殺人代行 Ⅱ
六月十九日、入院二日目――いや、五日目にして僕は例の如く、檻の中から脱走する計画を企てていたのだけれど、どうやらそれはあまり意味がないようだった。
安静第一ではあったが、どうやら僕が感じたほどの具合ではなく、そもそも四日間である程度の回復を見せたようなので、必然的に僕は目を覚ました翌日に退院することになった。
その際、六月十一日に志木式さんの暗黙を背に病室を脱走したことについて、院長直々に説教をされる羽目になったのだけれど、しかし、顔の利く林檎ちゃんから助け船が出されたこともあり、何とか弁明の余地があって、それは不問とされた。
完全に呆れていた様子ではあったけれど。
ともかく。
前回とは違い、何の後ろめたさも感じずに正規の手順を踏んで退院することができたのは僥倖と言えるかもしれない。
はたまた、未だ殺人鬼が息を潜めている地上に足を踏み入れるという意味からすれば、それは僕にとって地獄の再開とでも言えるのだろう。
急激な加速を伴いつつ僕の生命が今まさに絶たれようとしているのだから、理由をこじつけて病室に引き篭もるべきなのかもしれないけれど、そんなことに意味がないということは僕にだって、誰にだって理解できた。
実際、多方面の安全性を備える病院の病室の中で襲われそうになったのだ、その経験から鑑みるに病室も僕にとっては危険性の高い場所である――むしろ、閉鎖的な一室という観点から述べれば、その危険性は外界より遥かに増すだろう。
勿論、地上が安全だという保障などどこにもないけれど、地雷の種が蒔かれた道を歩くよりかはそれがあるかもしれない道を歩く方がマシという考えである。
いつ死ぬなんて、誰にもわからないのだから。
どこで誰が死ぬなんて、誰も知らないのだから。
ましてや、自分が死ぬなんて、誰も思ってもいないのだから。
とは言っても、殺人鬼による殺人予告があった以上、何も無策で生死の境を浮遊しようというわけではない。
こうなってしまった以上、対策を練って自分に被害が及ばないようにしなければいけない――アニメや漫画の主人公ならば、思い切ってこちらから先手を打つべきなのかもしれないが、生憎、僕がそんな役割を担うなど恐れ多いし、何より、そこまで熱血馬鹿にはなれそうにない。
身勝手に事件に関わる身なれど、別に使命感を背負って解決に貢献するつもりは露ほどないのである。
ただでさえ平凡な大学生なのに、雪間さんのように社会正義を貫くことなどおよそ不可能だ。
逃げたい時は逃げたいし、目の前に悪があったとしても黙認せざるを得ない状況もあるだろう――その点、僕の行動と思考原理は一般的なそれではないだろうか。
つまり、僕が考えた策は逃避行だった。
自身が狙われているということを知り、いつ魔の手ならぬ鬼の手が伸びてくるかわからない状況下で、のうのうと日常生活に回帰できるほど僕の精神状態は奇怪ではない。
などと言ってしまうと、まるで僕が単なる恐怖心から逃れるためのように捉えられてしまうが、そうではない――だからこれは逃避行というより、犠牲者をこれ以上増やさないためにも僕がしなければいけない、僕だけができる、僕にうってつけの『自己犠牲』である。
ここらで少し整理しよう。
そもそも、どうして籠目ちゃんが僕にあんなことを言ったのか――その意図を推測してみよう。
推理においても、犯人の目的や目標を推測するということは極めて重要である。
それに倣って考えてみよう。
どうしてかはわからないし、何とでも理由をこじつけられそうではあるけれど、確かに籠目ちゃんは僕のことを目の敵にし、尚且つ、僕に殺人を見せ付けようとしている。
それはきっと僕の精神状態をどん底に陥れようとしているのだろう、しかし、その意図は考えるだけ不毛だろう。
ここで考えなくてはいけないのは、籠目ちゃんが何らかの理由から僕を狙っているということだ。
そして、一番重要なヒントとして――連続殺人事件が起こったきっかけが僕であるということだ。
これについては少々理解に苦しむが、それはつまり、六月八日に僕を襲った殺人未遂事件のことを指しているのではないだろうか。
連続殺人事件の皮切りと言ってもいい、零番目の事件をきっかけにそれが連続したのだとするならば、本来そこで殺されるはずだった僕が九死に一生を得て、命辛々生還したことに意味があるのではなかろうか――間違って生還してしまったことに意味があるのではないだろうか。
その結果、僕の処遇はどうしてか後回しにされ、最後の最後に、連続殺人事件の終焉であるフィナーレの引き立て役に抜擢された、のかもしれない。
しかし、何はともあれ、その推理が的を射ているかどうかは別としても籠目ちゃんが僕を狙っているという事実は彼女の言葉から見て取れる。
まさか、あんな身の毛が逆立つ殺意を滲ませながら言える冗談などあるとは思えない。
そうであるならば――籠目ちゃんが今まさにどこかで僕の行動を監視し、フィナーレに向けて計画を立てているのならば、僕がその計画を無為にしてやろうと考えたのだ。
経過があってこその結果、過程があってこその終焉――フィナーレに必要であろう僕という存在がなくなってしまえば、果たして籠目ちゃんは僕を追うだろうか。
間違いなく、追うだろう。
なぜなら、連続殺人事件のきっかけが僕なのだから、どんな形になったとしても事件を終幕させなければいけない。
