神宮司 甘奈の場合
神宮司 甘奈は殺人鬼である。
今まで一度も殺人鬼でなかったことはないし、生を受けてから十七年もの間、間断なく殺人鬼であった。
殺人鬼であり続け、殺人を犯し続けた。
殺人衝動に駆られ、本能のままに行為に及び、彼女が目標にした対象は必ず殺害される。
彼女が殺せなかった対象は今までに一人もいないのである。
そして、だからこそ。
彼女の姿を見た者はこの世に一人として存在しなかった。
もっと言えば、一人として生きていなかった。
だから彼女の存在――神宮司 甘奈は生きる都市伝説として扱われている。
或いは、架空の存在とでも言えるのかもしれなかった。
そのせいで、世に幾つか残る未解決の殺人事件は、彼女が関わったものだと言えた。
捜査は打ち切られ、確固たる証拠もなく、未解決に終わった殺人事件こそが彼女の犯行によるものだと言えたのだ。
勿論、全てが全てではないけれど。
しかし、神宮司 甘奈の犯行は至ってシンプルでもあった。
シンプルかつ、単純明快な犯行である。
計画性は皆無であり、緻密な計算もなく、知慮の浅い殺人行為。
知慮浅薄な犯行。
だからこそ、犯行現場に残るものは、被害者の死体と血痕のみで、そのせいで捜査が難航していると言ってもいいのかもしれなかった。
彼女がどんな考えを持って、犯行に及んでいるのか、それは誰にも理解することができないことだけれど、現場に彼女の髪の毛一本すら残っていないことを鑑みるに、少なくとも最低限の計算はしているのかもしれなかった。
神宮司 甘奈の犯行を紐解く唯一の手がかりは多数の目撃者である。
しかしこの場合のそれは、彼女の姿を見たという目撃証言ではなく――犯行を目の当たりにしたという証言であった。
犯行を目撃した数多くの人がいるのにも関わらず、誰一人として彼女の姿を捉えていないのだから不思議である。
不思議と言えば、彼女は犯行に及ぶ際、場所を選ばない。
白昼堂々と人混みに紛れて殺人を犯すこともあれば、人気のない路地を選択することもあった。
だからこそ、なのか。
そうではないのか――警察機関が杜撰な捜査をしているとは思えないので、彼女の存在の有無が不明瞭であるのは、それ故に、と理由付けることができるのだろう。
そして何より、以上のことから、神宮司 甘奈がどのような種の犯罪者なのかが判明する。
前述の通り。
彼女の場合、明確な犯行動機はなく、そこにあるのはただの殺人衝動だ。
本能の赴くままに身を任せ、殺人を犯すのだ。
人を殺めたい、ただそれだけなのである。
まったく、そんな身の毛もよだつほどに恐ろしい殺人鬼が未だ捕まっておらず、悠然と街中を闊歩していると思うと、易々と外にも出れない。
むしろ、彼女の存在すらもろくに解明できない警察機関に対して、僕は怒り心頭である。
何のために税金払っているんだ、と。
お前たちの給料は国民の納付税から捻出されているんだぞ、と。
そんな風に訴えたところで、未成年の僕が言える立場ではないのだけれど。
ともかく。
まぁ。
そんな殺人鬼が実在しているのかどうかすら怪しいと言うのだから、話半分、冗談半分くらいに捉えるべきなのだろうと思う。
仮に、その神宮司 甘奈なる凶悪犯が未だどこかに身を潜めていたとして、僕が犠牲者になるわけでもないだろう。
いや、この考え方はよくない、か。
殺人鬼云々、明日死ぬかもしれないのだから、それを他人事のようにしてしまうのは悪い思考だ。
しかし、と思う。
明日の命を逐一心配していれば、不安で日常生活すらままならないだろう。
勿論、これは健康的な一般人にのみ言えることだけれど。
だからこそ、誰もそんなことを気にかけていない。
明日死ぬかもしれない、なんて不安に駆られることもない。
そもそも、自分が死ぬことすら理解していない方が多い。
そんな思考は本来悪いもので、自分で語って置いてなんだが――死を他人事のように捉えていた過去の自分を僕は責めたい。
責め倒したい。
だからこれは、そんな考えをしていた僕に対する天罰なのか、それとも偶然なのか。
それは当の本人である自分自身理解することができなかった。
「ゆらり、ゆらーり、ゆらゆらーり」
八千代の住むマンションから、帰宅するべく、日常的に使用している路地裏の通路を歩いている時だった。
背後からそんな声が聞こえた。
明日はわが身――そんな言葉を僕は思い出して、今までの悪態吐いた言葉を反省し、後悔した。
振り返れば、右手にスタンガン、左手に出刃包丁を握った――
「突然ですけどぉ、お兄さーん、死んでくださいませんかぁ?うひっ、うひひ」
奇妙な笑い声が響く中、少女とも思える声の主は。
突然の出来事で身が竦んだ僕に対して、何の躊躇もなく、左手に持った刃渡りの長い包丁を腹部に突き刺したのだった。
「うひひっ。やったぁ、やっと殺せたぁ。うひ……」
腹部を襲う激しい痛みの中、徐々に薄れ行く意識の中で、彼女の声を聞いた、ような気がした。