かつてのコンビナート事故
――― 夏川高等学校 第一図書館 ―――
いつも通り、この図書館は静寂である。
教室三つ分くらいの空間に、重厚な木製の本棚が通路を作るように並べられ、窓際から真ん中にかけてには十台程度の机が並んでいる。
図書館というものが流行らなくなったのか、それとも、今年ようやくコンピュータ教室が放課後にも解放された結果なのか、皆、正式な時間割にはない土曜日の補習授業に疲れてさっさと帰ってしまったのか、このだだっ広いはずの狭苦しい部屋には二人の人間しか居ない。
窓際の背の低い本棚にごろりと寝転がり、太陽をさんさんと浴びながらじっと適当に選んだ本を読んでいる僕、月影零時。
そして、きちんと椅子に座り、その低い背を真っ直ぐに伸ばし、時々ページをめくっている同学年の女の子。
普通のようでいて、しかし僕ら平凡な高校生との隔絶を大きく感じる。
その女の子は、図書館に必ず居るので、『図書館の君』と呼んでいる。無論、心の中でである。僕は『図書館の君』とは一言も話したことはない。名前も知らないし、クラスも知らない。知っていることといえば、学校指定の靴に入ったラインの色で同学年と分かる程度だ。しかし、彼女はいつも全く同じ姿勢で毎日図書館に居るために、図書館の中の風景として定着し、当然在るべき存在となっている。もし、『図書館の君』が此処に居なければ、今、僕が寝っ転がっている窓際の本棚がある日忽然と消えたかのような違和感を感じるだろう。
◆
「せんぱ~い」
声が聞こえる。
「月影せんぱ~い。」
抑えるような小声。
反応して目を向ける。
「……マイちゃん?」
見知った後輩。そして、僕と同じ新聞部のメンバー、西野マイがいつの間にか覗き込んでいた。
見回すと、僕とマイちゃん以外誰も居ない。図書館の君も帰ったようだ。
「せんぱ~い。本棚の上に乗っちゃダメって言われてません?」
図書館なので小声のはずだが、その元気さは隠せない。
「はて?そんな話があったような無かったような……。」
とりあえず誤魔化す。
マイちゃんはどこか抜けていて、天然素材の天然キャラの割に、こういった規則違反には厳しい。他に誰も居ないのに小声を貫くぐらいには。
「やや、何かしつれーなことをー。」
「べ、別に?」
そしてたまに鋭い。
「先輩のことうっかりすっぱ抜いちゃいますよ?」
あ、それちょっと怖い。
「大丈夫だ。『記憶にございません。』とか言ってれば何となかるって。テレビで偉い人がやってたんだから間違いない。」
「むー、マイはだまされないですよ。」
ぷくーっとほほを膨らませてぺしぺしと肩をたたいてくる。
痛いと痛くないの境界線を測定しているようだ……
「ところでさ、何しに来たんだ?何か用事があったんだろ?」
「そ~でしたっ!」
ぽん、と手を打つ。
「先輩に頼みごとがあったんです。」
「さて、帰るか。」
「だ~め~で~す~。大体、帰るつもりなんて無いじゃないですかー。」
確かに。僕の生態をよく分かっている。
「それでですね。ちょっと調べたいことがあるのです。」
ふむ、次の記事にでもするのか。
「面白いこと?」
「先輩もきっと聞いたら気になると思います。」
マイちゃんの持ってくる情報は大半は下らないが、時々興味をそそられる。さて、今日は何を持ってきたのか。
「ほうほう。それでそちはどのような話を持ってくるのぢゃ?」
いつも通りおふざけを開始する。
「マイが……私めが持ってきた話は、あの二年前のコンビナート爆発事故の話だったり……献上しに参りましたのです。」
「え?マジ?……じゃなくて、そんな話を持ってくるとは、 そちも悪よのう。」
出てきた台詞の意外さに思わず素になって返してしまった。まさか、ここであの事故が出てくるとは思わなかった。
「いえいえ、お代官様ほどではー。」
マイちゃんがしてやったり、と言いたげに笑う。
コンビナート事故は、僕にとって無関係な話じゃない。
「どーしたのですかー?せんぱ~い。」
