表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
29/36

殺傷理由 Ⅲ

 『神宮司』についての僅かな情報を初めて聞いた時、僕はそれを科学的に証明することができない噂話のように捉えていた――彼らが類稀なる都市伝説級の殺人鬼と称されるのは、まさにそれゆえだったのだろう。

 彼らの姿を見た者はこの世に誰一人としているはずがなく。

 この世に誰一人として生きているはずがなく。

 曖昧で、煙のようで、掴むことすらできない。

 宙を漂う空気のような存在でもあり、皮膚を焦がす強烈な紫外線のようでもあり、また、時間が経てば空気中に紛れる水蒸気のようだし、いつまで経ってもそれと同化しない煙草の煙のようでもあった。

 およそ人が有するはずがない矛盾を、彼らは孕んでいた。

現実味を帯びているようで現実からは圧倒的に離隔した彼らは、だからこそ都市伝説と称讃(しょうさん)され、伝播してきた。

 たとえ、彼が殺人鬼であったとしても。

 たとえ、彼女が殺人鬼であったとしても。

 彼らの手により、誰かが犠牲になろうとも。

 『神宮司』の神格化――崇拝。

 わからなくはない、むしろ大いに理解できる。

 規制と規律に塗れた息苦しい現実を生きる誰もが日常の変化を願い、刺激を求めている――リアルの中の、リアリティのあるアンリアルに情欲を突つかれるのだ。

興味がそそられるし、好奇心が芽生えてしまう。

それは恐らく、『怖いもの見たさ』と同じような感覚なのだろう。

怖いものが本当に怖いのかどうかを確認したい、怖いものが本当は怖くないのだと確認したい――そういうことなのだと思う。

 存在すら曖昧な都市伝説級の殺人鬼。

 兄を神宮司 蓮ニ、妹を神宮司 甘奈とした兄妹の殺人鬼。

 事前知識はそうだったが、しかし、そうではなかった。

 彼らは、彼女らは、二人で一人だった。

 一人で二人だった。

 意識と意思を二つ宿した体の持ち主だった――脳の持ち主だった。

 所詮、都市伝説は都市伝説、街談巷説は街談巷説、道聴塗説は道聴塗説、噂話は噂話、話半分は話半分、絵空事は絵空事で、伝播されるごとに形態を変え手段を変え、時代と流行に沿ったものへと形成される。

八千代も籠目ちゃんも、誰も、『神宮司』の真実を知らないのだ。

事前情報が間違っていたとしても頷けよう。

 そして。

 その真実が目の前に。

 さらなる真実を秘めた『神宮司』が目の前に。


「……妹、いもうと…………君の、いもうと?」

 僕は対峙した甘奈と、仰向けに横たわり目を閉ざした籠目ちゃんとを見比べて言う。

「どういう、ことだよ……」

 妹?

 神宮司 甘奈の妹?

 『神宮司』の妹?

 いや待てよ、『神宮司兄妹』は一人で二人――兄を蓮ニ、妹を甘奈とした兄妹で――

「あれ、あれれれ、もしかして甘奈ちゃん、余計なこと言っちゃったかなぁ……?ど、ど、ど、どうしよ……蓮ニくんに怒られるかもぉ、うひひっ」

「……神宮司兄妹は、お前と蓮ニのことじゃなかったのか?」

「あぁ、あぁ、まぁ、いっかぁ……殺せばいいんだしぃ。何か知ったところで、死人に口なしだしぃ、ですしぃ」

 成り立たない会話を放棄して、考える。

 神宮司 甘奈の一挙一動に細心の注意を払いつつ、考える。

 小さな脳味噌で考える。


 ……おかしいのだ。

 そもそも、おかしかったのだ。

 いつから?

 いや、最初からおかしかった。

 何が?

 全部。

 どこが?

