19.オオカミ女がなれなれしいのです
俺の秘密の露天風呂は、ノースちゃんだけではなく女騎士ノナトさんにも発見されてしまった。『ひとりでのんびり露天風呂に浸かるんだ!計画』は、完全に頓挫してしまったわけだ。
「私の種族はね、基本的に水浴びやお風呂が大好きなの。でも、この村には大きなお風呂ないでしょ。こんな温泉があるなんて、おしえてくれればよかったのに!」
あんたの種族のことなんて、しらんがな。それに、教えるもなにも、この露天風呂、さっき掘ったばかりだから。
ノナトさんは、女騎士だ。銀の瞳。銀の髪を無造作に首の後ろで束ねている。年齢はまだ二十代前半くらいだが、俺とケイが村に来る前からこの村にいるらしい。
オヤーチの村には、もともと街道の治安維持のため、騎士団が駐留していた。しかし、先日のブタ人間による襲撃事件のあと、村にいる騎士団の人数が一気に増えた。今では事務方も含めて百人くらいが常駐しているようだ。いくら自治領の経済の生命線ともいえる街道を守るためとはいえ、人口数百人の村にこの人数の騎士は多すぎやしないか、と思わなくもない。
で、村では新しく増えた騎士の宿舎不足が深刻な問題となっている。まさか騎士様を野宿させるわけにもいかず、大慌てで村のあちこちに宿舎が新設されているものの、それでも間に合わなくて数人がオウル亭の二階を借りている始末だ。
ノナトさんもそのひとりだ。つい数日前から俺たちの姉弟の隣の部屋に住んでいる。ちなみに、こないだケイが使った刀の本来の持ち主である熱血騎士キリノ君も、同じフロアに部屋を構えている。ケイとひとつ屋根の下で暮らせるのがうれしいのか、妙に毎日うきうきしていやがるのがちょっと気に障る。
それはともかく。……って、ノナトさん、何をやっているのですか?
どうして軽装の鎧を脱ぎだしたの? 何をするつもりなの? 鎧の下の服まで脱ぎ出しちゃったよ。あんた勤務中でしょ。いや、その前に大人の女性でしょ。一切遮蔽物のない河原で、躊躇なく裸になるのやめて!
俺はこんななりをしていても、中身は大人の男だ。目の前で裸になりつつある妙齢の女性がいるからといって、それをガン見してしまうほど不作法では無い。反射的に目をそらし、視線を川のせせらぎに固定する。身体が固まってしまう。
しかし、耳だけは、どうしても後ろに向いてしまう。ノナトさんが服を脱ぐ様子が気になってしまう。仕方がないだろう。男なんだから。
鎧を脱ぐカチャカチャした金属音が聞こえる。そして衣擦れの音。いまTシャツを脱いでいるのか? そろそろ下着に手をかけたか? ……何度も言うが、妄想してしまうのは男なんだから仕方ないんだよ。
そして、全裸になったノナトさんが……。
「ちょっ、騎士様。このお風呂せまいから無理! はいれるわけない。こわれちゃうわ!!」
ノースちゃんが涙目になりながら抗議するものの、それをまるっと無視して、ついにノナトさんが露天風呂にはいってきた。俺の背中の後ろに、その筋肉質の肉体を無理矢理割り込こませる。
「まぁまぁお子様がそんな意地悪を言わないの。みんな仲良くはいりましょう。魔物が出ても私が守ってあげるから」
やばい。この体勢はやばい。
狭い風呂の中、女騎士さんが無理矢理オレの後ろから身体をねじ込み、俺を膝の上に抱きかかえてお湯の中に正座している。オレは、彼女の膝の上、というかお腹の上にちょこんと座わらされている形だ。硬直して河原の方向から目を離せない俺を、後ろからがっしりとホールドしている。
つい先日、ホベ先生にも似たような体勢で抱きかかえられたような気がする。あれもやばかったが、今日はもっとヤバイ。なんといっても、ここは風呂だ。当然みんな裸だ。ノナトさんの筋肉質な肉体が、引き締まった胸が、俺の背中に押しつけられている。遮る物無しで、ちょくせつ背中に触れている。俺が逃げだそうと身体をよじる度、ノナトさんの胸の先端の突起が、俺の背中を滑る。
ふう。
俺の耳元、至近距離で色っぽい吐息がひとつ。
「やっぱりお風呂はいいわよねぇ。……どうしたの? お姉さんといっしょにお風呂で緊張しちゃった?」
俺の首に回された腕に力がこもったのがわかる。隣のノースちゃんが、俺をジト目で睨んでいる。
俺のせいじゃないって。あ、背中に胸をおしつけるのやめて! 反応しちゃったらどうするんだよ!! ……は、反応してないよな。俺は反射的に視線を下げる。もしノースちゃんに見つかったら。
そうだ、素数だ。男は、やばいときは素数を、もっともっとやばいときはメルセンヌ素数を数えて心を落ち着けるもんだと、死に際の爺さんが遺言で言ってた。
ええと、3、7、31、127、……255って素数だっけ?
