02.ウェイトレスは武闘派なのです
オウル亭は、満席である。
カウンターの最も奥の席。顔をあからめた酔っ払い二人組が飲んだくれている。
二人とも、あきらかにかたぎではない。この店では見たことがない顔だ。今日は帝国系商人による馬車数十台を連ねた大規模な商隊が村にはいっているので、そこの用心棒というところか。
「なぁ、あれってどういう意味かな?」
酔っ払いが指さすのは、昼間ケイがつくっていた看板だ。
『店内でのいかがわしい行為厳禁! 痴漢は痛い目にあわせますよ!!』
「あんな事が書いてあると言うことは、痴漢行為を働く奴がいるってことだろうなぁ」
「だれに? こんな時間に、というかこんな田舎の小さな店に女なんていないぜ」
「客じゃないとすると、……あれか?」
ちょうどカウンターの横を、ウェイトレスが通りかかる。左手にジョッキを三つ。右手にでっかい大皿をふたつ器用に持ちながら、小走りに駆けていく。
小ぶりの身体。ちょっと色気が足りないが、よくみると可愛い顔をしている。
白いふりふりのエプロン。ひざたけのスカート。小ぶりなおしりが、二人組の目の前をとおる。
ペロン。
ひっ!
瞬間的に、私の足がとまりました。背骨が反り返ります。
私のお、おしりが、なで上げられたのです。とっさに振り向くと、ごつくてでかくて毛深い手が、スカートのうえから、おしりに触っています。それでも皿を落とさなかったのは、私のウェイトレスとしのプロ根性のおかげでしょうか。
きっ
私は、まだおしりをなで回している男の顔を睨みつけます。
狼藉を働いた酔っ払いと、視線がぶつかります。しかし、男は悪いことをしたとは、みじんも思っていないようです。ニヤニヤしながら、ヤニ臭い歯をみせて笑っています。
「へっへっへ。どうした、ねぇちゃん?」
恥ずかしさと怒りのあまり、私は口をぱくぱくすることしかできません。
「ん? びっくりして声も出せないのか?」
「な、な、なななな、なにを……」
「そんな表情すると、なかなかかわいいじゃないか」
男は、まだ痴漢行為をやめません。調子に乗って、おしりを触っている手を上下にイヤらしくうごかします。そのたびに、背筋がぞわぞわっとします。この男、どうしてやりましょうか!
「や、やめてください! 痛い目に、あいたいのですか?」
「あの野郎!!!」
別のテーブルにいた騎士団三人組、その中でももっとも若い騎士が、勢いよく立ち上がる。ウェイトレスの一挙一動から目を離せなかった彼は、彼女に狼藉をはたらく酔っ払いに気づいたのだ。
騎士は、腰の剣に手をかけ、そのままそちらの方向に歩よろうとする。だが、彼の肩をつかみ、止める者がいた。年長のヒゲの騎士だ。
「隊長。なぜ止めるんですか? 村の治安維持がわれわれの任務でしょう?」
「まぁ、おまえの気持ちはわからんでもないが、……ここは黙って見てろ」
「ここで私たちが出張っても、騒ぎが大きくなるだけで、お店にも迷惑がかかるでしょ。あとで個人的な制裁を加えるというのなら止めませんが、ここは隊長の顔をたてて、ね?」
女性騎士がやさしくなだめる。血の気のおおい若い騎士も、こうなれば黙って座るしかない。
酔っ払いは、ウェイトレスが硬直して動けないのをいいことに、おしりをなで続けている。
だが、つれの男が、周囲の異変に気づいた。
いつの間にか、カウンターの隣の席の男が、皿とグラスを持って別の席に移動している。振り向くと、後ろの席の男達が飲み食いをやめ、テーブルを横にずらしている。まるで、ウェイトレスの娘から逃げるように。
なんだ? こいつらは、この店の常連らしいが、……なぜ俺たちから遠ざかるんだ?
ひゅんっ!
後ろから、風を切る音がきこえたような気がした。
視線を元に戻すと、……ウェイトレスに狼藉を働いていた男の顔を、なにかがかすめた。
へっ?
次の瞬間、セクハラ男がその場にくずれおちる。連れは自分の目を疑う。まさか、あのウェイトレスの、……蹴り?
