殺傷因縁 Ⅱ
「ぎゃはっ、さすがはおまわりさん!俺様を前にして平気でそんなことぬかせるとはなぁ……冗談きついぜ。んでもって、冗談じゃねぇって顔はどうにかなんねーのか?」
「……笑わせてくれんよ、殺人鬼が」
雪間さんは堂々とした態度で神宮司 蓮ニと対峙する。
剣呑な様子の二人から感じられる同種の気配は、それこそまさしく殺意と表現して間違いないだろう。
お互いが放つ殺意と言えば、警察機関に属する雪間さんが振り撒くべきでないものだけれど、本人はそんなこと気にせず、むしろ何処となく楽しそうだった。
殺人鬼を目の前にして薄ら笑みを浮かべることができる神経なんて果たして誰が理解できるというのか。
いや、八千代なら――或いは、籠目ちゃんなら理解できるかもしれない。
まぁ。
少なくとも僕は理解しない。
考えれば理解し難いことではないかもしれないが、そんな無駄な思考に時間を費やすくらいなら、逸早くこの修羅場を収集したい。
と言うか、早く帰りたい……。
けれど、そんなこと言えるはずもなく。
むしろ、僕が間を割って場を制するなんて到底できるはずもなく。
ただただ雪間さんの背後で、金色に揺れる長髪を眺めながら傍観者の如く静観するだけだった。
それだけしか、できなかった。
「正義の味方ごっこは終わりだぜ、金色のお姉さん。どうせ、何をやっても無駄なんだぜ?終わらないんだぜ?終わりがないということは、この先もずっと、人間が死に続けるってこった」
「正義の味方ごっこなんて、最初からあたしはしてねーけど」
「ちょ、おいおいおい。いくら威勢がいいからっておまわりさんが言う台詞じゃないだろ……俺様が言える立場でもねぇけどな!ぎゃはははっ」
「あたしに正義かよ、なかなか笑えるジョーク言うじゃん。んなもん、クソの役にも立たねーって」
「……?」
神宮司 蓮ニは不思議そうに小首を傾げる。
僕はそれ以上に首を傾げる。
えっと……。
これは一体、どっちが殺人鬼なんだっけ?
雪間さんは僕を救ってくれた命の恩人で――危機一髪のところに風のように現れた救世主で――国家公安刑事という大層な肩書きを持つ正義の味方で――じゃないのか?
「あたしにあるのは正義じゃなくて、大儀だ。正義なんて微塵もねーんだよ。そういうのはな、弱者が生み出した妄想と虚言と欺瞞の塊じゃねーかよ」
「……きひっ、笑わせてくれるぜ」
「面白くもなんともねーっての」
瞬間。
刹那。
雪間さんは神宮司 蓮ニの背後に回り込んだ。
目にも留まらぬ速さで。
目にも追いつけない速さで。
瞬き。
パチリ。
次に目を開けた時には、左手で作った手刀で神宮司 蓮ニの頚椎部分をまるで優しく肩をほぐすように――とんっ、と叩いたのだった。
何が起きたのか、一瞬の出来事で理解が追いつかなかったけれど、暫しの沈黙の後、そこで僕はようやく気付く。
膝から地面に崩れ落ちる神宮司 蓮ニの姿を視認して、ようやく理解する。
「あー!!すっきりしねぇー!!」
雪間さんは一仕事終えたように背筋を伸ばしながら言う。
容姿に見合った聞き惚れる声だというのに、その乱暴さが全てを無駄にしていた。
いや、むしろこれはこれで――
「あ、えっと……雪間さん?」
「誰だよ、お前は!いつからそこにいた!」
「いや……結構前からなんですけど……」
「あー、あたしもまだまだってことか。背後の気配に気付けないなんて無様にもほどがあるぜ、あたし。でも、ゴルゴくらいなら簡単に気付くんだろうな」
「えぇ、ゴルゴなら気付くでしょうね、多分……」
僕は沈黙を保ったまま横たわる神宮司 蓮ニの側にゆっくりと歩み寄った。
いつ復帰するかわからないので、細心の注意を払いながら近づく。
ふむ……。
どうやら気絶しているようだ。
