿ばっかりなんだよ」

「それは……わかります……」

 人でない鬼。

 人である鬼。

 確かにそれは、雪間さんの言い分は正しくそうだったし言い得ていた。

「だから、お前の出る番はねーよ。鬼を相手に待つ猶予なんざどこにもねーんだよ。あたしは待ってやらねー、だって、あたしってほら気が短いから」

 言葉の後半に個人的な恣意が含まれていたような気がするが、僕はそれには突っ込まず――雪間さんと対面する形の姿勢を保った。

それは動かないという意思表示だった。

 背後に甘奈、凶器を所持した僕を挟んで対峙する雪間さん。

誰がどう見ても、少女を庇う少年の図である。

 その様子に雪間さんは眉間に皺を寄せた。

目を細くし、奇奇怪怪を見るような目つきで睨む。

「あぁ?んだよ、それ。どういう意味だよ」

「……僕は雪間さんとは違います」

 僕は言った。

 日和(ひよ)らず、言った。

「僕には雪間さんのような大それた事情が全くありません、皆無です。厄介事に付き合う――いや、首を突っ込むただの平凡な大学生です。犯人を逮捕する義務もないし、裁く権利もない、犯罪を立証する必要もなければ社会貢献に努める立場でもない。誰の敵でもないし、裏を返せば誰の味方でもありません」

 勿論、と僕は続ける。

「殺人鬼が社会に不適合で、あってはいけない存在だということは認識しています。この場で道を説くのは、僕もやぶさかだと思うので。だから、これは単純な興味本位なんですよ。好奇心なんですよ。厄介事が大好きで、自分の危険すら省みないいかれた大学生が抱く純粋な関心と探究心なんです」

「……?」

 雪間さんは理解できないとばかりに、無言で首を傾げた。

恐れるに足る形相を維持したまま、剣呑な視線を浴びせる。

「雪間さん、僕はね――」

 




「僕はこの事件の真相を、深層の真相を知りたい――ただそれだけなんですよ」





 雪間さんの眉間から皺が消えた。

嘆息して、肩を竦めるたのは雪間さんだけではなく、その後方で机の上に腰をかけていた八千代も同じだった。

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