「……この腕輪。ユージ君、お風呂に入るときも外さないの?」
動揺しまくりの俺のことなどお構いなく、俺の全身をまさぐっていたノナトさんが、左手首のリストバンドを見つけてしまったようだ。
「これは……」
俺は一瞬、答えに詰まる。正直に言うべきか。でも、下手にごまかしても、怪しまれるだけだろう。それに、もう、ケイが魔導器やら精霊やら操るところ見られちゃったしなぁ。昔から村にいる騎士達なら信用できるだろうし、ある程度しゃべっておいた方が、今後はなにかと便利かもしれない。
「これは、精霊を制御するため腕輪。例の剣の仲間みたいなもんだ。ケイと連絡するためにも使えるんだ」
もう少し具体的に説明すると、これは、もともとテラフォーミングのために大気中にばらまかれたナノマシン、通称『精霊』を制御するエージェントだ。精霊達は、俺の生命維持にも関わっている。要するに、俺がこの惑星上で生きていくためには、このリストバンドは絶対に欠かせないのだ。
「精霊? やっぱりこの感じ、……そうか、これが精霊なのね」
なんだ? ノナトさんが、俺の耳元に口をよせる。甘い吐息。ビクン。俺のお子様ボディが震える。やめて! オレ、耳よわいんだから。
だが、彼女は狼狽えるオレには関係なく、今度は首筋の匂いをかぎ始めた。
「いい匂い」
俺の全身は硬直している。瞬きもせず川のせせらぎを見つめるだけだ。しかし、同時に背中に全神経を集中していた俺の耳元で、ノナトさんがささやく。
「はじめてユージ君を見たとき、一目でわかったわ。この小さくて弱々しいお子様こそが、私……いえ、私達の種族の約束の人だと。それは、あなたの周りにいるこの精霊のおかげだったのね」
ノナトさんの腕に力がはいる。こんなお子様の俺に対して、いったい何を言い出すんだ、この人は。
キッ、という音をたてて、ノースちゃんが俺とノナトさんを睨む。こんなに怖い顔を見たのは初めてだ。
しかし、ノナトさんはお構いなし。淡々と言葉を続ける。俺たちにではなく、自分自身に語りかけるように。
「……かつて神話の時代、大陸最強の野獣だった私達の種族に人の形と知恵を与え、名誉ある護衛役としての役割を与えてくれたといわれる先史文明人。彼らは、常に精霊を身に纏っていたと伝わっているわ」
ノナトさんが俺の首に回す腕の力が、少しづつ強くなっていく。
「もしかしてノナトさん、……オオカミ族?」
「そうよ。その気になれば、耳も尻尾もだすことができるわ。見たい?」
かつてこの大陸には、ノースちゃんのような『この惑星の人類』の元になった好奇心旺盛な類人猿とは別に、恐るべき捕食獣がいた。
オオカミ。
おそらくはこの惑星最強の捕食獣。彼らの外見が、地球上のオオカミに似ていることから、いつの間にかそうよばれることになった。だがその戦闘力は、地球上の生き物とは比較にならないほど強力だった。
一対一の格闘戦ならばという条件付きとはいえ、対敵対異星文明仕様のフル装備に身を固めた連邦軍海兵隊や戦闘用アンドロイドとさえ対等に戦うことができる、恐るべき獣。惑星が発見され本格的な調査がはじまった頃、いったい何人の調査隊や軍人が犠牲になったことか。惑星開拓の最大の障害とまでいわれた人類の敵対種。それゆえ、開拓本部の初期の計画では、大陸に生息するこの種まるごと排除、根絶やしにすることが決まりかけていた。
一方で、彼らは強い家族の絆、そして高度な社会性をもっていた。それを最大限に活かし、人類に対する絶対的な忠誠心を本能に植え込んでやれば、入植者を守る護衛として有効利用できるかもしれない。そう主張し、皆殺しによる絶滅計画をなんとか回避させたのは、ユージを中心とする生物学者のチームだった。実際に、彼らの遺伝子を改変するウイルスの作成、そしてウイルスをばらまく計画に、ユージは深く関わっている。
