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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
3/36

殺傷能力 Ⅰ

「…………」

 はっ、と目覚めた。

意識を戻した、と言うより、生き返ったような感覚である。

文字通り、生死を彷徨(さまよ)い、まさに九死に一生を得る――これは比喩でもなんでもなく、一瞬にして覚醒し、見慣れた病室の天井を視認して抱いた感想だった。

 あぁ、と。

 あぁ、と。

もしかして、今僕のいる『ここ』は現実世界ではなく、死後のそれではないだろうか、なんて錯覚にはならなかった。

そんな表現が用いられたドラマやアニメが多数あるけれど、多分それはきっと過剰な演出なのだろうと、実体験した僕は思う。

死の瞬間に見ると言われている走馬灯(そうまとう)も体験しなかったので、それこそ公然に蔓延(はびこ)る演出なのだろう。

演出と言うか、それに至っては文化とも言えるかもしれない。

死を演出する文化。

綺麗な最期を魅せるための文化。

 劇的な死を遂げない方が少数なのだ――『激的』な死を遂げれない方が少数なのだ。

例え、大物であろうが小物であろうが、最期と言うものはあっさりと訪れて、人間が等しく享受(きょうじゅ)することになる逃れられないものなのだ。

だからこそ、彩りを添えられるのだろう。

 


 しかし、まぁ。

走馬灯が実際に存在するのであれば、それは死の直前ということになるのだから、奇跡的に助かった僕が体験できるはずはない。

だから走馬灯を見なくて当然であるし、文化とも言える最期の演出がなかったことも当然である。

 生きているのだから。

 辛うじて、生きているのだから。

 命辛々、助かったのだから。

それを言うなら、一体全体僕はどうして助かったのだろうか。

まさか、襲われることを想定して、懐に分厚い雑誌を隠していた――なんて冗談があるはずもなく。

刺された腹部を押さえて考えてみる。


「……思いつくのは、二日間何も食べていないってことだけなんだけど」


 それ以外に思い当たる節がない。

もしかすれば、空っぽだった胃が功を奏したのかもしれない。

学術的にどうなのだろうか。

医学的にどうなのだろうか。

専門的な知識のない僕にとって、考えるだけ無駄だろう。

だから今は、素直に奇跡を信じようではないか。

自分の強運に助けられた、ということにしておこう。

動けるようになったら林檎ちゃんの病室に行って、『空っぽの胃が秘める可能性』についてご教授してもらうとしよう。


 と言うわけで、病室である。

見慣れた病室の天井、と言ったのも、僕が以前から頻繁に通うせいだ。

 旗桐(はたぎり) 林檎(りんご)

