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外れた世界で少年は。  作者: 三番茶屋
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殺傷因縁 Ⅰ

 この世界は遥か昔から、太古の時代から弱肉強食の世界だった。

強い者が弱い者を食らい、弱い者が捕食される自然の摂理は抗うことのできない、理不尽極まりない不公平な世界の根底にあるものだった。

世界は最初からそういう風に成り立っていて、そういう風に生命が連鎖している。

野生動物に然り、人間に然り。

命を持った動物なら、微生物だろうと単細胞生物だろうと関係なく、いやが応にでもその世界に身を投じなければならない。

投じなければ――そうしなけらば、生きることはできないのだから。

けれど、しかし。

世界を形成する理不尽な自然の摂理ならぬ、一種の常識を果たしてどれほどの者が理解しているだろう。

己が食らう側だと、そして、己が食らわれる側だと理解する者は果たしてどれほどいるだろう。

 弱肉強食の世界に生きるのは何も野生動物だけではない。

人間もまた、理不尽で圧倒的な暴力が存在する世界に生きている。

強い者が弱い者を食らい、搾取し、利用し、騙して裏切って――弱い者はただただそれに耐え、我慢してきた。

理性すら失い、まるで家畜同様に、黒ずんだ瞳で世界を蔑んできた。

金、権力、暴力。

それらを所有した者が、或いはどれか一つでも持ち合わせた者こそが僕たち人間の生きる世界においての強者だろう。

そして、やはりいつの時代も弱い者は食らわれる立場だった。

 疑問を呈することすらできない、単純な世界だ。

 単純明快で、わかり易いシンプルな世界だ。

 この世は、食うか食われるか――食らう側と食らわれる側しかいないのだから。


 だから。

この場合もそうだ。

圧倒的な暴力を有した強者がただ単純に弱者を食らっているだけだ。

抵抗や反抗すらままならず、その力の前にただひれ伏すしかない――弱者は食われるしかない。

残酷な世界だと思う。

冷酷な世界だと思う。

卑劣な世界だと思う。

醜悪な世界だと思う。


「おらぁ!あたしの前で堂々と殺人行為とはやってくれんじゃねーかよ!」

 地を背に仰向けの形で押し倒した僕の腹部上で馬乗りになっていた神宮司 蓮ニを左足一本で蹴飛ばし、その痛烈な一撃は相手が殺人鬼だろうと微かな同情さえ込み上げてくるほどのものだった。

馬乗りになった彼の脇腹に一撃が命中した瞬間に聞こえた――ごきっ、という生々しく痛々しい骨が砕かれる音は聞くに堪えない、いつまでも内耳で反響して残響するものだった。

軽く一メートルは蹴飛ばされた神宮司 蓮ニは脇腹を押さえて(うずくま)っている。

「ったく、真伊(さない)には約束をすっぽかされるし、来てみりゃ殺人現場に遭遇するし……何なんだよ、厄年か、あたしは」

 そう。

 だからこれは。

相手が都市伝説級の類稀なる殺人鬼だろうと、強者が弱者を食らうという単純明快な関係図をまさに表したものだ。

最底辺の弱者にたった一人の(ふもと)がないのと同様、強者にもたった一人の頂上はない。

殺人鬼を超越する強者だって無数にいるし、そして、食らう側である雪間 麻由紀と名乗った彼女がまた食らわれる側でもあるということはおかしくも何ともない、疑問を抱く余地すらない世界の当然の摂理だ。