 全部。

 今考えれば――籠目ちゃんが『神宮司』と繋がっていたという大前提を置けば、全ておかしく見える。

 見えてくるのだ。

 

 籠目ちゃんと初めて遭遇したあの日――六月十一日、彼女は僕の後をスニーキングして追ってきた。

そして、『神宮司』の名を聞かされ、挙句の果てに、その日に起きた大学内殺人事件と通り魔殺人事件のきっかけを僕だと言い放った。

 籠目ちゃんはあの日、どうして僕の後を追ってきたのだろうか。

 彼女が『神宮司』と関係している、その公式を用いれば、解を出すのに苦労はしなかった。

 つまり。

 六月八日に僕を襲った未遂事件、あの犯人が神宮司 甘奈だと知っていたからではないだろうか。

 そして、六月十二日――会社ビル内殺人事件。

籠目ちゃんが鳴尾 伊吹の自殺体を他殺に見せたせいで、事件現場に《密室》が形成された。

鳴尾 伊吹は先に入社していた円賀 井伊春を一階で殺害し、その後、六階の資料室で首を吊った。

そして、窓から侵入した籠目ちゃんは自殺した彼女の死体をバラバラにした。

 そうだ、そうじゃないか――考えれば、最初から籠目ちゃんの言っていることはおかしかったじゃないか。

 

「偶然にも女の人の悲鳴を聞いた――」

  、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

 首を吊った鳴尾 伊吹の悲鳴をどうやって聞くというのだ。

 だとしたら、籠目ちゃんは恐らく、何らかのルートで会社内の殺人事件の情報をいち早く得ていたのだろう――いや、妥当な線としては、鳴尾 伊吹と繋がっていた可能性が高い。

内部を外部から完全に閉ざした中で行われた犯行を事前に知っていたに違いない。

 

 そして、わからないことが一つ。

 判然としないことが一つ。 

 六月十四日、教室内殺人事件。

 籠目 紫のものだと思われていた死体は検死の結果、森巻 友香という女生徒だと判明した。

被害者のポケットに入っていた生徒手帳は籠目ちゃんのものだった。

そして、事件に協力し、殺害された二名の教職員。

籠目ちゃんの自宅から発見された被害者の頭部――それを目の当たりにして、腹部を刺された僕。

 なのに。

 なのにも拘らず。

 森巻 友香を殺害したのは『神宮司』だと言った。

 あり方を肯定しているわけじゃないと、友達を殺すなんて許せるはずがないと、そう言った。

 つまり――どういうことだ?

 

「ごめんね……今まで嘘ついてて――」


 それは一体どういう意味だったのだろうか。

 どういう意図があったのだろうか。

 嘘、嘘。

 ……嘘か。


「……なぁ、神宮司。一つ、訊きたいことがあるんだ」

「なぁんですか、改まって。愛の告白ですかぁ?そうですか、残念だけど、甘奈ちゃんはみんなの甘奈ちゃんなのでぇ、お気持ちだけ受け取っておきますよぉ……ひゃはは」

 何だろう、殺人鬼を目の前にしているのに、緊張感が生まれない。

 本来ならば、成り立たない会話に恐怖するはずの場面なのだろうが、甘奈の弛緩した表情はある意味、別の意味で恐怖だった。

「籠目ちゃんが君の妹かどうかは一先ず置いておくとして――今まで連続してきた通り魔事件、お前は関与しているのか?」

 神宮司 甘奈は少し沈黙して。

「……してないと言ったら嘘になるよぉ、なるんですよぉ。でもねぇ、甘奈ちゃんはそんなの知らないですねぇ。うーん……知らないというか、知ってるはずないよぉ」

「知ってるはずがない?」

「お兄さんさぁ、頭固い?カチカチ頭?……カチカチって固いのか凍ってるのか、よくわからないですよねぇ」

「…………」

 違う。

 そうじゃない。

 僕は今、間違った方向で思考をしている。

 そもそも、この連続殺人事件に『神宮司』は関与していない――いや、まるっきりしていないというわけではないけれど、少なくとも、僕が見てきた事件には関与していなかった。