視界の隅で、スカートがひらひらと舞い上がっている。空中で美しい弧を描いた脚が、音も無く地面に着地する。白くて細いふとももが眩しい。
見まちがいでは無い。
目の前でたしかに、虫も殺さないような顔をしたウェイトレスの右足が跳ね上がり、軸足を中心にほぼ半回転。男の顎をきれいに撃ち抜いたのだ。狭い場所で小柄な身体を器用に使り、凄まじい速度で空を走る華麗な蹴り。
顎を蹴られた瞬間、セクハラ男の脳は激しく揺すられた。意識をうしなった身体が、スローモーションのようにくずれおちていく。対照的に、ウェイトレスが両腕にかかえたビールジョッキと大皿は、微動だにしていない。
どがしゃっ!
男が椅子からころげおちた。
お、おい!
連れは、叫びながら駆け寄る。外傷はまったくない。だが、意識がもうろうとして動けない。
大丈夫か?
「ぴ、」
ぴ?
「ピンク、……薄いピンクだった」
がくっ。それだけ言うと、男は幸せそうな顔のまま気を失ってしまった。
みましたかユージ君! 綺麗な蹴りが決まりましたよ!!
怪我はさせなかったし、他のお客様にも迷惑をかけなかったし、ユージ君にやり過ぎだと怒られることもないでしょう。女の子のおしりを触るような男は、グチャグチャになるまでぶちのめしてやりたいところですが、今日のところはこれくらいで勘弁してあげます。
「てめぇ!!」
でも、……相棒をぶちのめされた連れの男が、血相をかえて立ち上がります。このまま終わらせる気はなさそうですね。
「なにをしやがる!」
「そ、その人が、いやらしいことをするからです」
「ふざけるな。ちょっと尻を触ってスカートの中のピンク色のパンツををのぞいただけで、この店の従業員は回し蹴りをくらわせるのか?」
ななななにを言いだしやがるのでしょう、こいつは。おしりを触るだけでなく、下着まで覗いたというのですか! しかも、それを大声で!!
「そ、そ、そんな大声で、いったい何を言い出すんですか! あなたもぶちのめしますよ!!」
「なんだとぉ!」
男は、ふところの中に手を突っ込みます。出てきたのは、……思った通り、火薬式の短銃でした。威嚇のつもりでしょうか、銃口を天井にむけ、引き金に指をかけます。
もちろん私は、こんな銃くらいでびびったりしません。もともと私は、このような原始的な火薬式の銃などこわくないのです。まず、先住生物に撃たせるようなへまはしません。たとえ発射されたとしても、弾の初速があまりにも遅すぎて、よっぽど近距離からでない限り命中することはありえませんから。
それに、今この場面で銃を恐れていないのは、私だけではありません。周囲のお客様達も、だれも銃など気にしてはいません。いえ、決して銃が怖くないわけではないはずです。この世界の先住生物達にとっては、火薬銃は最近発明され急速に広まっている、もっとも強力な武器です。でも、……この村ではそうではありません。この村では、銃は怖くないのです。
「そんなもの、効くとおもっているのですか?」
「なにを!」
激高した男は、ついに引き金をひきました。
カチン!
乾いた音がなるばかり。弾はでません。なにもおこりません。
「あなたも旅の商隊の用心棒なら、この村で火薬が爆発しないことは知っているはずです。今なら許してあげます。そんなものはさっさとしまって、お連れの方とお帰りください!」
私としては、やさしく諭してあげたつもりなのですが、男はますます顔を赤くして怒り狂います。今度は腰の剣に手をかけました。どうやらバカにされたと思ったのでしょうか。めんどくさいですねぇ。
オヤーチ村に限らないことだが、この街道沿いは非常に治安が良い。
この村を含む自治領が豊かな国として知られているのは、ふたつの超大国をつなぐ唯一の街道がそこに存在するおかげだ。街道沿いの治安維持は、自治領の経済の生命線ともいえる。そのため、領主直属の騎士団が街道沿い各地に派遣され、その威信をかけて交易の障害になる犯罪防止につとめているのだ。
初めから使えないことがわかっている火薬銃ならともかく、店の中で剣を抜いてしまえば、絶対にただでは済まない。すぐに騎士団に突き出されるだろう。そんな事はわかっている。いい大人が大人げない。それもわかっている。
だが、男はそれなりに有名な傭兵だ。若い頃から強面として生きてきた。これだけ大勢の前で恥をかかされて、このままでは生きていけない。
剣を抜いて脅せば、さすがにこの娘も謝るだろう。この場さえおさまれば、あとは騎士団に捕まろうが知ったことか。勲章がひとつ増えるようなものだ。
「まって。お客さん」
酔っ払いばかりの店には似合わない小さなガキが、間に割って入ってきた。
「もうしわけありません。ご覧の通り相手は女の子です。勘弁していただけませんか」
「なんだ、おまえは?」
ガキが、さかしい口調が気に障る。
「店員です。他のお客さんにも迷惑です。どうか……」
「うるせぇ」
男はガキを突き飛ばした。小柄な身体が、壁にたたきつけられる。
「ユージ君!!」
ガキに駆け寄ろうとしたウェイトレスの前に、男が立ちふさがる。
「さて、姉ちゃん。土下座して謝れば許してやる。そうでなければ、ガキもろともこの剣で……」
男は、言いたいことを最後まで言えなかった。ウェイトレスの周囲の空気の色が変わったのだ。酒場特有の濁った空気が、少女の発する怒気により、一瞬にしてピンとはりつめる。
「ケイ、よせ!」
ガキが必死にとめているが、少女の怒りは収まる気配がない
「よ、よくもユージ君を……」
あれ?
