16.宇宙でもっとも斬れ味の鋭い刀なのです
少女が剣を構える。
彼女が居るのは、うっそうとした森林の中、急な斜面の途中にある一本道だ。一方は切り立った崖、もう一方は谷。巨大なブタ人間が数人、人間の大人なら五〜六人が並んで歩くのがやっとの広さの道は、左右の斜面に生い茂る木々により視界が遮られ、先を見渡すことは難しい。
その道のど真ん中、斜面から道にかけて根を張り枝をのばす巨木。斜面を切り開いて道を作る際、あまりの大きさに伐採をあきらめたものなのか、それとも道が作られた後に、人々の往来を阻むことを目的としてここに生えたのか。その直径にして三メートルにも達しようかという巨大な幹の前に、少女は剣を握り佇む。
少女の身体は、淡い光の繭に包まれている。空気がはりつめる。怖いほどの静寂。
ひらり
一枚の木の葉が舞い落ちる。
それを合図に、少女は刀を引き抜いた。木の葉に向けて。
私の視覚は、人間よりも広い範囲の波長の光を検知することが可能です。いま視覚の中で動いているのは、ひらひら舞い落ちる緑色の葉。それが刃の予定軌道と交錯した瞬間、私の腕が動きました。
逆手に握った右手で刀を鞘から引き抜くと同時に、精霊との量子的リンクを通じて安全装置を解除。
そして、刀身に纏わるナノマシン達に転写済みの刃形成用のコードを起動。分子アッセンブラー機能全開。大気中の特定の原子から単原子層の刃を形成し、刀身の軸線延長上に展開、固定。超振動開始。宇宙でもっとも鋭い物理的な刃が瞬間的に形成され、虹色に怪しく光ります。
そのまま、私は刀を一閃します。かん高い衝撃波を引きづりながら、そして空間そのものを切り裂きながら、光が円弧を描きます。
そして次の瞬間、私は役割を終えた刀を鞘に戻しました。
全身の緊張を解き、深呼吸をひとつ。……これだけです。すべて事前の計算通り。鞘から刀を引き抜いてから、一秒もたっていません。チョロい仕事ですね。
え、……なに?
目をこらして見つめる視線の先、逆手のまま剣を握った少女の腕は、まったく予備動作なしにいきなり動いた。
一瞬、少女の前方に、光が伸びたように見えた。……だが、見えたのは光だけだ。少女の動きはみえなかった。必死に目をこらしていたはずなのに。
カチン
気がついたときには、ケイちゃんの握る刀は、鞘にもどっている。
彼女の目の前、ひらひら舞い落ちる木の葉が、音もなくふたつにわかれる。
えっ、えっ? 本当に斬った? そもそも剣を抜いたの?
ホベ先生は目を大きく見開いて、あんぐりと口をあけている。
あわてて騎士達に視線を移すと、脂汗を流しながら硬直している。素人の自分と違って、彼らには何かが見えたのだろう。剣のプロである彼らが唖然としているのは、ケイちゃんの超人的な技量故か。それとも、剣そのもの不思議な力か。……おそらく両方なのだろう。
数秒後。ケイちゃんの目の前の樹木が、やっと自分が斬られたことに気づいたのかもしれない。
ずる
巨大な木の根元が、横にずれる。初めは目の錯覚かと思った。しかし確かにずれている。
ずる
幹が、根元からすこしづつ、すこしづつ斜めに滑り落ちていく。
ずしーーん。
もしかしたら先史文明人がこの惑星に降臨した時代に芽吹いた巨木が、根元を残し地響きと共に一気に倒れた。
……それだけでは終わらない。
一本目の木が倒れた地響き。それをきっかけとして、ケイちゃんがたったいま切り捨てた巨木のさらに向こう側、数メートル先に立っているやはり巨大な木が、……ずれた。
一本目の樹とまったく同じように。そして、倒れる。
その向こうのもう一本。さらに向こうのもう一本。最終的には、道の真ん中で通行の邪魔をしていた巨木が合計五本、一気に排除されてしまったのだ。
こ、こ、この少女は、剣で、剣だけで、三十メートルほど向こうの空間ごと、そこに存在するものすべてを斬ってしまったというの?