 大学内教授殺人事件も、会社ビル内殺人事件も――『神宮司』の偽物による犯行で、物真似だった。

『神宮司』という都市伝説に好奇心を煽られた者による、奉り崇拝した者による犯行だった。

 それならば。

 通り魔事件もそうなのだろう。

 言わずもがな、そういうことなのだろう。

 確か、雪間さんと八千代が捜査に向かった通り魔事件の一つに、奇妙な死体があがったと聞いた。

通り魔によって殺害されたものではなく、死亡推定時刻と外傷から判断するに、他所から運ばれた可能性が非常に高いということだった。

 それはまるで、『何か』に見せかけるように、

 まるで『何か』を連続させるように。

 八千代が言うように、通り魔事件が連続したかのように見せたものだった。

 そう――

 『神宮司』による通り魔事件が連続しているかのように――


「……そっか、そういうことだったんだ」

 僕は独白するかのように、納得する。

 これほどまでに事件が混沌としているのも、捜査が難航しているのも、糸と意図がぐちゃぐちゃに混乱して絡み合っているのも、全部、全部、『神宮司を崇拝する者』のせいだったのだ。

『神宮司』がまさかたった一人の少年すら殺害することができないなど有り得てはならない――六月八日に奇跡的に生き残ってしまった僕を『偽物』が狙ったのも、そういう理由からに違いない。

 狂ってる。

 何もかも狂い過ぎで、行き過ぎだ。

 摂理も道理も、倫理も論理も、道徳も何もかも狂っている。

 狂気と凶器に満ち溢れている。

 『神宮司』だけではない、彼らを崇める者もそうだ――そう考えれば、なるほど、『神宮司』が都市伝説と称される所以がわからなくもない。

ある意味、彼らの存在が曖昧なのもそれに起因しているのかもしれない。

不特定多数の『神宮司』と言える、それは考えるだけで身の毛がよだつ話だ。

 僕たちは『神宮司』を追っていた。

 進捗しない捜査から『神宮司』による犯行だと推測し、そして、それは的中していた。

 『偽物』の『神宮司』の犯行だったのだ――あれも、これも、どれもそうだったのだ。

 実際、彼らは『神宮司』の真似をしたに過ぎない――本物には到底及ばない、到底敵わない劣等で偽物だったけれど、しかし、ある意味彼らもまた『本物の神宮司』と表現してもいいのかもしれない。

曖昧な存在という、『神宮司』の定義に当てはまる点においては、彼らもまた本物に近い偽物と言える。

いや、或いは、本物に近い本物か。


 籠目ちゃんが言ったように、もしも彼女が森巻 友香を殺害した犯人でないとするなら、その後に起きた二つの殺人事件の犯人も変わってくるだろう。

僕が病室で眠っている間に起こった二つの殺人事件――十七日の民家内家族殺人事件と十八日の通り魔事件では、協力者である教職員の二名が殺害されている。

犯行動機は恐らく、情報の漏洩を防ぐためなのだろう。

全く、協力者までも殺害するとは血も涙もない。

しかし、『神宮司』の定義から外れた者が存命できるはずがないのだから、犯人から見ればそれは極々当然の動機であるし、協力者だろうと『神宮司』の実態に少しでも近づいた者を皆殺しにする理由もわからなくない。