「いや、大丈夫だ。」
そう言いながらマイちゃんの頭をなでる。
「ひゃわわわ。」
こうすれば表情を見られることは無いだろう。
二年前のコンビナート爆発事故はこの高校からでも見えるほどの爆発だったらしい。工場自体は極度にオートメーション化され、死傷者はその爆発の規模に比べて少なかったとは聞く。
ただ、この事故で、僕の本家に当たりコンビナートの所有者でもあった星宮家は壊滅した。
そして、数少ない生き残った親族の一人、黒井トウジ二年前から今でも生死の境をさまよっている。
――― 夏川総合病院 黒井トウジの病室 ―――
夏川総合病院、夏川高校、そして周辺の幾つかの工場は夏川研究所の傘下にあって、実験等の連携をとっている。敷地も隣り合っているため、用事があればすぐに行ける。
幾つかの自動ドアと消灯された廊下を抜ける。
そして、一つのドアの前に立つ。
『XXX号室 黒井トウジ』
静かにドアを開ける。
「よお、トウジ兄。生きてるか?」
既に日は落ち、暗い空が広がりつつある。
真っ暗な病室には、低い振動音と空気の通る音が充満している。
電気をつける。
何本もチューブを付けられた若い男が目線だけを向けてくる。
「ああ、僕はまだまだ死なないみたいだ。でも、もう感覚が段々と弱ってきてるみたい。もうダメかもしらんね。」
力なく笑う義兄弟、黒井トウジ。
「余命半年を宣告されておいてもう二年も生きてるんだ。もっとしぶとく生き続けろよ。」
ズキリと痛む心は隠す。
僕のほうが暗くなっちゃダメだ。
「ギネスブック目指して?」
かすかに笑ったのか。チューブが揺れている。
「賞金の一割はよこせよ?」
「ははっ……。」
いつもの軽口。
下らない受け答えをしているうちは、大丈夫だろう。そう思いたい。
◆
疲れさせないために早めに退散する。
長い時間話すより、何度も話すほうがいいだろう。
「そうそう、零時。」
「なにー?」
「二年前にさ……」
浮かしかけた腰を落とす。
「今更昔の話を蒸すなって。」
真っ暗になった空に星は見えない。
「昔の話じゃないよ。つい昨日のこと。」
「何があった。」
「コウ兄が来たんだ。」
「何だ。俺が昨日来てれば星宮家残党再集合じゃないか。」
地方財閥とも言うべき家の次期当主だった星宮コウ、分家のトウジ兄、そしてトウジ兄の世話になっていた僕。
肝心のその財閥がコンビナート事故で解体した後、星宮家当主、星宮コウは姿を消した。
二年間、コウ当主は何をやっていたんだ?」
「ああなっても当主は当主だからね。責任は大きいんじゃないかな。色々と忙しかったらしいよ。」
「本当に、当主の仕事だけかねぇ。義務から逃げまわってた印象しか無いような気がするけど。」
さて、帰ってきたなら僕にも連絡があってよさそうなものだが……。
――― 夏川高等学校 第一図書館 ―――
積みあがった新聞の縮刷版、そして本、本、本。
「せんぱ~い。やっぱりあんまり無いですね。」
積みあがった紙類は全てコンビナート事故に関連している。とはいっても、この事故を単独で扱ったような本は一冊も無い。
「一冊くらいあっても良さそうなもんだけどな。」
それが本当に無い。
幾らローカルの事故であるとはいえ、爆発の規模に比べて死亡者が少なかったとはいえ、報告書や取材系の本の一冊くらいはありどうなものだ。そして、地元の大事件なのだから、この図書館に置いてあってもおかしくは無い。
まあでも、無いものは無い。仕方ない。
マイちゃんに目を向けるとしょんぼりしている。
「そもそも、何であのコンビナート事故なんかを調べようと思ったのさ。」
新聞部西野マイ記者の記事と言えば、新しくできた喫茶店の潜入レポートだったり、旅行のときに寄った縁結びの神社で参拝したことだったりと、ともすれば普通の日記と変わらないようなことばかりが並んでいたはずだ。
「んー、たまには新聞らしく、社会のことでも書いてみましょーって……」
「突然思いついた?」
「その通りです!せんぱい。」