「また、つまらぬものを斬ってしまった、……なんちゃって」
ケイは独り言を言った後、ちょっと赤くなって照れている。照れるくらいなら、そんな大昔の娯楽映画の真似なんてしなきゃいいのに。……ていうか、ここまで派手にやらなくてもよかったんじゃないか。周りの騎士達がどん引きしているぞ。あの剣とケイのこと、どうやって説明すればいいんだよ。
ぽとり
頭をかかえる俺のその頭の上から、暖かい物が降ってきた。
見上げれば、なんだ? 涙? 俺を膝の上に抱いているホベルッチ先生が泣いている?
「あ、……ご、ごめんなさい」
「先生?」
「泣くつもりなんてなかったの。でも、私、うれしくて、あんまり嬉しくて……」
ぽろぽろ、大粒の涙がとまらない。ホベ先生は、涙も拭くのもわすれて、ケイをみている。
「……嬉しい?」
「これが、これが、魔導器の本当の力なんでしょ? 本当にケイちゃんは先史魔法文明をつかいこなしているのよね? 私はいま、私たちがずっと目標として研究していた文明を、科学の成果を、目の当たりにしているのね。まさかこの眼で見られるなんて思ってもいなかった」
ああ、なるほど……。わかる。その気持ちはなんとなく理解できる。分野は違うかもしれないが、この人は確かに科学者だ。俺と同じ人種だ。
「おねがい、教えて。なぜあんな事ができるの? ケイちゃんや剣を包む光の繭はなに? ケイちゃんは人間なの?」
このとき俺は、ホベ先生の涙に感動していたのだ。こんな世界で自分と同じ種類の人間と出会えたことに舞い上がり、彼女の心からの叫びに応えてやらずにはいられなかったのだ。後先のことなど考えず。
「……あの剣やケイの周囲で輝いているのは、大気中に放出された目に見えない小さな機械です。我々は『精霊システム』と呼んでいますが、ひとことで言えば分子機械と量子コンピュータ、……ええと、一種の人工知能を組み込んだ人工的な微生物です。精霊達が、大気中の分子を操作して、単原子層で形成した刃を刀身の周囲に展開し、超高速振動させながらあらゆる物を叩き切る仕組みです」
「人工的な微生物? 精霊? 大気中の分子を操作? 精霊って、もしかして、この村で火薬銃が使えないのと関係あるの? その精霊はどうやったら制御できるの? 魔導器はどうやって作るの? 我々の先祖に知能を与えてくれたときには、いったいどんな技術をつかったの? ここから地平線ギリギリに目視できるあの静止軌道上の巨大な衛星は、どうやって打ち上げたの? 星々の海をわたるためにはどんな技術が必要なの?」
ホベ先生は、質問を止めない。俺の頭の上から俺の顔をのぞき込み、口から泡を飛ばしてマシンガンのように問い詰めてくる。
そ、そんなにあわてなくても……。それに、俺の専門はあくまで生物学だから、ナノマシンの制御コードの詳細やら、対消滅反応を利用した亜空間航法の解説なんてできないよ。
「……私たちは、先史魔法文明人たち残した遺跡や文献を必死に研究してきたわ。その結果、天文を観測して惑星の動きを数学的に理解できるようになった。電磁力の研究も進んでいる。蒸気機関で海をわたれるようになったし、きっと空を飛ぶ技術ももうすぐ実用化されるわ」
そりゃすごい。知恵を授けてやる前の君たちの祖先は、たしかに異常なほどに好奇心旺盛な類人猿だった。でも、たった千年でそこまで進歩するとは、たいしたものだと思うぞ。
「……でも、不安になるの。私だけではないわ。この世界の人々はみな、いつも、とてつもなく大きな不安におびえているの。科学技術が発達すれば発達するほど、ね」
?