十四歳にして、全ての学問を終えた少女。

ありとあらゆる専門分野――学問の末端から末端まで、全ての知識を得た異端の少女である。

『世界』から外れた少女でもある。

僕なんかが見る『世界』とは、恐らく全く異なるそれを、彼女は見ている。

卓越した頭脳のせいか、妙に達観した彼女の表情は十四歳とは思えないものだ。

何でも知っていて――知らないことなど、この世にないと。

そう言わんばかりの表情。

僕たちが住む『世界』を蔑むこともあれば、素直に羨むこともあるので、結局僕は彼女の心理を理解することができなかった。

まぁ、僕が林檎ちゃんの底知れない知能を理解することなんて(もっぱ)ら不可能だろう。

ましてや、感情を読み取るなんて、それこそ到底できない。

週に一度のお見舞いを長らく惰性(だせい)で続けているが、成果は得られていないようだ。

お見舞いと言っても、怪我や病気で入院しているわけはないので、それをそう表現することは間違っているのだけれど。



 ともかく。

 兎に角、だ。

昨日のことを思い返して――

何度も想起して――自分に襲われる理由がないことを確認する。

突然、包丁で腹部を刺されるなんて、そんなことをされる覚えがなかった。

知らず知らずの内に、誰かから恨みを買ってしまっているという可能性を完全に否定することはできないけれど、少なくともそんな自覚はなかった。

自覚はない。

なら尚更、僕が狙われた理由も不明だ。

 僕じゃなくてもよかったのかもしれない。

対象は誰でもよかったのかもしれない。

あの路地を偶然通りかかった僕が、偶然通り魔に襲われた――ということなのだろう。

 しかし、確かに理解したことがある。

彼女――(おぼろ)げな意識の中で聞いた若い女の声。

そして、確固たる殺意。

彼女は殺意を持って、殺意で僕を殺そうとした。

 まったく。

明日は我が身、なんて言葉を誰が考えたんだ。

悪態を反省しつつも、その言葉を考えた『誰か』に責任転嫁してみる。

 まぁ、しかし、長くない内に犯人は捕まることだろう。

警察機関に通報は届いているし、現場には証拠も残っているに違いない。

路地とは言え、繁華街だ――目撃者もいるだろうし、どこかの防犯カメラに映り込んでいるかもしれない。

犯人を逮捕するには、未だ時期尚早かもしれないが、すでに容疑者を絞っているかもしれない。

検挙率九十パーセントを超える警察機関のことだ、一日に満たない間でも解決に進んでいることだろう。

もしかしたら、もうすでにニュースになっていて、犯人が捕まってるかも。

 

 なんて。

 さすがにそれは過言だろうし、いくらなんでも警察に信頼を置きすぎだろうが。


 テレビのニュースくらいにはなっているかも――

と、病室のベッドの横に備え付けられた古いテレビをつけて、昼間のニュース番組を確認した。




「おいおい……」

 



 昨日のニュースとして、幾つかの事件や事故が取り上げられている。

日付は六月十日。

つまり、本日は六月十一日であり――僕が通り魔に襲われたのは、六月八日である。


「三日間ずっと寝てたのか……」

 

 三日間寝てたということより、合わせて五日間、何も食べていないことに驚愕した。









        ◆








「お、起きてる起きてる。少年――衛理少年、随分と寝ていたものだな」

「あぁ……」

 驚きのあまり反射的にテレビを消し、事実と向き合うことに躍起(やっき)になったところで、八千代が病室に這入った。

「人間、三日間も眠り続けることができるんだね、知らなかったよ」

「僕は五日間、飲まず食わずでも生きていられることに驚きだよ」

 しかし意外にも、空腹感はなかった。

それより、便意の方が圧倒的にあった。

 まぁ、生きるための栄養源は点滴から補っているだろうから、生きていて当然である。

「ははっ、それはすごい。私は今、人間の胃が秘めた可能性を目の当たりにしているわけだ」

 そんな風に、笑えない冗談を自分で言って、自分で笑う彼女。


 八千代(やちよ) 真伊(さない)

『黒い弁護士』を名乗り、公にはできない事件を主に解決する彼女――それを言うと弁護士ではなく検事とした方が正しいのかもしれないが、国家資格を所持している以上、その表現で間違いはない。

しかし、弁護士という肩書きがあるにも関わらず、彼女は出廷したことがなければ、弁護士としての役割をまっとうしたこともなかった。

 何のための資格だと思う。

 誰のための弁護士だと思う。

依頼を受ければ、どんな些細な事件でも引き受ける姿は、さながら請負業者にも見えなくない。

だから結局。

短くない期間を共にする僕ですら、八千代の職種をどう表現していいのかわからなかった。

 林檎ちゃんを学問の異才と言うならば。

八千代のそれは多種多様で、多義に渡る。

林檎ちゃんにも負けじと劣らない頭脳や、張り巡らされた情報網、どうやって築き上げたのか知れない幅広い人脈。

その他、諸々。

エトセトラ。

オールラウンダーであり、オールマイティなのだ。

だからこそ、そんな彼女にやって来る依頼は後を絶えない。

一つの事件が解決すれば、次へ。

そして、それが終結すれば、また次へ。

その結果が生んだものがそれらなのかもしれないし、先天的にそんな才能を持ち合わせているのかもしれなかった。

 それを言えば、だ。

 それを言うなら、一体全体どうして平凡な大学生である僕が八千代と共にしているのか。

それは未だに僕もわからないことだった。

彼女との出会いは少し遡ることになるけれど、偶然な出会いと偶然の事件をきっかけに、こうしてパートナーの如く連れ添っているわけだ。

相棒とも言える。

親友とも言える。

それがどうしてそうなったのかは、やっぱりわからないことなのだけれど。

時間の経過が生むものもあるだろう。

そういうことにしておこう。


「安心していいよ、少年。じきに犯人もすぐ捕まるだろうさ。今、血眼になっておまわりさんが捜査してるからね。おまわりさんを信じよう、犬のおまわりさんだって迷子の猫を助けることができるんだ」