食らい、食らわれ――弱者だけでなく強者だって、いつ己が食らわれるかわからない。

「大丈夫か、お前」

「あぁ、はい……ありがとうございます」

 差し伸べられた手を取って、僕は立ち上がった。

連続する突然の出来事を頭で理解していても、どうやら体はそうではないらしく、足に上手く力が入らない。

 雪間 麻由紀――雪間さんと並んで立ってみるとわかる。

一般的な男性平均身長である僕より、彼女の方が上背だった。

かなり高めのピンヒールを履いているせいでもあるのだろうけれど、それを差し引いたとして、それでも女性の中では高身長だろう。

何なら、それを差し引いたとしても僕の方が劣るかもしれない。

その上背に伴って、細い線の体は非常に魅力的だった。

引き締まっているというか、引き絞っているというか。

と言うか、足長ぇ……。

「……ん、あれ。もしかしてお前、昼頃にスーパーで見た――」

「……あ」

 僕は小さく一声を区切って考える。

そして、思い出す。 

そう言えば、雪間さんのような人を見た気がする。

いや、見ただけじゃない。

栄養剤に伸ばす手を幾度となく遮られ、心を折られかけたあの時の――金色の髪をした、見蕩れてしまうほどの美女。

圧倒されるほどの美貌のせいで沸騰した僕の脳は瞬間に冷却され、静まった。

そうだ。

雪間さんはあの時の――

「……ぎゃははっ、やべぇやべぇ…………痛すぎてまじで地獄に行くかと思ったぜ……」

 そんな風に。

風に揺らぐ木々のざわつきの中に消え入りそうなほど、細い声で言う。

年端もいかない少年のような声がより細く、小さく。

「世も震えるほどの殺人鬼だってのに、なんて体たらくだってんだよ、俺様は……」

「…………」

 黒と赤のパーカー。

目深に被ったそれから顔色は伺えないけれど、声調は憐れで気の毒に思えてしまうほどのものだった。

「あ?何言ってんだよ、お前は」

 雪間さんは同情の余地すらなく、むしろさらに神宮司 蓮ニを威圧して蹴落とすように高圧的に視線を送る。

人を殺しかねない、剣呑な目つきだ。

視線だけで圧倒されるほどだ。

これなら、どっちが殺人鬼だかわからない――とは言い過ぎだろうが。

「お前が行くのは地獄でも、ましてや天国でもねーだろ。砕いた肋骨を治療する病院でもねーし、殺人を隠匿して隠居する山奥でもねーっての」

 雪間さんは次の言葉を強調するように、一拍を空けた。


「お前がこれから行くとこは、お前を裁く法廷と、暗い絶望と惨めな後悔が渦巻く冷たい三畳一間の鉄格子の中だろうがよ」


 心の中で、どこか思っていたことがある。

どこか感じていたことがある。

そもそも、《心》という不明瞭で曖昧なものが人体のどこに存在しているのかという話になるわけだけれど――つまり、そう、僕は雪間さんと八千代を重ねて見ていた。

微かに似ていると感じたし、酷似しているとも思った。

けれどその反面、どこも似てないし、どこを取っても八千代とは正反対だとも思った。

雪間さんに救命してもらう形での出会いからものの数分、それだけの時間で僕は彼女の本質を理解できた気がしたのだ。

 世間を蔑んだ彼女の目つきは。

 世界を見下した彼女の目つきは。

僕なんかでは到底理解が及ばない境地に辿り着いた、雪間さんなりの、彼女なりの経験則と思想に基づいたものなのだろう。

 僕から見れば、雪間さんが正であり正義であって、真でないにせよ、命を救ってもらった恩人で――対する神宮司 蓮ニは僕を二度も襲い、僕に殺意を向ける邪であり不義であって、偽でないにせよ、悪に変わりない。

僕の主観では、雪間さんが善であり、神宮司 蓮ニは悪である。

いや、主観もなにも客観的に見て取れるだろう。

誰がどう見ても、殺人を犯そうとしている、或いは犯した神宮司 蓮ニが紛れもない悪だということを。

 しかし。

 けれど、どうだ。

雪間さんのこの表情は一体何だ。

彼女のこの目つきは一体何だ。

国家公安刑事――仮にも、正義の味方であるところの警察機関に属する身だ。

それなのに、どうして雪間さんはこんなにも自家撞着するかのような表情ができるのだろう。

殺人は認めないが、理解はできる――そんな様だ。

それは立場上、形の上だけで犯罪を取り締まっているだけで、自身には正義も不義も、善悪も真偽も、もっと言えば人を殺すかどうかさえどうでもいいと言わんばかりだ。

そもそも、規範(ルール)模範(ルート)など、雪間さんは心底どうでもいいのかもしれない。

彼女を一般的な《人》として形作っているのはあくまで《立場》であって、《職》であって、本質を探ってみればそれは取り繕った化けの皮――なのかもしれない。

 対して。

 八千代が雪間さんと対照的だと言ったのも、言葉の通りである。

倫理的な命題の真偽などに(とら)われない、考えるだけで時間を無為にすると言い放ちそうな雪間さんに対し、八千代はそれの真偽を思考することこそ真であり、人を形成する上で不可欠な芯だと言う。

 そうであるならば――僕の見解通り、雪間さんが『そういうタイプ』の思考だとするなら、尚更、八千代とは対極的だろう。

それなのに僕は彼女ら二人を重ねている。

重ねて、見ている。

そこに明確な理由なんてないのかもしれない。

ただ一つ曖昧に言えることは、八千代と雪間さんの共通点は僕なんかでは到底理解できない深層の、根本的な部分なのだろう。

表面上に差異はあるけれど。

上辺に違いはあれど。

僕は多分、そんな曖昧な感覚で二人が似ているとふと思ったのだろう。




 その直感が的を射ているかと言えば、それは多分、おそらく、強ち間違ってはいない気がしないでもない。

そんな曖昧でわかりにくい表現をここに残しておこうと思う。 




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