「なぜなら、私たちの知能は自分で得た物ではないから。私たちの知恵と文明は、先史魔法文明人達によって与えられたもの。……もしかしたら、彼らが私たちに与えた知能には、限界や制限が設定されているのかもしれない。精霊のおかげで火薬や蒸気機関を使えない場所があるのは、我々の文明を抑止する意図があったんじゃないの?」
俺は、何も言えない。もともとテラフォーミングのために作られた精霊だが、先住生物独自の文明を抑止する機能が組み込まれているのは確かだから。
アーツベツや帝国では、精霊はもう機能していないらしい。そのおかげでホベ先生達は独自に科学文明を発達させつつある。
しかし、この村は、いまだに精霊に支配されている。王国本土も同じらしい。精霊のいる地域では、火薬も蒸気機関も使えない。何万年たっても彼ら独自の文明が発達することはないだろう。
「私たちは、今さら進歩を止められない。……ねぇ、教えて。私たちの進歩の方向は正しいの? 私たちはどこまでいけるの? 何千年、何万年かかるかわからないけど、私たちはこのまま進んでいって、先史魔法文明、……いえ『あなた達』に、いつか追いつけるの? あなたと同じように星々の海に渡り出すことができるの?」
「で、できるさ。絶対にできる!」
俺は、こう言わずにはいられない。
「君たちのことは、俺は君たち以上によく知っている。だから断言してやる。俺たちができたんだ。君たちなら、俺たちよりもずっとうまくできるはずさ」
そう。俺たちのような失敗は、君たちはしない。しないはずだ。させてたまるか。
ふと気づくと、ホベ先生の顔が近い。
しまった。つい熱くなってしまった。
俺は先生の膝の上に座っている。俺は上を向き、先生は俺の顔を見下ろしている。お互いの顔が逆さまに見える。眼鏡越しに透明な瞳が、まっすぐにこちらを向いている。俺の全てが見通されている気がする。先生の涙が俺の頬に落ちる。目の前に先生の唇が見える。息をするたびに、熱い吐息がかかる。
やばい。ほんの少し俺が背筋を伸ばせば、あるいは先生が顔を下にさげれば、接触してしまう。
「ごほん!」
すぐそばで、わざとらしい咳払い。ケイだ。いつの間にかケイが、俺たちの目の前に来ている。顔が引きつっている。
やべ
「ケ、ケイ。どうして? あ、いや、見事な刀さばきだったな。うん。さすがケイだ」
ケイの表情がかわる。まるで鬼のように怒り狂っているのが、ありありとわかる。
さすが最新型。激怒の感情や、こんな表情まで、ちゃんとプログラミングされているんだなぁ。
「何を呑気な事を……」
刺すような視線を俺に投げかけながら。ケイは再び腰の刀に手をかける。
わ、ちょっ、ちょっと、まて。
「問答無用!」
ひいぃぃぃぃ
抜いた。本当に刀を抜きやがった。例によって速すぎて見えない。見えないが俺の頭のうえ、ホベ先生の頭の更に上を刀身が通過したのはわかる。かん高い衝撃波が耳をつんざく。風圧が髪の毛を巻き上げる。
ぶひぶひぎゃあああああああ
下品な悲鳴が聞こえた。俺たちの後方。十メートルほど先の斜面に木々が密生した森の中だ。
ずしん
そして、巨大な肉が倒れる音。
慌てて振り向くと、急斜面で切り立った崖の斜面にそって、きれいに木々が刈り取られた更地ができている。木々だけではない。ところどころ斜面に露出していた岩までが、水平に真っぷたつにされている。そして、……巨大な血まみれの肉と脂肪の塊。
ブタ人間だ。おそらく二体。腰のあたりから両断されている。
「先日の生き残りですね。森の中から復讐の機会をねらっていたのでしょう。……ユージ君、あなた先住生物に対してちょっと警戒心がたりないんじゃないですか?」
ケイ……
ケイは、まだ鞘に納めていない剣をもちあげ、切っ先をホベ先生の顔の前に掲げる。
「いいですか? 今後、もしユージ君が危険な目に会わされるようなことがあったら、それがなんであれ姉の私がすべて叩き切ります。ブタ人間でも、魔物でも、……もちろん『この世界の人間』でも」
「え、ええ。大丈夫、決してユージ君を危険な目にはあわせないよう、領主様は気をつかってくれるはず。だから私が派遣されたのよ。もちろん帝国にも介入させない。あなたがユージ君の姉なら、私は先生ですもの。いっしょに勉強するわ。教えて欲しいことが、そして教えてあげたいことが沢山あるの。お互いに個人授業するのよ。時間はたっぷりあるわ」
ぐえ!
ホベ先生は、俺の頭を自分の胸に抱き寄せる。
ケイはまだむっとしているようだが、とりあえずはこれで一件落着、……なのかなぁ。
2014.05.18 初出
2014.05.19 読みにくい部分を修正しました
(*)同じ世界を舞台にしたもうひとつの物語も連載しています。もしよろしければそちらも合わせてご覧ください。タイトル「先史魔法文明のたったひとりの生き残り、らしいよ」( http://ncode.syosetu.com/n8157bs/ )