まさか左手一本で簡単にあしらわれるとは本人も想像していなかっただろう。
都市伝説級の他に類を見ない殺人鬼が、である。
まぁ、しかし。
相手が悪かったといえばそうなのだろうし(雪間さんの動きは明らかに人から外れたレベルだった)、これもまた弱肉強食の世界を表す一面ということなのだろう。
より強い者が食う側なのだ、それで言えば神宮司 蓮ニは殺人鬼といえど弱者だった。
それだけのことだ。
「よーし、せっかくだし顔を拝んでいこうぜ」
「……え?」
「こいつの顔気になるだろ?なんねーか?殺人鬼の顔だぜ?すっげーイケメンだったらどうするよ?かはははっ」
「まぁ、確かにそうですけど。なんか、ノリノリですね」
あぁ、そうか。
雪間さんが神宮司 蓮ニに対して何の恐怖心も抱いていない様子だったのは、ただ存在を知らなかっただけか。
都市伝説のような殺人鬼、その名くらいは知っているだろうけれど、まさか彼があの『神宮司』だとは思ってもいないだろう。
まさか、虫を殺すように簡単にあしらった相手が、世間を震撼させたあの殺人鬼だとは思わないだろう。
言えば驚くかもしれない。
聞いて驚くかもしれない。
まぁ、しかし、これはさすがに伝えた方がいいか。
「いやーそれにしても、どんな顔してんのかな、この殺人鬼は。神宮司の兄だっけか。こうしてお目にかかるのも初めてだってのに、まさか顔まで拝見できるとは……あたしって超ラッキーかよ。スーパーラッキーかよ。確立変動突入しちゃうぜ、ったく」
「…………」
完全に知った上での行動だった。
三間さんとは肩書きが全然異なるようだけれど、情報は警察内部全体に行き届いてるのかもしれない。
そうだとしても、『神宮司』の姿は誰も知らないはずだが――一体どうして知っているのだろう?
「よーっし、いくぜ。よく見とけよ――」
ほらっ――そんな合図と共に、指先でフードを摘み上げる雪間さん。
中から見えてきたのは。
綺麗で整った顔立ちの――
「女ァ!?」
雪間さんが悲鳴のような声を上げる。
それもそうだろう。
声こそ出さなかったものの、一瞬にして僕の脳内を真っ白にさせるには十分なほどの驚愕だったのだ。
薄く潤った血色のいい唇。
若さが際立つ肌理が細かい肌。
陶器のように艶やかで滑らかな素肌。
長い睫毛。
神宮司 蓮ニを名乗り、僕を襲い、大学内で教授を惨殺し、そして再度真っ向から僕の喉元に刃を突きつけた彼――彼女は明らかに《女性》だった。
年端もいかない、見る限り、女子中学生にも思える矮躯だった。
「神宮司 蓮ニって、女の子だったんですね……」
僕は動揺を隠しきれずに言う。
「みたいだな……」
「こんな女の子が、あんな殺人を犯すなんて――」
「考えられないってか?それは甘ぇよ、少年。殺人なんて誰でも簡単に、その気になればいつでもどこでも犯せるもんだろーが。そいつが賢いか馬鹿なのかはさて置き、だけどな」
「…………」
その通りだと思う。
殺人を犯す可能性は誰も拭いきれない。
誰もが犯す可能性はあるけれど、しかし、誰も犯さないという可能性はない。
少女だろうと少年だろうと、もっと言えば愛玩動物だろうと虫けらだろうと、その可能性は確かに存在する。
人を殺したいという欲求――言い換えれば、他人を排除したいという願望は誰しもが抱く一つの排他的、排斥的感情だ。
それはつまり、人間は皆、すぐ隣に殺人的欲望を置いているということだ。
それを自制するか否か、違いはそこにあるのだと思う。
「……あ」
神宮司 蓮ニの素顔に混乱して、一瞬の沈黙が生まれた中、雪間さんが暢気な声を上げた。
「……ん、どうしたんですか?」
「やべぇ、やべぇ……」
「……?」
「こいつ、息してねーんだけど」
「――え!?」
え?
え?
どういうこと?
