第一話
ピンポン、とチャイムの音が部屋に届く。
この部屋の主である青年は手を止めることなく、ただキャンバスに向かう。玄関のほうをちらりと見もしない。まるで音が聞こえていないかのようだった。
また、ピンポン、と鳴った。
やはり青年は手を止めない。黒い服に付いた絵の具を見て、少し顔をしかめただけ。だがさほど気にする様子もなく、キャンバスを眺めている。
今度は、ピンポンピンポン、と連続で鳴った。
煩わしそうに玄関を見やるが、それ以上は動かない。音は聞こえているらしいが、青年はまた絵筆をとった。
いつでもこの部屋は静かで、ただ絵を描く音しかしない。作業のための音楽などは、青年にとっては邪魔でしかない、ただの雑音なのである。
そんな風に過ごしていた彼にとって、連続で鳴らされ続けるチャイムの音は。
「…何か、用ですか」
顰め面ではあるが、彼がドアを開けて応対するくらいにはうるさかったのだ。
「道に迷いました、私の家までの道を教えて下さい」
無表情にそう告げたのは、見たことのない少女だった。
茶色混じりの黒髪、琥珀色の明るい瞳。顔立ちはそれなりに整っていると言えた。
青年はしかし、すぐにドアを閉めた。
道に迷ってここまで来るなんて青年には信じられなかった。
なぜならここは小さなアパートで、部屋数も少ない。道に迷ったのならわざわざここまで来る必要などないだろうし、部屋番号がわからないのなら大家にでも聞けばいい。
いたずらか、親に怪しいから調べて来いとでも言われたか。
その考えしか浮かばなかった彼は、しっかりと鍵をかけてキャンバスの前に戻った。
その後何度か鳴ったチャイムは全て無視した。
気がつくと、もう音は鳴っていなかった。