『十一月二十一日 晴れ』
ユーリから、体育館裏に呼び出された。
「え? 愛の告白?」
「それを望むならば、そうしてもいいですけれど?」
僕がふざけても、ユーリは動じるそぶりも見せない。
「どうして、わざわざ呼び出したのかな?」
「……いくつか、確認したいことがありまして」
「それは、僕でいいの? ヒロではなくて?」
「なんとなく、答え合わせは、あなたにするべきと思いましたから」
彼女は微笑んで云うが、その気配は、戦いを目前にした時のように研ぎ澄まされている。もはや、夏休みを終えて、神である僕と戦う理由など微塵もないというのに。
一歩、彼女は前に踏み出した。
「そもそも、〈神〉が登場した瞬間から、違和感を覚えるようになっていました。七月のループについても、あなたが犯人であることは明かされながら、なぜそんなことをしたのか……動機とも云うべき部分は、無視されて、放置されたままです」
ユーリは、さらに一歩。
「そして、七月を経てから、会長とお姉様は明らかに変わりました」
彼らについては、元に戻ったという方が正しい。
だが、ユーリにはわからないことだ。
「どうして、〈神〉は、七月を何度も繰り返したのですか?」
ホワイダニット。
フーダニット、ハウダニットなどと並んで、ミステリ用語。すなわち、とある謎に対して、何が肝となるかを表す。ホワイダニット――なぜ? どうして、犯人は、そんなことをしたのか? この場合、犯人は〈神〉である僕と確定しているから、動機という部分だけが、未解決の部分となるわけだ。
「うーん、さて……」
僕は云いよどむ。
「答えられないのですか?」
「いや、答えづらいというだけだよ」
大して劇的でない答えだから、拍子抜けさせてしまうことが申し訳ないだけなのだ。
「共犯者が必要だったから」
「え?」
「そして、ヒロとナオがそうなってくれたから、夏休みを迎えられた」
本当ならば、僕らのシナリオに、七月をループさせるなんて事柄は記述されていない。だが、七月が終わるまでに、誰か一人だけでも、『思い出す』ことは必須なのだ。
だって、夏休みは、神と六人による戦争なのだから。
うっかり、世界が壊れても不思議ではない戦いなのだから。
こっそりと協力して、万が一の事故が起こらないように、気を配る必要がある。
「ちょっと待ってください」
ユーリは慌てたように、それでいて怒ったように云う。
「夏休みの戦いは、仕組まれたものだと?」
「いつだか云った気がするよ。茶番だってね」
茶番。
予定調和。
くだらない決め事。
「世界が始まった時から、この年、この夏休み、神と六人が戦うことは運命付けられていた。それは既に、遙かな昔に決められたことで、〈神〉ですら、逃れられない」
「ありえない。〈神〉が手を出せない運命なんて……」
「だって、〈神〉以上の力で定められた運命だからね」
夏休みのシナリオは、そんな風に決まっていた。
だけど、残念ながら、七月が終わる頃になっても、僕の共犯者となるべき者は登場しなかった。困ったと云えばそうだけど、ある意味、それもまた予測の範疇だ。取るべき手段はいくつもあって、それが〈神〉の見せ場とも云える。
僕は、ループを選択した。
「四度目のループで、ヒロとナオが共犯者となった」
「二人に違和感があったのは、私逹を裏切っていたから?」
「それは違うよ。ユーリ、君だって、そんな馬鹿なことはないとわかっているだろう?」
諭すように云えば、彼女は、自分が明らかに下の立場であることを思い知ってか、悔しそうに表情を歪めた。彼女らしい。彼女はいつでも、どんな時でも、どんな運命が訪れた時でも、自分を折らず、曲げない。
しばらく、考え込むように沈黙。
静寂は、彼女にとっては痛々しいものかも知れない。
僕は、それを心地よく感じる。懐かしさすら、感じる。
「共犯者とは?」
「ん?」
「共犯者とは、何ですか?」
いい質問だ。
それがわかれば、全て、理解するも同然なのだから。
「君も、今、そうなりかけている」
僕は云う。
「共犯者という云い方が悪いね。別に、悪いことをしているわけではない。強いて云えば、イタズラみたいなものだ。僕が、ヒロとナオに協力してもらって、最後には大笑いできるようなイタズラを仕掛けている。そうして、イタズラに気づいた者は、そのまま仕掛ける側に回るというだけだ。ヒロもナオも、トリックに気づいた。だから、僕の側に回ったというだけなんだ」
