01.お店でいかがわしい行為は厳禁なのです
『店内でのいかがわしい行為厳禁! 痴漢は痛い目にあわせますよ!』
開店前の居酒屋。厨房では料理人が料理の仕込みに忙しい。
ホールでは、エプロンドレス少女が、テーブルの上で何かを一心不乱に書いている。
どこから拾ってきたのか大きな板を看板に、木炭で描かれた文字。意外に達筆だ。
「ケイ、何を書いてるんだ?」
不思議に思った俺は、少女にたずねる。
「ユージ君。お店にこの看板を掲示してもらおうと思うのですが……」
「店に張るのか? この看板を? ……逆効果だとおもうぞ」
そっけなく言い放った俺に対し、少女が珍しく反論してきた。
「ユージ君!」
ケイは立ち上がり、俺の名を呼びながらゆっくりと近づく。俺の前で立ち止まると、えらそうに両手を腰にあて、お説教をしはじめる。
ケイは、学校には通っていないが、肉体年齢はハイスクールの女子学生に相当するはずだ。それに対し、俺はだいたい小学校に入学するくらいの身体だ。彼女よりも、かなり身長が低い。腰をおりまげ前屈みになり、ケイそんなお子様ボディの俺に視線の高さをあわせる。
息がかかるほどの至近距離から、美少女がみつめている。
大きな黒い瞳。肩で切りそろえた黒い髪。小さくて整った顔。ついでにいい匂い。前屈みの首筋から、白い肌が覗いている。きゃしゃな鎖骨。標準的な胸の膨らみ……。
近い近い近い!
俺は、反射的にケイの両肩を押し返す。しかし、小学生のこの身体で、高校生相当の肉体を持つケイを押し返すことはちょっと難しい。
俺の頭を両手でがっしりとつかんだまま、ケイの小さくて艶っぽい唇が開く。
「ユージ君。あなたは、店の酔っぱらった先住生物たちに、私の……」
一瞬、言いよどむ。恥ずかしげに一度目を伏せてから、改めて俺の目を見つめる。
「私の、お、お、お尻を触られても、平気なのですか?」
そりゃあ、ケイの尻が他の男に触られれば腹は立つけど、相手は酔っぱらいだしなあ。そもそも、この世界には、いまだセクハラなんて概念そのものがない。しかも、相手はお客様だ。あまり邪険に扱うわけにもいかんだろう。
プンプンと湯気をたてて怒りながら、俺を睨み続けるケイ。どうでもいいけど、こいつは怒った顔もかわいいな。酔っぱらったオヤジたちが、ついちょっかいをかけたくなる気持ちもわからないでもない。……なんてこと、口に出して言えるはずもないよな。ここは、店長にまる投げしてしまおう。
「まあ、おじさんに相談してみな。……それと『先住生物』なんて言葉、あまり口にするなよ。先住生物の前、……じゃなくて俺以外の『人間』の前で」
「その看板を、店に張るのかい?」
厨房で料理を仕込み中の料理人は、店長であり、かつケイとユージの親代わりでもある。彼は、実の親のように慕ってくれる娘が持ってきた看板を、しげしげと眺める。
「ええ、……だめでしょうか?」
うつむきながら、上目づかいで恥ずかしそうにたずねる少女。
少女は既に店の制服に着替えていた。可愛らしい白いふりふりのエプロンドレスは、おおむかし彼の妻が着ていた物だ。ちょっと小ぶりで可愛らしい少女には、実に似合っている。
ケイちゃんと弟のユージ君とふたりがこの店に来た、というか店長が山の中で偶然ふたりを拾ったのは、ほんの半年ほど前のことだ。
この娘は綺麗だし、頭もいいし、性格もいいし、仕事も早い。ウェイトレスとして完璧な娘なんだが、いくつかの欠点がないこともない。
ひとつは、あまりにも世間知らずだということ。
世間の常識を知らないだけではない。まるで世の中には真の悪人などいないと思っているかのようだ。こんな看板を張り出しても、店にくる酔っ払い達が素直に聞くはずないのがわからないのかなぁ。
「店に掲示するくらいかまわないが、……逆効果だとおもうがな?」
私の返事を聞いたケイが、なんとも不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうした? ケイちゃん」
「い、いえ、ユージ君にもまったく同じ事をいわれたので」
ほぉ。なるほど、ね。
ユージ君は、この娘の弟だ。まだ七歳の幼児のはずなのに、妙に頭の回転の速い子だ。まだ幼児といえる年齢にして、読み書きどころか、難しい計算もできる。いまでは店の会計も任せているくらいだ。
不思議な料理レシピを教えてくれたり、簡単なケガや病気なら治癒の方法まで知っている。そのうえ、村で唯一魔法をつかえる婆さんによると、この子のからだの周りには、常に大量の精霊がまとわりついているらしい。
