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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
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殺人教唆 Ⅲ

「やぁ、林檎ちゃん。昨日振りかな?」

 午前十時ちょうど。

 僕は事件現場の検証を切り上げ、何の成果も得られないまま、とある病室に来ていた。

八千代は雪間さんが向かった通り魔殺人事件の現場で彼女らと合流して情報交換をするらしく、僕とは一度別れた。

「病室に這入る時くらいノックして下さい。病室でなくとも、少なくとも女子のいる部屋にノックもしないで這入るなんて不躾ですよ。良かったですね、今後の堕落な人生を惰性で過ごすお兄ちゃんでも一つ賢くなれて」

 旗桐 林檎(はたぎりりんご)――林檎ちゃん。

齢十四の《世界から外れた少女》である。

本来ならば、義務教育課程に属する身であるけれど、林檎ちゃんは学校生活を送っていない。

彼女にとって学校生活と言えば、一年の半分を過ごすこの病室がそうだし、彼女にとっての日常生活と言えば、それもまたこの病室で過ごすことだ。

学問の末端から末端まで、ありとあらゆる学問を終えた少女――旗桐 林檎。

その異才と異質が林檎ちゃんを一般の世界から遠ざけていた。

 普通、ではない。

 異常だ。

この世に存在する知識の全てを所持していると言っても過言ではないし、だからこそ彼女は何でも知っていて、知らないことなどこの世にない。

けれど、そんな異常な存在である林檎ちゃんにも決定的に欠如しているものはあった。

何人も並ぶことすら許されない頭脳を持つ彼女ではあるが――唯一、欠陥した――経験値。

何でも知っている、知らないことなどない、けれど、林檎ちゃんは知識として蓄えただけであってそこに経験は存在しなかった。

その点のみで言えば、林檎ちゃんは同年代の一般人にすら劣ってしまう。

 そんな林檎ちゃんが義務教育を受けていないのも、それ故である。

言ってしまえば、国から認められた鬼才だった。

それもそうだ、今更、彼女が中学校で学ぶものなど皆無だ。

「……ははっ」

「笑って誤魔化さないで下さい。お兄ちゃんの無礼な言動など全て受け入れる覚悟と許容できる器はありますけれど、他の誰かにも同じようにしていると思うと、わたしはお兄ちゃんを教育せざるを得ません」

「十四歳の少女に僕はどんな目で見られてるんだよ」

 林檎ちゃんが一年の半分をこの病室で過ごす理由は実家である旗桐家との確執や因縁のせいで、

以前にちょっとしたきっかけがあり、僕はこうして週に一度の見舞いを習慣として続けている。

とは言っても、健康体であるのが彼女だ。

持病があるわけでも、難病に臥しているわけでもない。

林檎ちゃんにとって、この病室は自分の部屋のようなものだ。

患者が使用するべき病室の一室で健康体である彼女が過ごすのも、旗桐家の計らいのおかげと言えよう。

僕なんかではおよそ皆目見当もつかないほどの、途方もない気が遠くなるほどの財力を有する旗桐家なら、それくらいのことは極々簡単にやってのける。

まぁ、そんなことを公にすることはできないので、林檎ちゃんは入院していることになっているのだけれど。

形の上で、だ。

「そう言えば、お兄ちゃんが病室から脱走した、って皆さん慌てていましたよ?」

「あぁ……やっぱり、そんなことになってたのか」

「わたしも驚愕したんですけどね。だって、ある程度は傷が塞がったとは言え、瀕死の状態だったのに病室から抜け出すなんて考えられません」

「瀕死?いや、別にそこまで大袈裟になるほどの怪我じゃなかったと思うけど」

「手術までしたのに、自覚がないんですか?内臓の縫合までしたらしいですよ」

 あぁ、そう言えばそうだっけ。

痛みがないからそんなこと忘れていた。

ん……?

痛みがない?

確か、志木式さんは痛覚から脳に伝達するまでの神経を妨害する薬を服用したとか言ってたっけ。

痛覚神経系毒薬――改めて思うが、なんてものを僕に服用させたんだ、この少女は。

その後に、志木式さんから正式に頂いた痛み止めも何だか怪しい気がしてきたぞ……。

「ともかく、僕はあまり長居することはできないようだね。まぁ、それも当然か――」

「で、お兄ちゃんは一日振りに何をしに来たのですか?」

 やっと本題、と言わんばかりに林檎ちゃんは僕の目的を問う。

「いや、別に目的はないんだけどね。ちょっと煮詰まったって言うか、息抜きと言うか、気晴らしと言うか」

「わたしを愛玩動物みたいな目で見ないで下さい」

 林檎ちゃんは病に臥しているわけではないので、見舞いと言っても、ただ世間話をするだけなのだが、仮にも入院している身である彼女のところにそんな精神で赴くのは本来間違っているかもしれない。

これだとどっちが患者なのかわからない。

「そうだ、林檎ちゃん。推理小説とか読む?」

「推理小説?何の為にですか?」

「えっ……何の為にって言われても。暇つぶしとか、勉強のためにとか」

「はぁ、そうですか……残念ですが、推理小説は読みません。推理小説が生まれた時代とか、流行った時代とか、本格推理小説の礎たる作品のことだったりとかは知識としてありますけど――」