「会長とお姉様は、どうして気づいたの?」
「いいね。いい質問だ」
僕はどんな風に説明するべきか、考えながら続ける。
「正直、ループが四度目まで続くなんて、僕にも予想外だった。もう少しぐらい、早く終わると思っていた。解決の兆しは少しだけ見えていたけれど、いい加減、飽き始めていたんだ。僕は退屈していたけれど、他にも同じように思っていた者がいた。ヒロは、そいつにヒントをもらったから、気づいたわけだ」
「それは、誰?」
「うーん、まだ秘密。それよりも、ナオの方だ」
僕は質問に答えず、話を続ける。
「ヒロに比べて、ナオは正攻法で答えにたどり着いた。とはいえ、彼女の場合、最初からゴールにほとんど到達していたと云うのに、あの性格が災いして、かなり迂遠な方法を選択してくれた」
僕は、ミステリが好きだ。
彼女は、それを必死に思い出そうとした。
「四月の時点、そもそものスタート地点で、彼女は核心に触れていた」
「……核心?」
僕は、まっすぐ、ユーリを指さした。
「君だ」
「私?」
「ナオは、君の内側を、覗き込んだ」
魔王の力で、心に触れた。
春原優莉という存在を、魂まで丸裸にした。
それはもちろん、ファーストコンタクトで素性のわからない相手を調べ上げるための措置だったが、ナオはそれと意識せず、もっとも大きな矛盾に触れてしまったのだ。
僕は、ここで逆に、ユーリに尋ねた。
「そもそも、ユーリが違和感を覚え始めたのはどうして?」
一瞬、ユーリは明らかに動揺する。
すぐさま、春のような微笑を浮かべて、戸惑いを隠し込んでしまうが、僕にはお見通しだ。その程度の仕草や感情、僕が見抜けないと思っているのだろうか。思っているのだろうな。それがちょっと、悲しい。
意地悪のように、云う。
「ナオに云われただろう?」
「……なに、を」
「誤魔化すな。ここまで来たら、最後まで行こう」
僕は、一歩を踏み出す。
僕らの距離が、零に近くなる。
「君は、ナオに、なにかを云われたはずだ」
そうして、思い出すきっかけを得たはずだ。
だから、ユーリは悩んでいる。
「わ、私は……」
「云え」
云ってしまえ。
それは、矛盾ではなく、ただの真実だ。
「わ、私の中には、な、何もないと……」
何もない。
ユーリの中には、何もいない。
「何もない? 何が、いないと?」
僕は問いつめる。
確認する。
「わ、私の中には、邪神なんていない、と……」
ユーリは動揺する。
笑みの裏側に感情の全てを隠し、仮面をかぶるような生き方を得意とする彼女が、これ以上ない動揺を露わにする。でも、仕方ない。彼女にとって、生まれた時から見に宿し、呪われた宿命として、自身の運命そのものだった〈邪神〉なのだ。
全て、土台から崩れ去る気分だろう。
僕には、よくわかる。
僕だって、経験したことだ。
「あ、あいつは……」
ユーリは、何も理解できないと云うように、震えた声でつぶやく。
「あいつは、邪神は……エルンドーラは、どこに……?」
彼女の疑問を断ち切るように、僕は云う。
「笑え」
あえて、僕は云ってやった。
「ユーリ。君は、笑っている方が似合う」
偽り、欺き、腹の底では嘲笑しているような、真っ黒な笑顔。
折れず、曲がらず、自分の中の芯を決して歪めることのない笑顔。
「君は、〈アイドル〉だ。いつだって、君はそうだっただろう?」
彼女はきっと、ほんの出来心、ちょっとした遊びでアイドルなんて仕事に手を出したと思っているだろう。その思いは間違いではないけれど、その道、その運命は、結局、彼女が自然と選び取ってしまうものなのだ。
たとえば、僕の二つ名の数々。
〈光の使者〉、〈混濁の主〉。〈名探偵〉、〈空を食む〉。〈火種〉、〈王冠壊し〉。
たとえば、彼女の二つ名の数々。
〈暁〉、〈闇の淵〉。〈調停者〉、〈虹の鱗〉。〈アイドル〉、〈小美姫〉。
「さあ、思い出せ」
僕らの距離は、零となる。
吐息のかかるような距離で、真正面から見合った。
「……カズマ?」
百年の眠りから覚めた姫君のように、ぱちりとまばたきしながら。
ユーリはようやく、〈神〉の名を――僕の名をつぶやく。
「浅葉カズマ! ああ、そうか……」
僕と彼女は握手する。
そうそう。
今さらだけど、名乗っておこう。
この物語の記述者である〈僕〉であり、〈神〉というただのキャラクター。
あらためて、はじめまして。
僕の名前は、浅葉カズマである。