男は気づいた。変わったのは周囲の空気だけではない。娘の顔にも違和感を感じる。……瞳の色が違う? さっきまで確か黒い瞳だったのに、今目の前のこの娘の瞳は、赤い?
ついでに、少女の身体の周りが、淡く光っているような気がする。雰囲気の問題ではない。これは、あきらかなに物理的な光を発しているのか? 光の繭?
い、いや、そんなことはどうでもいい。どうせ今さら引き下がることなどできないのだ。
「や、やるってのか?」
男は、剣にかけた手に力を込める。本気で剣を抜く。だが、……彼は実際に剣を抜くことはできなかった。
剣を抜きかけた瞬間、男は見た。少女の右手にあった大皿が、宙を舞う。
男の視線は、反射的に皿を追いかけ、上を向く。自分をめがけて投げられたかと思ったのだ。
そして気づく。彼女が皿を投げたのは、男の方向ではない。彼女の真上だ。
なぜ、真上?
視線の端で、皿を手放し自由になった少女の右手が、動いたような気がした。刹那、剣を握った腕に激痛がはしる。
とっさに視線を自分の腕にもどす。そこに見た物は、自分の腕に深々と突き刺さったフォーク。そして、吹き出した真っ赤な血液。
ウェイトレスの少女がフォークを投げたのか? フォークを投げるために、大皿を真上に放り投げたというのか?
数秒後、重力にひかれるままに大皿がおちてくる。少女は難なく大皿を受け止める。もちろん肉を焼いた料理は無事だ。何も無かったかのように、大皿のうえに鎮座している。
男は唖然として少女をみる。次の瞬間、エプロンドレスのスカートが、再び遠心力で舞い上がる。少女の身体がまた一回転したのだ。
あ、やばい。
男は見る。あまりの速度に反応はできない。見ていることしかできない。
少女の右足が高く跳ね上がる。軸足を中心とした美しい孤を描く軌道で足の甲が飛ぶ。今度は自分の顔に向かって。
ウエイトレスは、弟を突き飛ばした男に対して、意識を刈り取るだけでは満足しなかったらしい。彼女の全体重をかけた渾身の蹴りは、男のこめかみを狙っているのだ。
本当に、……ピンクだ。
網膜にその映像がうつった次の瞬間、男の身体が一瞬空中に浮き上がる。同時に意識が刈り取られる。そして、そのまま肉体ごと壁にむけて吹き飛んでいった。
「なっ!!」
遠くのテーブルから事の成り行きをハラハラしながら眺めていた若い騎士が、ポカンと口をあける。
「うむ。相変わらず綺麗な脚だ。下着も清楚でよい」
年長の隊長が、ヒゲをいじりながらのんびりとつぶやく。それを女性騎士がにらみつける。
「ごほん。もとい、美しい蹴りだ。……今日は両手がふさがっていたから蹴りを使ったのだろうが、先日みせてくれた寝技から締め技への連携も美しかった。やられた方も実に幸せそうな顔で落ちていった。あれならぜひ俺もくらいたいと……」
女性騎士がさらに恐ろしい顔で隊長を睨む。ヒゲの騎士は、視線をそらす。ついでに話もそらす。
「……彼女は、あんな技をいったいどこで身につけたのか。こと素手の戦いに限定すれば、おまえより強いんじゃないか?」
戦いの話になれば、この女騎士は食らいついてくるがわかっている。
「うふふふ。一度お手合わせしてもらいたいですね。とはいえ、体重が軽すぎるので、大型の魔物相手を相手にするのは厳しいでしょう。武器の使い方を教えてみたいですね。……なんとか彼女を騎士団に勧誘できないでしょうか?」
「ケイは幼い弟を養わねばならない。それに、この店の店主は、姉弟を猫かわいがりしている。手放すとはおもえんな」
「あの弟くん、かわいらしいですからね。全力で守ってあげたくなるというか……」
ふたりとも、どうしてそんな呑気な……。
唖然としているのは、どうやら自分だけらしい。若い騎士は、その事実にまた唖然する。
俺の上司と同僚の女騎士は、いや、店の大部分の客は、彼女のみせた凄まじい蹴りを、当たり前のこととしか感じていないのか? あれが、いつもの事だというのか?