「いやー、軽くやったつもりだったんだけど、つい勢い余って殺しちゃったか?ったく、あたしってお茶目だぜ」
「何を悠長に言ってんですか!?」
殺しちゃったって、それもう殺人じゃないか……。
神宮司 蓮ニと何一つ変わらない。
どっちが殺人鬼かわからない――何となく述べてみた感想が的を射抜いた瞬間だった。
「そうだ、やべぇ!心肺停止からどれくらい経ってるんだよ!?間に合うか!?」
「そ、そうですよ!早く蘇生しないと!」
「よし、ほらお前。突っ立ってねーで、手伝いやがれ!」
僕は雪間さんの指示の通り、横たわる神宮司 蓮ニの側に構える。
「軌道確保!」
「はい!」
「脈、確認!」
「はい!」
「人工呼吸、開始!」
「はい!」
……。
…………。
………………。
「……はい?」
「ほら、時計貸してやるから。いいか、人工呼吸と心臓マッサージは的確に時間を計って、学んだ通りやれよ!」
「はい…………じゃなくて!それはさすがにできないっていうか……」
「できない?」
「できないっていうか、倫理的に問題があるというか……」
「人の生死がかかってる時に、んなもん関係あるか!」
いや、そもそもこうなってしまったのはあなたのせいなんですけど。
アナタノセイナンデスケド。
「あーもう!代われ役立たず!お前がうだうだ言って本当に死んじまったらあたしが殺人犯になるじゃねーかよ!」
「……いや、だからそもそもは雪間さんが――」
「あぁ?」
僕は肌に突き刺さる針のような痛い視線を堪える。
いや、まぁ。
確かに人の生死がかかった場面で迷う僕もどうかと思うけど。
雪間さんは先ほど神宮司 蓮ニが僕にそうしたように馬乗りになった。
乗って。
両手を組み、胸に当てる。
そして、雪間さんの懸命な(?)蘇生活動が行われた。
その度に鳥肌が立つ嫌な音が耳の中で反響する。
ごきっ、ごきっ。
ごきっ。
肋骨が折れる音だ。
雪間さんの強烈な蹴りで折れた肋骨は少し甲高い音だったけれど、それに比べてこの骨折音は鈍い音が鳴る。
圧迫されて、折れて。
折れた骨がまた、折れて。
砕けて。
ごりっ、ごりっ。
そんな風に骨と骨が互いに擦り合う。
聞くに堪えない、耳を塞ぎたくなる音だった。
「ふー、生き返った生き返った」
「……ノリが軽いですよ」
温泉に浸かった時にそんなことを言う人が多数いるが、それとは比べ物にならないほど、どう考えたって切羽詰った状況なのに雪間さんの調子は変わらず暢気なものだった。
「じゃ、連行すっか」
雪間さんはその一言を残し、神宮司 蓮ニを荷物のように担いで後ろ手を振りながら暗闇へと消えていったのだった。
僕は安堵する。
安心と疲労から、溜息を吐く。
まだ事件が完全に解決したわけではないけれど、一先ず、進展。
進歩。
神宮司兄妹が犯した殺人の一つが解決されたわけだ。
神宮司 蓮ニ、彼を――彼女を隅々まで調べればある程度の証拠が出てくるだろう。
もしかすれば、決定的な証拠が見つかって、すぐにでも逮捕されるかもしれない。
いや、そうでなくとも、殺人未遂の現行犯としてすでに逮捕されているようなものだから、今回の事件と関連する、或いは裏付ける証拠がなくとも、この後に彼女を待つ状況は変わらない。
揺るがない。
そう、思っていたのに――
神宮司 蓮ニが捕まり、残すは妹の神宮司 甘奈のみで、これならば遅かれ早かれ八千代が事件を解決するだろう、そう思っていたのに――
次の日。
六月十二日。
疲労を感じながらも、早朝に目覚めた僕は何気なくテレビを点けて、何気なくコーヒーを啜りながら眺めていた。
本日のニュース速報。
昨日に事件があった繁華街から少し離れた住宅街で起きた通り魔殺人事件。
そして。
そして。
とある会社ビル内で起きた事務員と警備員殺害事件――二つの事件が速報で伝えられていた。
犠牲者は合わせて、五名。
通り魔殺人事件――守名 三上(24)、津乃 大城(29)、大道 浩史(33)。
会社内殺人事件――鳴尾 伊吹(28)、円賀 井伊春(49)。
「おはよう、少年。ところで、ニュースは見たか?……ふむ、なら何も言うまい。さっそく状況を開始しよう。それはそうと、紹介したい人物もいてね。まぁ、これは後でもいいが――君の大好きな仕事の時間だ。私が愛煙する煙草、忘れるなよ」
携帯電話の向こう側で八千代が平淡に言った。
僕の内心は平淡であるはずがなかった。