 まぁ、けれど。

 二名の協力者以外にも殺害されたのだ、いくらなんでも残酷だろう。

 残酷で冷酷で、凄惨だ。

 しかし、これまでに犠牲となった十四名の中で、少なくとも三名は《協力者》だった。

それを考えれば、同情が薄れてしまうのも仕方がないことであろう。


「ねぇ、ねぇ――」

 甘奈は左手に握った刃渡りの長い包丁を、窓から射す微かな月光に反射させる。

 一瞬、きらり、と暗闇が明るむ。

「『神宮司』ってさぁ、一体、何なのかなぁ?みんなにはどういう風に見えてるのかなぁ?……じゃなくて、どういうことなのかなぁ、きひひっ」

「…………」

「『神宮司』がどうして都市伝説として扱われてるのか、考えたことある?あります?ありますか?」

 不気味な笑みを浮かべながら、鈍く輝く刀身を遠い目で眺めているようだった。

「……神宮司は君だろ、何言ってるんだよ」

「ひひひっ……そうでしたぁ、うっかり忘れてましたよぉ。甘奈ちゃんは『神宮司』なんですよぉ、だからお兄さんも、そこの女も殺さないとです。死ぬまで殺して、殺すまで殺すんですぅ」

「狂ってるよ、お前は」 

「狂ってるのは甘奈ちゃんじゃないですよぉ、何言ってるですかぁ。甘奈ちゃんは自分の欲望に忠実なだけですぅ。狂ってるのは甘奈ちゃんじゃなくて、お兄さんでもなくて、世界じゃないですか」

 僕は彼女の言葉に少しの驚きを感じた。

 まさか会話が成り立つとは思っていなかったし、何より、彼女の口から哲学的な言葉が発せられたことに驚愕だった。

 世界が狂ってる、ねぇ――

「『神宮司』なんて都市伝説が広まってぇ、それを信じて止まない人がいてぇ、興味を持ってぇ、好奇心を煽られてぇ、欲情してぇ、挙句の果てに人を殺してぇ、物真似なんかしちゃってぇ――そんな連中が生きてる世界の方が甘奈ちゃんよりよっぽど狂ってますってぇ、うひひひひ」

「その言い分だと、その連中が狂ってるように聞こえるけどね」

「あれ?そうですねぇ……そうかもしれないねぇ、ふひひっ。でもきっと、その連中は自分が狂ってるなんて思ってないですよねぇ、自覚ないですよねぇ。だって、みんな、彼らは自分を自分だと、正しくそうだと認識してんですからぁ……」

「わからない、わからないよ、君の言ってることが。何が正しいんだよ、何が自分が自分だと認識してる、だよ。そんなの、自分で勝手に作った定規で測ってるだけだ」

 本来ならば、殺人鬼を目の前にして下手に刺激を与えるべきではないのかもしれない。

 いや、間違いなく、与えるべきでない。

けれど、僕は平然を装いながらも、徐々に冷静さを失いつつある脳を自覚しながら言った。

どうしても、甘奈の持論が有する大きな間違いを訂正したくなったのだ。

「人の主観が貴重とされているから表現の自由があり、宗教の自由がある――けれど、けどね、人殺しの自由なんてものは存在しないんだよ。正義だとか悪だとか、誰が良いとか悪いとか、勝敗とか優劣とか、人の数だけ価値が違う。だけど、人殺しは誰がどう見ても、悪なんだよ」

「えぇ、何ですかそれぇ……甘奈ちゃん、全然わからないですよぉ。うーん……でも、甘奈ちゃんは悪いことなんてしてるつもりないんだけどねぇ」

「人殺しは悪いことだろ」

「罪を犯してるとは思うですけどねぇ、そんなに悪いことだとは思わないですぅ。悪いことなら、最初からやってませんしぃ……あ、今のは嘘っ。悪いことだったとしても、どうせ同じことしてるかなぁ……ひひひひっ」

 甘奈はさらに加えて続ける。

「悪い悪いと思ってやる殺人なんて、どこにあるんですかぁ?うひひひひひひひっ」

 僕はその言葉に同情の余地を捨て去り、哀れみと憐れみと、そして何よりの軽蔑を彼女に送った。



「人を殺すということは、殺されてもいいということだ」


 

 甘奈は、

「殺される人は、人を殺す人から殺されるということだぁ」



 僕は彼女の言葉に冷静さを完全に失った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