「そこ、胸張って誇るところじゃない。」
「いいじゃないですかぁ。たまには硬派やってみたくなるじゃないですか。」
「そうかぁ?」
「スリルしかない危ない科学記事ばっかりやってる先輩にはわからないかもですねぇ。」
この高校は研究所と半ば一体だから、多少『派手』な爆発実験とかもお目にかかる機会がある。
「研究所様々だよ。行けば少なくない確率で面白い話が転がってる。というか、無いと困る。」
「あー、久慈先輩はせんぱいに対してだけは容赦ないですからねぇ。」
思い出す。
記事無い?無いのか?じゃあ付き合え。
「もう紛争地には行きたくない……」
ぐんにょりと机にうつ伏す。
「せんぱい、せんぱ~い。大丈夫ですよぉ。ここは安全な日本ですよぉ。」
ゆっさゆっさと揺らされる。
「あー、少しだけ元気が出てきた。」
「じゃあ、元気が出たところで、ちょっと付き合ってください。」
……誤解を招く言葉を使うよなぁ。
「どこに?」
「コンビナートまでです。」
「おやすみ。」
「待ーってください。本が無かったんですよ。現場に行くしかないですよ!げ・ん・ば!」
「いやぁ、行っても無駄だと思うけどなぁ。」
「なんでです?」
「爆発した跡地はぜーんぶいったん更地になって後からもっと高性能な工場が建ちました。そんでもって無人化が更に進んで昼間は整備要員しか居ないし、夜は本当の完全無人。行っても見るものも無ければ聞く人も居ない。」
「えー、それはそれは……。」
積極的だが、無駄足を好むわけではない。
明らかにほっとした様子で着席する。
「しょうがないですねぇ。せんぱいから面白い話を聞いたことですし、工場の無人化とか記事にしてみます。」
どうも半端に終わりそうなのが納得いかないのだろうか。不満げに記事の構想を練り始めていた。
――― 旧星宮邸前 ―――
見事なまでに更地になっている。
石と乱雑に生えた草。
ここにお屋敷があったとは到底思えない。
「前に来たときはもう少し雑草が少なかったな。」
そう、景色は殆ど変わっていない。
特に来ようと思ったわけではない。
しかし、何とはなしに足が向いてしまった。
事故のこと、星宮コウのことを聞いてしまったからだろうか。
星宮一族の主要人物の大半はコンビナート事故で命を落としている。
「考えてみれば、おかしい部分はあるんだよね。」
たとえば、幾ら一族経営だからって、何も本家分家の主要メンバーがみんな特定の工場に集まっていた……とか、何故、現場の従業員に至るまで一族以外の人間を雇わなかったのか……とか。
そこまで考えたとき、風に乗ってタバコのにおいがした。
振り返ると、ぷかぷかとタバコをふかした、怪しげな無精ひげの男が立っていた。
「タバコはいいねぇ。ヤバイ毒が五臓六腑まで染み渡る。」
そう言うと、男は煙をフゥーと吐き出す。
「星宮……コウ?」
二年近く会ってなかった当主。
服装も髪型も体型も変わったが、確かに星宮コウだ。
「オウ、お前らのコウ兄だ。ちっと見ねーうちに随分デカくなりやがって……。」
そういえば、こういう性格だった。
こっちは距離感がつかめないと言うのに、ズケズケと話しかけてくる。
「二年前に比べてタバコの量が増えてますよ。そのうち肺が真っ黒に……。」
「イイんだよぉ。腹の内までどす黒いんだ。大して変わりゃしねぇ。それより、どぉだぁ?学校行ってるか?」
「行ってますよ。皆勤賞だって狙えます。それより、星宮家当主のあなたが一体どこをほっつき歩いてたのですか?。」
問い詰める。僕と病床のトウ兄を放っておいた以上、何か理由があるはずだ。
「てぇしたことはやってねーし、話す気も話も聞く気はねーよ。」
タバコを捨て、グリグリと踏みつけて消す。
「じゃ、な。」
そう言って星宮コウは駆け出す。
「ちょっと、待って……」
急いで追いかける。しかし……
「じゃーな月影零時!キチっと生きるんだぞぅ!」
追いつかない。
坂を駆け上がるコウ兄の姿は小さくなり、、路地へ姿を消した。