いち
「よろしく、クラゲ」
あたしが、隣の席の彼に向かって言った、記念すべき第一声。彼は驚いたように黒い目をぱちくりさせて、あたしを見た。
「どうしてクラゲ?」
「あんたの『海月』って苗字、クラゲって読むから」
「え、そうなの?」
「うん」
「そうなんだあ。初めて知ったー。お父さんに言ってみよっと」
彼は両目を丸く見広げて、何回か瞬きをした後、ふにゃ、と顔を崩した。
「教えてくれてありがとう。えっと、透子ちゃん、だっけ?」
向けられたのは、真っ直ぐで純粋な笑顔だった。この学校に転校して一番最初に、クラゲと友達になりたい、と思った。
もしかしたら、彼が「海月」という苗字じゃなくても、あたしは彼を「クラゲ」と呼んでいたかもしれない。
あたしのクラゲのイメージは、ふにゃふにゃしてて白くて柔らかそう。実際はよく知らない。正直、本物を見たこともない。
そんな浅い知識しか持ってないけど、彼の長くて無造作に跳ねた天然パーマの髪とか、白くて柔らかそうな肌とか、いつも彼が学校に着てくる白いパーカーとか、笑ったときのへらへらした顔とか、彼全体を包む、ふわふわとして不安定な感じとか、なんか、全てがクラゲっぽかった。
クラゲは運動も勉強も出来ないし、男のくせにランドセルに小さいウサギのぬいぐるみつけてるし、家も貧乏らしい。
「お父さんが友達の借金の相談に乗ってたら、いつの間にか友達は何処かに逃げちゃって、お父さんが保証人にさせられてたんだって。それで、お父さんが借金を払わないといけなくなっちゃったんだ。だから貧乏なの」
いつだか、そう話してくれたことがある。同情を誘うような口調じゃなかった。例えるなら、昨日の晩御飯はカレーだった、と話している感じ。あたしは、クラゲがそのまま大人になって、へらへら笑っている姿を想像した。確かに彼の父親なら、そんな行き過ぎたお人好しであってもおかしくないかもしれない。
そのせいか、クラゲはいじめられっこだった。筆箱やシューズを隠されるのは日常茶飯事。「アホ」とか「貧乏人」とか言われて、いつも馬鹿にされている。
クラゲは男らしくはないけど、泣き虫でもなかった。いつもへらへらしている。ありきたりの嫌がらせや、安っぽい悪口は、クラゲの涙には結びつかない。というより、彼に怒りや悲しみの感情が存在しているのかどうか自体疑問だ。
「ねえクラゲ。あんた、辛くないの?」
給食の時間、そう聞いてみたことがある。
「んー? 何で?」
クラゲは揚げパンのココアを口いっぱいに付けながら、不思議そうに首を傾げた。
「毎日毎日、こんな悪戯されてさ」
「うーん、辛いことは辛いんだけどさ、結構、耐えれるから。それでね、それが毎日だから、ちょっとずつ耐える力が強化されていってるんだよね。多分、この調子だったら、へばる日なんて来ないんじゃないかって思うんだよね。僕、無敵。なんちゃって」
そういって、へらりと笑顔でかわされた。結構強い奴だ。クラゲのくせに。
こんな感じでクラゲを一ヶ月ぐらい観察して、クラゲの友達を自称しているあたしだけど、きっとあたしは彼を半分も理解してはいないだろう。