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さん

 丁度、トイレから出て、手を洗っていた時だった。男子が耳につくような笑い声をあげて男子トイレに入っていった。そのまま通りすぎようとしたら、ふと、その男子達の会話が耳に入る。


「海月、どんな顔するんだろうな」

「さあ? 便器の中に手突っ込んででも、ウサギちゃん助けたりしてな」

「うっわー、きたねえー」


 思わず足を止めてしまって、トイレを振り返った。しばらくして、げらげら笑いながら男子三人が出てくる。同じクラスで、クラゲをからかっていた男子達だ。彼らが階段に上って、笑い声も遠のいた頃、あたしは、男子トイレのスリッパを履いた。一番奥の便器の中に、クラゲのランドセルにくっついてるはずのウサギのぬいぐるみを見つけた。


 ――お母さんね、『これ持っていい子にしててね』っていって、たくさんの荷物持って、出掛けちゃったんだ。それっきり会ってないの。


 クラゲの声が、ずっと、脳内に響いていた。男子トイレに入ることや、便器に手を突っ込むことの嫌悪感は、耳の奥に焼きついたクラゲの声が打ち消していた。傷ついた顔を隠して、むりやり笑うクラゲを想像して、そんなクラゲを実際に見てしまうほうが、よっぽど嫌だった。


 ――だから、このウサギ大事にしてたら帰ってきてくれるかなって思って。


 石鹸を泡立てて、ウサギを包んだ。傷つけないように気をつけながら、でも、男子の触った汚いところが残らないよう、念入りに洗った。


 ――お母さんも、自分の世界で一生懸命頑張ってるんだよ。だから、僕も小さな自分の世界で、一生懸命頑張ろうって思うんだ。


 あの時の言葉で、はっきり分かった。クラゲは、悩んでぐちゃぐちゃになった感情を、他人にぶつけることは絶対にしない。他人を頼ることなく、自分で綺麗に直して、むりやり解決しようとする。自分の励まし方を自分で分かってしまっている彼は、自分でも気付いてないかもしれないけど、きっと、すごく苦しいだろう。

 そんなクラゲの気持ちは、へらへら笑って投げ捨ててしまえるような、そんな簡単なものじゃない。


 ***


「ねえ透子ちゃん。僕のウサギ、知らない?」


 教室に帰ると、クラゲが駆け寄ってきて、そう聞いてきた。


「知ってるわけねーじゃん。なあ?」


 男子が煽るようにそう言った。どうやら、その場にあたしが居たことに気づいてなかったらしい。あたしはポケットの中に手を滑らせて、ハンドタオルでくるんだウサギのぬいぐるみを取り出した。


「これ?」


 そう問えば、クラゲは花が咲いたような笑みを零して、大きく頷いた。それと同時に、さっきまで冷やかしていた男子が血相を変えて、あたしを指差して叫んだ。


「なんで、お前それ持ってんの? それ、俺らが男子トイレに捨てたやつ……!」

「おい、ばか、言ってどうすんだよ」


 隣に居た男子が、どん、と彼の肩をどつく。ほんとに馬鹿みたい。相手にするのも面倒だから、とりあえず無視。


「まだちょっと濡れてるけど。今度は盗られないようにね」


 そう言って、ハンドタオルごと、クラゲに手渡した。


「お前、女子のくせに男子トイレ入ったんだろ! しかも、それ便器ん中捨てたから、お前、そん中に手ぇ突っ込んだんだろ! きったねー!」


 男子は鼻息を荒くして、興奮気味にあたしを指差したまま叫んだ。それを聞いていた他の子達も遠巻きに、小声で何かを囁き合いながらあたしを見る。


「……透子ちゃん、ほんと?」


 クラゲはおそるおそる、といった感じであたしを見た。申し訳ないと思っている気持ちが全身に溢れている。あたしはクラゲの問いに頷いた。そして、真っ直ぐ男子を見据え、思い切り息を吸い込む。


「あんたの心ん中のほうがよっぽど汚いよ、バーカ」


 思ったよりも大きな声が出た。思ったことをストレートに相手に告げたせいか、胸がすっとして、いい気持ちがした。顔を真っ赤にした男子が唾を散らしながら何かを言い返してたけど、呂律が回ってなくて、何を言っているのかよく分からなかった。

 クラゲの方を見ると、彼は呆気に取られたようにあたしを見つめ、そのあと、嬉しそうに顔を崩した。


「やっぱり透子ちゃんはよく分からない子だ」


 クラゲは本当に可笑しそうにけらけら笑った。笑いながら、彼は、手の甲を目元に押し付けた。


「ありがとね、透子ちゃん。僕ね、学校で、どんな嫌なことされても、泣いたことなかったんだ。でもね、なんでかな。透子ちゃんの優しさは、それだけで泣きそうになるんだ」


 目は潤んできらきらしていた。そのときやっと、彼が涙を拭ったのだと気づいた。

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