「犬のおまわりさんは誰も助けてねぇよ。むしろ困って鳴いてるだけだよ」

 そこで八千代は、わんわん、と犬の鳴き真似をした。

 赤面する。

僕が、だけれど。

「あれ、八千代は今回の事件に関わってないのかい?」

「何で私が関わらなくてはいけないんだ。と言うか、事件だの何だの、大袈裟だな。こんなの警察くらいでも解決できるだろうさ。いや、この程度のことすら解決できないんだったら、犬のおまわりさん以下だよ」

「てっきり、僕が被害者だから――って理由で解決してくれると思ってたんだけれど……」

「依頼かい?なら、応相談だな。報酬を主に話し合おう」

「…………」

 前言撤回。

親友だとか、相棒だとか、八千代をそう表現した僕が間違いだった。

「あぁ、そうだ。ところで、具合の方はどうだ?」

「ついでみたいに言うね……。うん、大丈夫だよ、そこまで痛みないし。あんな物で刺されたっていうのに、生きてるし」

「恐ろしいことに、林檎少女がお前の担当医に投与する薬を指示してたぞ」

「それは、本当に、恐ろしいね……」

 どんな少女だ。

いくら国家が林檎ちゃんの存在を隠蔽するほどの異才だからと言っても、素人だろうに。

それに、どうして医者が十四の少女の言いなりになってるんだよ。

「まぁしかし、手術もしたんだ、暫くは動くこともままならないだろう」

「そっか、手術したんだ――」

「手術費は私が立て替えておいたから、必ず返せよ。あと、入院費もな」

「……ですか」

 そう言えば、と。

お金の面の不安が募ってくる。

ただの大学生に、あっさりと治療費を出せる支払能力はない。

八千代がいてよかった、と思えるが。

彼女の返済催促がどれほど恐ろしいものなのか、想像するだけで全身の毛が立つ。

 手術、か。

 手術で思い浮かぶことは、医師から告げられる成功確立だとか、用紙へのサインとか、患者の複雑な心境だとか、葛藤――それを経験せずに、しかも意識のない内に済んでしまった。

それらもまた、ドラマやアニメのように過剰な演出なのだろうか。

だとしても、だとしなくとも、一生で一度経験できるかできないか、むしろ圧倒的に後者の方が多い中で、意識がなかったことは素直に悔やしい。

いや、この言い方だと語弊を生みかねないが。

手術しないに越したことはないし、健康体を維持するべきなのだけれど、いざそうなってしまった場合は、純粋に貴重な体験と捉えるべきなのだろうと思う。

勿論、そんな悠長なことを言っていられる状況でないのがほとんどだろうし、そうだったとしても、そんな心の余裕はどこにもないだろう。

だからこれは、あくまで僕個人の感想である。

しかし、そんな常識のない感想を抱く僕がいざ当事者になってみれば、全然違った心境に陥るだろうし、それこそ、そんな暢気な緊張感の欠片もない余裕が生まれるとも思えない。


 