見た目は子どもだが、まるで中身は異世界からきた大人かと思うこともある。ちょっと出来すぎの超優等生だ。姉であるケイちゃんが、どちらかというと天然系なのとは正反対だが、姉弟なんてこんなものなのだろう。
「まぁ、せっかく作った看板なのだから、掲示してみれば。ものは試しだ」
この世間知らずの娘が、酔っぱらいには理屈なんて通用しないという現実を知るためには、いい機会かもしれない。実際にやってみればわかるだろうさ。
街道沿いの小さな集落。オヤーチと呼ばれる村。
ここは、大陸を二分する巨大国家、通称『帝国』と『王国』を結ぶ唯一の街道の宿場として、たくさんの人間と大量の物資が通過する交通の要所である。旅行者だけではなく、商人、荷馬車の大規模な隊列も、このオヤーチ村を旅の拠点として大陸を往き来するのだ。
ケイが働くのは、そのオヤーチ村の中でも小さな店、『オウル亭』。
十組ほどのテーブルと、カウンター。食事と、夜になれば酒もだす。村人、個人の旅人、あるいは小規模な商隊が利用する店だ。
日がとっぷりくれた後。村の家々にランプの灯が灯される頃。店は徐々に混み始める。テーブルは、十組ほどの客で埋まっている。
もっとも壁際のテーブルで、明らかに一般市民ではない三人組が、食事を始めていた。腰に帯剣しているが、鎧は装備していない。
彼らは、この村に駐屯している騎士団の一小隊だ。村や街道の治安維持を目的として都から派遣されている、領主直属の部隊である。
「こ、これは美味い!」
ビールジョッキを片手に、イノシシの肉のローストにかじりつきながら、若い騎士がおおげさに叫ぶ。
「いけるだろ? この店は、山の幸をいかした美味い飯がくえると人気があるのだ」
年長のヒゲの騎士が、ほこらしげに笑う。
「こんな田舎への赴任を命じられたときは正直がっかりしましたが、こんな美味いものが食えるなら……」
「そうだろう、そうだろう。俺もそうだった。だが、今は都へなぞ帰りたくない。家族もこちらに呼び寄せたくらいだ」
「そうそう。この村に来たからには、楽しまなくては損ですよ。今日は君の歓迎会なんですから、どんどん食べて飲みましょう」
豪快に笑いながら、ジョッキを若い後輩の顔の前に掲げるのは、女性の騎士だ。
「え、おごりですか? そうとなれば、……ウェイトレスのおねーさん! 肉を焼いたのもうひとつ追加、あと、もういっぱいビール!!」
「はーい。少々お待ちください!」
エプロンドレスのウェイトレスが、はりの聞いた声で答える。
オウル亭は、数年前までは個人客用の宿も営んでいたのだが、ひとり息子が都にいってしまってからは飲食店のみでやっている。老夫婦ふたり食っていくのには、これで十分だったのだ。
そのオウル亭に、従業員がふたり増えたのは、つい半年ほど前のこと。
ホールでテーブルの間をコマネズミのように走り回り、接客している少女とその弟。基本的に、飲み物や食べ物を運ぶのは少女、テーブルの片付けなどは少年がやっている。酒もだす店に子どもが働くということに眉をひそめる者もいるが、あいにくこの世界には児童福祉法も労働基準法も存在しない。
「おまたせしました!」
若い騎士の目の前に、大きなジョッキと皿が差し出された。
ウェイトレスのきびきびとした動きが小気味いい。動く度に、膝丈の長さのスカート、ふりふりのエプロンがかわいらしく翻る。
騎士は、大きな黒い瞳にみつめられ、一瞬ことばにつまる。
「あ、ありがとう」
肩で切りそろえられた艶のある黒い髪。長いまつげ。ほんのり汗をかいている肌。首筋に覗く白いうなじ。
おもわず目をそらした騎士の顔を、不思議そうな顔で少女がみつめる。
「き、キミ、……いくつ? い、いや、そうじゃなくて、あの、その、……名前は?」
「ケイと言います。十七才ということになっています。……新任の騎士様ですね。これからもよろしくお願いします」
少女が軽く頭をさげる。ふわりと髪が垂れる。顔をあげ、にっこりと微笑む。ぱあっと周囲が明るくなったような錯覚。
別のテーブルの客に呼ばれ、小走りに去って行く少女の後ろ姿から、視線を離すことができない。
……こんな田舎の村に、あんな娘がいるなんて。
「おい、あれは営業用のスマイルだ。誤解するなよ」
「そうそう。ケイちゃんは、この店だけじゃなくて、この村、いえ街道を往き来する人々みんなのアイドルなんだから、手を出しちゃだめよ」
「わかってますよ。見とれるくらいいいじゃないですか」
若い騎士は、目の前のジョッキを手に取り、一気に飲み干す。顔が赤くて体温があがったのは、アルコールのせいだということにする。
2014.03.30 初出