『探偵と犯人、あるいは、友情と恋』
オーギュスト・デュパン、シャーロック・ホームズ、エラリー・クイーン、エルキューレ・ポワロ、ミス・マープル、フィリップ・マーロウ、オーガスタス・ヴァン・ドゥーゼン、隅の老人、ドルリー・レーン、ブラウン神父、ヘンリー。
そこらを読み尽くした後、「ああ、そうね」と、黒川は一人、つぶやいた。
そうして、図書館の棚を移動する。
明智小五郎から湯川学まで読み進めて、「そうだった」と、再度、つぶやく。
情報をかき集めるだけならば、もっと簡潔な方法はいくらでもある。しかし、黒川は一冊ずつ、ごく普通に読書を続けてきた。四度目の七月も十日以上を数え、その間、ほとんど他のメンバーと交流を絶つような形で、本の虫となっている。
彼女には本が似合った。
流れるような黒髪と皺ひとつない黒の制服。斜陽の差し込む赤い図書室で、無表情ながら、どこか物憂げにも見える表情で、ページをゆっくり捲る。何も知らない者が見ても、絵になる風景。だけど、彼女の奥底まで知る者が見たならば、感動すら伴う光景だ。
彼女には本が似合う。
かつて、彼女のパートナーはそう云った。
その時、彼女はまるで理解を示さず、本を手に取ることもなかった。
「そうだったわね」
彼女はやはり、独り言のようにつぶやく。
まるで、何かを思い出していく様子で――。
「思い出す、そうね――」
彼女は云いながら、人差し指を、目の前へ向けた。
「ヒントと云うべきかしら。『ノックスの十戒』について、あなたは確かに、何度も口にしていた。そして、あなたは掟破りが好きだった。わかった、思い出した。犯人が探偵であったり、探偵が不在であったり、犯人が存在しなかったり……そんな物語が、今この瞬間に重ねられているならば、結末はおそらく、ふざけたもの」
黒川は、冗談のように……彼女にしては珍しい口調で云う。
「さすがに、中国人は登場しないけれど……」
そうして、彼女は独白する。
一 犯人は、物語の最初から登場していなければならない。
また、読者が疑うことのできない人物が犯人であってはならない。
「犯人は物語の最初から登場しておらず、読者が疑うことのできない人物である」
二 探偵方法に超自然能力を用いてはならない。
「私がカラクリに気づく契機になった事柄は、魔王の力による」
三 犯行現場に秘密の部屋や抜け道があってはならない。
「そもそも、犯行現場という概念の存在しない事件である」
四 未発見の毒薬や科学的説明が難解な機械を用いてはならない。
「私達の力やループ現象が、一般には説明できない」
五 中国人を登場させてはならない。
この場合の中国人とは、根拠のない神秘を行う者のことである。
「中国人は登場しない。しかし、異世界の出身者は多いわ」
六 偶然や第六感によって、事件が解決されてはならない。
「私が気づいたことは、ただの偶然である」
七 犯人が、探偵であってはならない。
ただし、犯人は探偵に変装し、登場人物を騙してもよい。
「犯人は、探偵である」
八 読者に提出していない手がかりで、事件を解決してはならない。
「読者を世界の傍観者と仮定するならば、私はその者に何も提出していない」
九 ワトスン役は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
この場合のワトソン役とは、物語の記述者のことである。
「ワトソン役は、故意に、自分の考えを隠している」
十 双子や一人二役の変装は、あらかじめ読者に知らされなければならない。
「厳密に云って、一人二役とは云い難いけれど、役所は複数であり、知らされていない」
「お見事」
黒川は伏せていた顔を上げる。
机を挟んで対面には、いつの間にか、赤い瞳がいた。
「気づかれないように登場するなんて、趣味が悪いわ」
「俺様は今も昔も、性格が悪い。知っているだろう?」
げらげらと、品のない笑い。
「まあ、それくらいじゃないと、脇役の俺様は目立たないからな」
云いながら、彼は彼女へ手を差し伸べる。
「ひさしぶり」
「ええ、そうね」
二人は握手をして、互いに、大きなため息をついた。
「今回のループをどう思う?」
「趣味が悪いわ」
「同感だ」
二人は手を離す。
「白船君に……いえ、ヒロに代わってもらえる?」
「オッケー。云うまでもないけど、あいつも気づいたぜ」
「あら、そうなの。それなら……」
黒川は云う。
「七月も終わりね」
「……そうだな、黒川。いや、そうじゃないな。ナオ」
「ひさしぶり、ヒロ」
赤く濁っていた瞳が正常な色に戻り、いつもの理性的な白船の顔。
向き合ったまま、しばらく無言。
静寂。その中で、黒川は――。
「やっぽー☆ おひさしぷりだぴょん! 感動の再会、奇跡ってやつですかぁ?」
ダブルピースで、テンションの壁を突き破ったような犬のような声色。
そうして、見つめ合う二人。
「……」
「……」
「……死にたい」
「だろうな」
白船は、慰めるように、黒川の肩に手を当てた。
「念のため、約束だから……」
「本当に、ミズキをぶん殴ってもいいと思うぞ」
「あれは、何度目ぐらいの時だったかしら?」
「さて……」
白船は少し考えるような顔になってから――。
「百回目ぐらいの時だったか?」
確かに、それぐらいの時だった。
それでは。
そろそろ、夏休みへ向かおう。