あ、あの動きは、あの反応速度は、人間に可能なものではないだろう。
俺は、この世界に伝わる神話について学ばされたことがある。才能はないが、魔法の原理も学んだことがある。だから、わかる。さっきのあれは、彼女の周囲で輝いていたあれは、……この世界の法則を支配しているという『精霊』ではないのか?
ケイに蹴られ、壁に吹き飛ばされた男は、そのまま気を失っている。命には別状なさそうだが、しばらくは動けないだろう。
まだあかい顔をして肩で息をしているウェイトレスの少女を尻目に、周りの常連客達が後始末のために動き出す。
「またか」
「やれやれ」
「今日の蹴りはいつになく切れがよかった」
「うん、派手にスカートも舞い上がったし、いいものをみせてもらったな」
「相変わらずきれいなふとももだなぁ。触ってみたい」
みな勝手なことを言いながら、痴漢行為をはたらいてぶちのめされたふたりの男を片付け始める。
「こいつら、どうする?」
「剣を抜いていたら騎士団に突き出すところだが、……抜く間もなく、ぶちのめされたからなぁ」
遠くのテーブルから他人事のように眺めている騎士団の連中に視線をむけてみれば、ヒゲの小隊長は首を横に振っている。
「……騎士団が出張ってくると大事になる。懐から酒代だけ抜いて、表にほおりだしておけばいいだろう」
「ケイちゃんに感謝しろよ」
「だから言ったろ? 酔っ払いなんてバカだから、あんな看板をみれば逆にかまいたくなるんだよ。ケイみたいなかわいい娘ならなおさらな」
その日の深夜、閉店後のオウル亭。恐縮しているケイに向け、店長が静かに語りかける。
「騒ぎをおこしてしまい、申し訳ありません」
ケイとユージが並んで、おじさんとおばさんに向けて頭を下げる。
本来ならば、一日分の金勘定を終えたユージはもう部屋で寝ているはずの時間だ。だが、姉が何かやらかした日はいつも、こうしていっしょに起きていて店長の私にあやまってくれる。いい姉弟じゃないか。
「かまわんよ。いつものことだしな」
週に何度かは必ずこんな騒ぎがおこるのだ。いつのまにか慣れっこになってしまった。だが、やらかしてしまった後にケイちゃんが落ち込む姿を見るのは、正直言って忍びない。
「反省してくれれば、それでいいんだよ」
……この娘のもうひとつの欠点は、正義感が強すぎることだ。
悪人を見ると、説教せずにはいられないのだ。言うことを聞かない場合は、実力行使も厭わない。特に、痴漢行為には厳しい。弟のユージ君を虐めた者には、もっと厳しい。問答無用でぶちのめされる。
しかし、羽目を外しすぎたよそ者をケイがぶちのめしてくれるからこそ、村の治安が向上しているのは確かだ。相手がゴロツキだろうと帝国の軍人だろうと亜人だろと関係なしだ。治安の維持のため村に駐留している騎士団も、それを認めている。
「まぁ、つぎからはほどほどにな」
最近は、この娘目当ての常連客も増えてきたしな。
「明日も早いから、今日はもう寝なさい」
「この歳になって、あんなにかわいい娘と息子ができるとは思いませんでした」
就寝前、妻がしみじみと言う。
世間知らずの武闘派美少女と天才幼児の不思議な姉弟、か。
山で死にかけていたのを拾い、住み込みの従業員として雇い入れたのが半年前。それがいまでは、二人とも実の子みたいなものだ。
「あのふたりを立派に育てるのが、神様が私たちに与えてくれた役割なのかもしませんね」
そうだな。そうに違いない。
2014.03.30 初出