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夕暮れ、家に帰ろうとすると、帰り道にクラゲが居たから、そっと近づいて、ランドセルに付いたウサギを引っ張ってみた。
「わわ! 透子ちゃん! びっくりさせないでよお……」
クラゲは、びくっと肩を揺らし、予想以上に驚いた様子であたしを見た。
「ねえ、なんでランドセルにウサギ付けてるの?」
「あ、これね、お母さんにもらったの」
「ふーん」
「お母さんね、『これ持っていい子にしててね』っていって、たくさんの荷物持って、出掛けちゃったんだ。それっきり会ってないの。だから、このウサギ大事にしてたら帰ってきてくれるかなって思って」
あたしはただ、クラゲと話す口実にウサギのことを聞いただけだったんだけど、思った以上に深い理由で、思わず聞き入ってしまった。そんなに大事なウサギを引っ張っちゃってごめん、と心の中で謝っておく。
「寂しくないの?」
「寂しいけどね、寂しい時は行ったら元気になれる場所に行くんだ。……あ!」
突然クラゲが大きな声を上げたから、あたしもびっくりして肩が跳ねた。
「何?」
私が眉をひそめて、クラゲを見ると、彼はハッと気づいたように口元を押さえた。
「あ、いや、びっくりさせちゃってごめん」
「いいから。何?」
「えっとね。透子ちゃんに見せたいとこがあるの」
「見せたいとこ?」
「うん。連れてってあげる」
***
クラゲに手を引かれて着いたところは、何の変哲もない高台に作られた、ただの公園だった。公園といっても、子ども心をくすぐるような遊具はゾウの形をした大きなすべり台ぐらいで、それ以外は、ベンチや自動販売機なんかが申し訳程度に設置されていた。
「この上」
クラゲが指差したのは、まさに、その大きなゾウのすべり台で。
手を引かれるままゾウの足の階段を上る。上りきった時、びゅう、と強い風が体を包んで、思わず目を閉じた。ゆっくり目を開けた時、思わず「わぁ」と声が漏れる。
「ね、すごいでしょ?」
クラゲは得意げに笑みを浮かべた。
「僕が、この世界で一番大好きな場所」
ゾウのすべり台のてっぺんは、夕方の町を一望できる場所だった。
金色の光りの粒子が町に満ちていた。学校も古いビルもごちゃごちゃした家々も、すべてが、蜂蜜を流し込んだような綺麗なオレンジ色に染まっている。近くから見れば濁って汚い川も、此処から見れば、夕陽の光を反射して、きらきら輝いて見えた。とても気持ちのいい風が吹いて、うなじをすべっていく。
「きっとね、僕らが抱えてる悩みは、本当はすごく小さいことなんだよ。人間なんて、此処から見たら、ただの動く点だもん。神様が空から見ている世界に比べたら、僕らが見ている世界は、きっと、ものすごく狭い」
彼の声は、爽やかな風に乗って透き通って聞こえた。綺麗な景色を見ていると、クラゲの言葉は全部本当のことのように思えた。
「お母さんも、自分の世界で一生懸命頑張ってるんだよ。だから、僕も小さな自分の世界で、一生懸命頑張ろうって思うんだ」
笑顔を浮かべるクラゲもオレンジ色に染まっていて、すごく綺麗だった。凛として前を向き、強かに言葉を紡ぐクラゲは、少しだけカッコよかった。
「よし、そろそろ帰ろっか」
「そうだね」
あたしが頷くと、クラゲは、滑らずに、わざわざ階段のほうから下りようとした。
「何で階段のほうから下りるの? どうせだから、滑って下りればいいじゃん」
「……いや、階段のほうがいい」
「なんで?」
「……すべり台、急だし、高いし、怖いから」
前言撤回。何このカッコ悪いクラゲ。