 だからこれは。

 要するに、妹のいない男子が思い描く理想の妹像だったり、妹のいない男子が妄想する理想の兄妹関係と同じだということだ。

それこそ、ドラマやアニメで見るような関係が兄妹間で築かれることこそ過剰な演出であり、夢見る男子の文化なのだろう。

 そんな兄妹、どこにも存在しないのに。



「少年、私はこれから用事があるから、ここで退散させてもらうとするよ」

「用事?」

「仕事――みたいなものだな。麻由紀と会う約束をしてる」

「……麻由紀?」

「あれ、知らなかったか。そう言えば、君とは一度も対面してないな。まぁいいや、うん、金色の公安刑事だよ」

 ふぅん、と僕は相槌を打った。

「私と共にしてるんだ、いずれ少年も彼女と出会うことになるだろうさ」

 と、八千代は別れを惜しむこともなく、そそくさと病室を後にしたのだった。


 しかし、林檎ちゃんのおかげ(?)なのだろうか、痛みがまるでない。

本当に刺されたのか、と自分の体なのに疑わしくなるほどだ。

痛覚がなくなったんじゃないか、と不安にならなくもない。

或いは、痛み止めの過量服用のせいなのかもしれない。

それはそれで、後に待っているであろう副作用が恐ろしいけれど。

 まぁ。

 何はともあれ、助かったことには感謝しよう。

この場合、神様にでも礼を言えばいいのだろうか。

それとも、致命傷にならずに済んだ犯人に対して言えばいいのだろうか。

いや、間違ってもそれはない、か。

あれは確かに僕を殺そうとしていたのだ。

確かな殺意を感じることができたのだ。


 人が目の前で死ぬ場面を何度も経験してきた。

何度も、何度も、何度も。

人が抱く殺意には慣れている。

けれど、それが自分に向けられることは初めてだった。

自分が殺されそうになることは初めてだった。

いつも殺されるのは、目の前の第三者であって、殺意の対象もまた、彼ら(彼女ら)なのだ。

今まで傍観者だったのが、当事者になり、介入者になった――そういうことなのだろう。

 殺意の対象。

 殺人の対象。

過剰な演出として言うならば、それは非常に魅力的な立場ではないだろうか。

勿論、この場合、イコール犠牲者ではなく。

犯人が選りすぐりをした結果選択した対象――特別な意思を向けた対象。

自分の存在が一気に上位に成り上がったかのような、そんな錯覚すら感じられなくもない。

 極めて常識外れなことを言っていると思う。

人の道から踏み外したことを言っていると思う。

常軌を逸したことを言っていると思う。

ぬけぬけと。

図々しくも。

仰々しく。



 八千代が病室を去った後、そんな不埒(ふらち)不敬(ふけい)極まりないことを考え、便意に駆られた僕は重たい体をベットから起こした時だった。




 ゆっくりと。

 ゆっくりと――




 病室の扉が開く。






「ぎゃはっ、ぎゃはははは、やぁ、お兄さん。どうも、死神です、なんちって!お迎えにあがりましたよ!死神だから、この場合天国じゃなくて地獄だけどぉ!」

 少年のような声を発する彼――

真っ赤なフードを目深に被った彼が起こした僕の懐に飛び込んだ。

抵抗することもできず、馬乗りの体勢になる。

マウントポジション。

先日刺された患部の上に彼は体重を置く。

さすがに、痛い。

痛過ぎて、悶絶する。

「ぎゃはは、あれあれ、もしかしてまだ傷痛い?大丈夫、すぐ楽になるから――!」

 と、彼は長い袖の中に隠していたミリタリーナイフを高々と掲げる。




 





 掲げて――







 振り下ろす――








「お兄ちゃんに投与した薬、一体何なのか知りたくありませんか?知りたいですよね、あぁ皆まで言わなくて結構です。まったく、しかしそれにしても、わたしがどうして医師に授業しなくてはいけないのでしょうか。そんなことをするために、医学を得たわけではないというのに――って、え?」




 愚痴を漏らしながら、這入ってきたのは――




「ナイスタイミングだぜ!ぎゃはははっ」

 林檎ちゃんだった。

まさに彼の言う通り、ナイスタイミング。

これぞ、幸運。

これぞ、奇跡。

「お兄さん、またなぁ!ぎゃはっ」

 林檎ちゃんとすれ違う形で、彼は暢気に、悠長に歩きながら去っていった。

堂々と。

闊歩(かっぽ)して。

「…………」

「お兄ちゃん、友達は選んだ方がいいと思いますけれど」

 林檎ちゃんの言葉は、刺された腹部に痛く響いた。


 訂正。

殺意を向けられる対象が魅力的な立場である、それは完全に誤った表現だった。

僕はベッドの上で仰向けのまま、言う。

間違った表現に加え、今まで語ってきた主観を反省して。

猛省して――


「ごめんなさい……」

「謝るくらいなら、良い関係を築ける友人を探して下さい」


 林檎ちゃんは呆れて、肩を竦めてそう言った。


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