そして何より、これ以上の犠牲者を生まないためにも僕という存在が消失しなくてはならない。
受け入れ難いことだけれど、僕のせいで殺人事件が連続しているのだと仮定するなら、僕に見せしめるために殺人しているのだとするなら、僕はここから逃避する必要があった。
それが逃避行ならぬ自己犠牲である。
そんな不安は杞憂かもしれない。
むしろ、何の意味もないかもしれない。
裏目にでるかもしれないし、僕がいなくなったところで、また違う誰かがフィナーレの立役者として代行するかもしれない。
そんなことは十分承知である。
だから、何も無言で籠目ちゃんに悟られずに逃避しようというわけではない。
むしろこの場合、僕の逃避は籠目ちゃんに知らさなければならない。
スニーキング技術に富んだ彼女ならば、そんなことをせずとも察知してくれるかもしれないが、それこそ杞憂なのかもしれないけれど、僕はこうして籠目ちゃんの住所であるアパートの前に退院したその足で向かったのだった。
八千代から聞いた住所――新築のようで綺麗な塗装だが、錆びて穴の空いた骨格が見えるにそうでもないようで、籠目ちゃんの部屋がある二階に続く階段を踏み上がると金属が悲鳴をあげて僕の耳を襲った。
204号室が籠目ちゃんの部屋である。
事件発生からすでに五日ほど経過しているので、辺りを規制線によって隔離されているわけではなく、一見すればそれが殺人犯の部屋なのかどうかなどわからない。
いや、そりゃ当然そうなのだろうけど。
勿論、うっかり警察が鍵を閉め忘れたというわけでもなく、僕は扉の前で淡い希望を胸にしまった。
できれば一目だけでも中を確認したかったが、さすがにそう簡単ではないらしい。
まぁいずれにせよ、部屋に侵入することは僕の個人的な感傷的になっている感情の一部が生み出したセンチメンタルに過ぎないわけだが。
籠目ちゃんに特別な想いを抱いていたわけではない。
別段の濃密な関係を築いていたわけではない。
なのに、どうして僕は言語化するに難しい感情を抱いているのだろう。
向けているのだろう。
駆られているのだろう。
「…………」
殺人鬼に同情するなど不敬にもほどがある。
一般常識からかけ離れた思考かもしれないが、僕は時々そんな感情に陥ってしまう。
テレビの向こうで自分とは無関係の凄惨な事件について、幾人のコメンテーターが熱く論議している中、僕はたまに被害者の彼ではなく殺人犯の彼に同情を覚えてしまう。
殺された被害者はまぁ可哀相に、家族もいるだろう、友人もいるだろう、彼の死を悲しむ人はたくさんいるだろう。
それと同じように、殺人犯もまたそうなのだと誰も考えていないらしい。
悪者に同情の余地などないという言説が根底にあるのは確かだけれど、同時に正義と悪がいつ摩り替わってもおかしくない。
彼らは自分の正義を正義として、正しくそうであるということを互いに貫いているだけなのだから。
だから本来、突き詰めれば悪などこの世に存在しない。
正義が悪を打ち砕くなど、子供の妄言である。
正義が討つのはいつだって正義で、正義が負けるのはいつだって正義だ。
そして、より正しいそれが常に勝つということでもないらしい。
「今更だが、この作戦は大丈夫だろうか……」
胸中を襲う不安を口に出したのも、籠目ちゃんの部屋の扉横に設置された古典的な郵便ポストのせいである。
郵便ポストというより新聞受けに近いそれに、僕は一枚のメモを入れた。
当然ながら、誰も部屋の中には這入れないので、籠目ちゃんと連絡を取ろうにも必然的にそれと同じ古典的な手段になってしまうわけだが――それにしても、いつ警察機関が部屋内の捜査を再開するかわからない現状、容疑をかけられるには十分過ぎる手段を用いてしまった。
しかし、僕の脆弱な肉体のおかげで幸いにもその様子は伺えないので、それもまた杞憂というやつだろう。
そして、そのメモが無駄になってしまうのではないだろうかという心配も杞憂だ。
殺人鬼に対して信頼を置くのもおかしい話だが、恐らく籠目ちゃんは今もどこかで僕を見ていることだろう。
そう考えるだけでおぞましいが、それくらい僕は彼女のスニーキング技術を高く評価している。
さて。
そろそろ僕も動くとしよう。
八千代と雪間さん、それに三間さん率いる刑事課の方々には申し訳ないけれど、ここからはフィナーレに向けた僕と彼女の物語である。
介入する余地は誰にもない、干渉も許さない僕と彼女だけの終幕だ。
自分が殺されるかもしれないという恐怖を感じないわけではない、それならいっそのこと本当に現実から逃れるべく逃避行でもしたいくらいではあるけれど、生憎、僕は一般常識からかけ離れた変人である。
誰が好き好んで殺人現場に足を踏み入れるというのだ、それは僕がそうであると曲りなりに示している。
先ほどの前述を覆して翻すようで悪いが、生憎、僕はそうなのだ――殺人鬼に立ち向かう熱血馬鹿になれなくとも、殺人鬼に近寄ることを億劫にも思っていない変人だ。
だから、僕は今ようやく、六月八日から起こる連続殺人事件のフィナーレの引き立て役として彼女を招待してあげよう。
そう、招待するのだ。
彼女が演じるステージではない、僕のステージに彼女を終焉の立役者として招こう。
何の力も持たない大学生である僕だけれど、易々と殺されるつもりは露ほどないのである。




