『春原優莉は華麗に挨拶する』
入学式の直後から、早速、部活動の勧誘が始まる。
本来、在校生は休みの日であるけれど、部活動に所属している者ならば、この日を家でごろごろ過ごすということはない。新しいメンバーを確保することも重要だが、それ以上に今日はお祭りなのだ。チラシを撒く者がいれば、奇抜な格好で注目を集める者がいる。演劇部は即席の舞台を用意するし、吹奏楽部は他の邪魔にならない程度に演奏を始める。
どこもかしこも、新入生をあの手この手で獲得しようと、賑やかで騒がしい。
その中で、とりわけ、大勢の人だかりとなっている場所があった。
中心には、一人の少女――留学生だろうか、ブロンドの髪がきらきら輝く。最初こそ、周囲から浮き立つ髪や肌の色に気を引かれるかも知れない。しかし、そうして彼女の容姿を見た者は、新入生も在学生も、ぽかんと間抜けな顔になって立ち止まっていた。
映画の中に出てくるような、夢のようなお姫様。
そんな幻想を抱いてしまうほど、格別に美しい少女がそこにいた。
「いえいえ、お姫様はもうやめました」
少女はにこにこと笑いながら、周囲に向けて、冗談のような言葉を返す。
そんな彼女は、一瞬、何気なく顔をそむける。
白雪のように儚く見える少女は、それだけの仕草も美しい。
見惚れた生徒達は、当然ながら気づかなかった。
ブロンドの長い髪が横顔を隠す瞬間、彼女の口元が笑みに歪む。風が吹いた。さながら邪悪な神のように、ざわり、と。戯れに周囲をからかって楽しむ表情は、桜の花びらの舞い散る中にまぎれて、綺麗に消え去ってしまう。
「春原優莉と申します、どうぞこれからよろしく」
春風のような笑顔と共に、春原はスカートの裾をつまみ、優美に挨拶した。
それは圧倒的な美という武器である。どんな名刀よりも鋭い刃物を突き付けられて、口を開ける者は一人もいなかった。気の抜けたような沈黙に対し、春原は告げる。
「それでは、失礼します」
彼女は淑やかに歩き出す――笑顔の裏側に、『面倒』という二文字を隠したまま。
(さて、どうしましょうか?)
人垣を抜けて、春原の頭は本題に染まる。
かつて、平穏を望んだ。
そうして、幸せを手に入れた。
絶望を知っているから、春原はそれがどれだけ大切なものか知っている。小さな掌におさまるような幸せは、他人から見れば、ちっぽけかも知れない。そんなものに、王女という立場を含めて、何もかも捨てたのかと罵られるかも知れない。
(……知ったことか)
春原は迷わない。
邪神という呪われた存在を身に宿し、世界から忌避される運命にあった。忌むべき力は幼少時にはコントロールもできない危険なもので、生きているだけで何もかも傷つける自分は、いつか運命が巡って来た時には、潔く死ぬしかないと思っていた。
――生きろ。
そう云ってくれた人がいた。
そう云ってくれた人と生きていける、ちっぽけな幸せ。
(だから、私は許さない)
美しさと優しさの仮面を刹那だけ脱ぎ捨てて、春原は邪神の瞳を光らせた。
平穏に始まるはずだった学園生活。その早々、入学式の檀上にあらわれた異形の存在。自分達にも匹敵する強大な何か――そんなものが、平穏なこの世界で唐突に、意味もなく出現することがあるだろうか。春原は思う。異物。それは、平穏と静寂を乱すもの。
小さな掌におさまる、ちっぽけな幸せ。
しかし、ちっぽけだから、壊れやすい。
日差しに目を細めた先には待っていてくれる人がいた。春原は満面の笑みを浮かべる。そこに偽りは欠片もない。少なくとも、春原はそんな風に思っている。
手を振った。
相手は、春原にとっての勇者。
もしも、彼を害する者がいるとすれば、世界が許しても、春原だけは許さない。