「だったら読めよ!推理小説!」

 全ての学問を終えた林檎ちゃんでも読んだことのないものがあると聞いて、まさかとは思ったが、僕の斜め上を遥かに超える回答だった。

「まぁ少々、行き過ぎた表現だったかもしれません。一度も読んだことがないというわけではないんです。昔の、古い推理小説を一冊だけ読んだことがあります」

「へぇ、じゃその一冊があまり面白くなかったのか。まぁ、昔から推理小説なんて年の過ぎた人間が読むものだって言われてるしね」

「いえ、そういうわけではないのですが――物語の序盤の方で、既に犯人がわかってしまうので」

「それを君に言われると言い返す言葉がない」

「あんな簡単なトリックに悩み続ける探偵を見ていると、さすがのわたしでも苛々してくるんですよね」

「賢いというのも、ある意味欠点だよね」

「ですね。ふふっ」

 林檎ちゃんにとって、推理小説は推理するまでもないただの小説に見えるのだろう。

トリックやリリックのない、推理の必要もない推理小説なんて、一体何が面白いのだろうか。

まぁ、だからこそ、彼女にとっては面白くも何ともないのだろうけど。

簡単なトリックに悩み続ける探偵の様をひたすら文字として読むなんて、確かに想像するだけでつまらなさがわかるような気がする。

「なら、一つ問題を出そう」

「問題ですか……?」

「とある部屋の中で二人が殺害されました。部屋を開くにはカードが必要で、いつ誰がその部屋に入ったかを記録しています。入室履歴は殺害された二人の名前二つだけで、退室履歴はありません。他に侵入する経路もありません。果たして犯人は一体どうやって、二人を殺害したでしょう?」

 僕はそれとなく、スケールを小さくして今朝の殺人事件現場を表した。

「ふふっ、簡単じゃないですか。そんなの、問題にもなってませんよ」

「そう、かな」

「まさか、その程度でお兄ちゃんは《密室》とでも思っているですか?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど。これはただの遊びだよ。推理小説を読まない君がトリックを解明できるかどうかっていう」

「試されるなんて、いつ振りでしょう」

 林檎ちゃんは柔らかい笑顔を見せた。

無表情が常の彼女が天使にも見える笑みを見せることは非常に珍しい。

自然と魅入ってしまう。

「で、林檎ちゃん。解答は?」

「部屋の外で殺害したんですよ。そして部屋に入れて密室を形成、後は偶然空いていた窓などから脱出するだけです。他に侵入経路がなくとも、脱出経路はあるかもしれませんしね。侵入と脱出には埋まらない圧倒的な差異があります」

 ほう……。

これは驚いた。

勿論、林檎ちゃんを試すなど畏れ多いことをするつもりはなかったのだけれど、その解答は僕なんかでは思いつくこともないものだ。

 それなら。

 今の林檎ちゃんの解答のように、今朝の事件も当てはめて考えてみよう。

ビルの外で円賀 井伊春を殺害したとしよう。

これが最初の犠牲者だ。

外で殺害した後、彼の社員カードを使って入社する。

そして。

次に鳴尾 伊吹が入社して、六階の資料室で殺害。

これなら、辻褄は合うだろうか。

「…………」

「どうですか、正解ですか?」

「――いや、不正解」

「あら、どうしてです?」

 そうだ。

それは確かに考えられる、強ち間違いではないように思える解答だけれど。

それだと妙な点が増える。

「二人目の犠牲者は部屋から遠く離れた場所で殺害されていたんだよ。一人目の犠牲者は部屋の入り口で殺害されていた。部屋に入ってすぐに、嫌でも気付くところで殺害されていた」

 正面玄関から入ってすぐのところに設けられた警備小屋で殺害されていた円賀 井伊春。

次に入社した鳴尾 伊吹は絶対にその異変に気付くはずなのだ。

それに気付いて、のこのこと六階の資料室に向かうとは思えない。

「別にそれに気付いたとしても、死人は喋りませんからね。逃げ回られたとしても殺害できるのではないでしょうか?」

「いや、それはできないんだよ。時間的に、物理的に不可能だ」

 正面ゲートから入社した時間と資料室に入室した時間の差は六分だった。

その短い時間の間に殺害して、死体を六階まで運ぶことは不可能だろう。

だからと言って、資料室前で殺害するには鳴尾 伊吹がすぐ横で死んでいる円賀 井伊春に気付かずに向かったという前提が必要になる。

 うーん……。

 何だか、こんがらがってきたぞ。

 《密室》というには色々と穴があるし、二名の死体があった場所も奇妙だし。

何より、《カード》という隘路のせいで混乱が増していく。

「……ふぅん、まぁ、そういうことでしたらそうなのでしょう。死体を別の場所に運ぶ時間など含めて、不可能ということなのですね」

「そうだね……」


 なら――と林檎ちゃんは落ち込む気配もなく言う。


「それが不正解だと言うなら、確固たる自信を持って、わたしは解答しましょう」

「……ん?」

「そもそも、《密室》とは形成するものではなく、形成されるものだということです」

 林檎ちゃんは首を傾げる僕を気にせずに続けた。

「言い換えれば《密室》を形成するのは犯人であり、そして、わたしたちでもあるということです」

「僕たち……?」

「そうです。お兄ちゃん、本当にそれは――」



 ごくり。

 生唾を飲み込む。



「本当にそれは《密室》だったのですか?密室殺人事件だったのですか?そもそも、殺人事件だったのですか?誰かが殺人犯罪を立証したのですか?本当は誰も――本当は誰も、殺されていなかったのではないですか?」

 

 林檎ちゃんの言葉は混乱した僕の頭の中をすっきりと洗い流すものだった。

まるで体中に溜まった老廃物が流れ出るように――デトックス効果のような、そんな曖昧に理解していた効能を身をもって体感した。




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