「……神話の伝承によれば、私達の種族は、先史魔法文明を作り上げた人々を守るために作られた。絶対忠誠、命のある限り尽くすよう作られた。その本能には、決して逆らうことができない。神話の時代が終わり、いつの間にか帝国や王国の体制に組み込まれてしまっても、人類やエルフと一緒に日常生活をおくっていても、それでも心の奥ではいつも本能がささやいているのよ。精霊をまとうご主人様を守れ、とね」
彼らは、我々を識別するため、精霊を利用している。地球からきた人類は、生命維持のために精霊を身に纏っている。オオカミには、精霊を纏う者を守るよう本能がプログラミングされているのだ。
「なのに、……彼らは突然この世界から去ってしまった」
ノナトさんの声のトーンが低くなる。背後から黒いオーラが発せられているのを感じる。そして彼女の腕の力が、力が、……苦しいって。
「私は、私達は、いつも自問しているわ。私達はなんのために生まれたのか。彼らがいないこの世界で、いったいなんのために生きているのか」
責任の一端は、確かに俺にもある。俺は何も言うことができない。
「守るべき人々が居なくなるくらいなら、最初から知恵なんかいらなかった。獣のままでよかった。野生の本能だけで生きていたかった……」
俺は、おもわず振り向いてしまう。いつのまにか獣の耳が生えているオオカミと、正面から目があう。
も、もしかして、オオカミ族は、先史文明人のことを、……いや、俺のことを、恨んでる?
その瞬間、ノナトさんの動きがとまった。おそらく呼吸もとまっている。もしかしたら、心臓すら止まっていたかもしれない。
長い長い沈黙。永遠とも思える時間が過ぎた後、オオカミの口がひらく。真っ赤な舌と、鋭い牙が見える。
「……ええ恨んでるわ。もし会えたら、ずっと言ってやりたかった。私達は、先史文明人を、貴方を恨んでいたと。……けれど、けれど、会いたかった。いいえ、ちがうわ、見たくもない。でも、ずっと近くに居て欲しい。やっぱりそうじゃない、かみ殺してやりたい。でも、……守りたい」
辻褄などない。無茶苦茶である。本能と感情のせめぎあいにまかせて、相反する単語が無秩序にこぼれ落ちる。
「……殺したい。……尽くしたい。……守りたい。……命令して欲しい。……守りたい! 守りたい! 守りたい! ……まさか会えるとは思わなかった。会えて良かった。ご主人様、愛しているわ!!」
尻尾が激しく揺れている。凄まじい腕力が、俺の身体を締め付ける。真っ赤な舌が俺の顔をペロペロなめる。
や、やめて、舐めないで。同時に首を絞めないで。ぐええええ。く、くるしい……。
「ノナトさん!」
ノースちゃんが叫ぶ。
はっ。ノナトさんが正気をとりもどす。
「ご、ごめんなさい、ユージ君。ユージ君、大丈夫? しっかりして!! ど、どうしよう、白目むいているわ。……私のせい?」
ノナトさんが必死にユージの顔をのぞき込む。だが、ノースちゃんには触れさせない。
「……オオカミ族さん、決着はあとでつけましょう。それよりもアレを」
ノースちゃんが前方の川を指さす。そこには、異形の者が居た。
黒い塊。金色の目。それは山のような巨体。ブタ人間の数倍の巨獣。
おそらく上流から沢を下ってきたのだろう、巨大な獣がこちらを睨んでいる。二本脚で立ち上がるその体高は、五メートルを越えるかもしれない。ほ乳類とは思えない、冗談のような大きさだ。
「あらら、魔物ね。クマ人間。風上で気付かなかったわ。……どうやら、我々を餌だと認識しているようね」
どう猛で美しいオオカミが、ニヤリと笑った。
時間がかかってしまいました。
2014.10.12 初出
(*)同じ世界を舞台にしたもうひとつの物語も連載しています。よろしければそちらも合わせてご覧ください。
タイトル「先史魔法文明のたったひとりの生き残り、らしいよ」( http://ncode.syosetu.com/n8157bs/ )