ルナの航跡 32
第7章《決戦》(4/6)
西ケルト公爵の別荘では、公爵からルナに王国の宣戦布告が知らされていた。
「予想を越えるものではないと思うが、どうだ、若造?」
「確かに。これ位の内容だと思っていたさ。」
「で、王国の軍は何処に向かう? やはりローマか? それともまずは神聖同盟か?」
「ついさっき、情報が入った。はっきり言おう。奴等はここに来る。」
「何だと?! 同盟を申し込んだ我が国に攻撃すると言うのか! さては貴様、我がケルトの同盟者が実は貴様達であることを漏らしたな!」
「そんなことをして何になるってんだ? 奴等はケルトを焼き払うことで、帝国と神聖同盟に脅しをかけようとしているんだ。」
「脅しをかけるだと? そんなに兵力に余裕があるとは思えん。」
「いや、あるんだ。この前、怪鳥の話をしただろう? それが編隊組んでやって来るそうだ。王国はあんた達を抹殺することで、絶対的な兵力を見せつけるつもりということだ。」
「我々は同盟者だぞ? そんな暴挙が許されるわけがないだろう!」
「王室の連中に聞いてくれ。俺に分かるのはここまでだ。それより、今は事態の打開が優先される。」
「あいかわらずの横柄さ、虫唾が走るわ!」
「お互い様だってことは言っておくぜ。ただ、お互いがお互いを必要としているってことを俺は忘れていないがね。……爆撃隊の目標は宮殿だろう。人々を避難させておくんだな。」
「やっておく。間に合うか……。」
「やらないよりましさ。」
「守って見せろ、このケルトの地と人民を。」
「そのつもりさ。」
言い残してルナはタイガー・ルナの格納庫に急いだ。情報によると、十機の怪鳥 〜リメス・ジンと言うらしい〜 が王国を飛び立ったと言う。後は王宮の親衛隊の首尾を信じるしかあるまい。
「上がるぞ! 着いて来い!」
ルナの一声の元、ルナ隊のタイガー・ルナが離陸して行った。
時を同じくして、ブリタニアを飛び立った親衛隊編隊が、ブリテン王宮に接近していた。親衛隊の隊長は軍情報部の取り込みに成功していたが、その後も積極的に行動を続け、軍内部に相当数のルナのシンパを獲得した。そして、王室が親征を以って大陸侵攻作戦を実施するとの情報から、国王不在の間に王室占拠の作戦を進めていた。ブリタニアからの親衛隊編隊が王宮内の中庭の一つに爆弾を投下するのを合図に、ルナシンパの各部隊が武装蜂起する算段になっているのだ。
ここに至るまで、王室に残った親衛隊の道のりは平坦ではなかった。一つづつ乗り越えて来たのだ。最大の障壁は、親衛隊は常に王と行動を共にする、ということであった。親征なのであれば、親衛隊の編隊もリメス・ジンの編隊に同行しなければならない。もとよりルナの元にその過半数が去った今、王の編隊の護衛に充てられる機数が不足していた。最大限を護衛に付けたとしても中隊一つ程度で、それではリメス・ジン一機の護衛がいいところ。そこで、情報部に協力を要請した。王の編隊に同行する親衛隊は、実は国王座上機に侍る一個中隊だけなのだが、それでは国王座上機を敵に教えるようなもの。何機かのリメス・ジンを親衛隊の中隊に護衛させるべし、と上申させたのだ。影武者は親征の王道である。親衛隊には複数のリメス・ジンを護衛する程の数はない。ところが、一機あたりの攻撃範囲が広いリメス・ジンは、編隊とは言っても各々が目視できる距離にはいない。個々のリメス・ジンは自らの機体に護衛が付いていなくても、影武者に選ばれたのは他の機だったのだろうと思い、同行する親衛隊の数が少ないと気付くことは無いはずである。各々のリメス・ジンは、自分達以外の他の機体に護衛が付いていると思うことだろう。これでこの問題は解決したかに見えたが、ことはそう単純ではない。そもそも人数が少ない親衛隊の隊員、その一部が王の護衛に飛び立ってしまうのだ。武装蜂起を指揮する者が足りなくなってしまった。親衛隊の隊長が下したこの問題への回答は、いたずらに数を頼るのではなく、数は少なくとも意思と団結の強い集団の形成であった。忠誠が不安定な烏合の衆よりも、高い志に支えられた強固な集団による確実な蜂起を選択したのだ。内戦状態に陥らせるつもりは無いわけであり、それを許す状況でもない。ルナが帰還できる環境さえ整えれば良いのだ。隊長の判断は、クーデターという混乱が必至であり且つ各々の局面において個々に判断が求められる行動において、勢力を分断したり細分化する要素は少ない程望ましい、であったのだ。
飛行禁止区域である王宮周辺に向けて、ブリタニアから来た親衛隊の編隊は悠々と飛び続けた。親衛隊の編隊が飛んでいることに誰が異常を察知し得ようか。むしろ、国王不在の親征中にあって、王宮上空から威圧するために編隊飛行しているものと誰もが思った。王宮を預かっていた軍の統帥は、親衛隊の飛行計画を自分が知らないことを不信には思ったが、親衛隊の暴走程度としか考えなかった。国王直轄であるが故に、親衛隊の暴走はよくあることなのだ。統帥が何かおかしいとやっと感付いたのは、編隊から一機が離脱して爆撃コースを取った時であった。その段階で撃墜指令を出した統帥には、類稀な才能があったと言うべきだろう。しかし、時速数百キロメートルで降下し始めた航空機が、腹に抱えた爆弾を手放すまでに要する時間では、統帥の撃墜指令は官僚組織機構のニつ目辺りに届くのがやっとであった。
この前日の深夜に、王宮内では一つの事件が起きていた。市街地と言える地域に存在する施設としては広大な王宮の中で、そのはずれに平和そのものの地区がある。そこでは、国が戦時体制に突入したという雰囲気は殆ど感じられない。王族の子息とその取り巻きが暮らす一画である。この国の教育熱心なことは、二千年の昔から引き継がれた美徳とされており、成人と呼ばれる年齢までは様々な教育が施されるのだ。老師と呼ばれる教育係と王子、そして王子の取り巻きがつい先日まで授業を受けていたのだが、雰囲気は平和であっても、親衛隊による王子捕囚以来はあらゆる教育カリキュラムが停止していた。つまり、リーダーである王子を取り上げられた少年達は、何もすることがなくなってしまったのだ。血気盛んな少年が時間を持て余した時、彼等がリーダーを奪還したいと考えてもそれは無理もない。誰からともなく王子の開放が言い出され、それはとても自然なことのように思われた。彼等は実戦訓練も用兵学も幾らかは学んでおり、その知識を揮いたいという欲望もあったのだろう。そして何よりも、かつてローマの地でブルータスの襲撃からカエサルを守った英雄がいたが、男の功績は今なお語り継がれていることを学んだばかりの彼等が、その栄誉に憧れたということなのだ。戦闘訓練用に用意されていた武器の奪取は、瞬く間に成し遂げられた。管理・監督する立場の老師が、王子の捕囚によって意気消沈してしまっており、事実上は武器庫までもが無警戒に陥っていたのだ。この地区の平穏さがそのことへの危機感を喪失させてもいた。武器を手にした少年達は、本来なら成されるべき綿密な計画や地道な準備よりも、正面突破による華々しい方法を選んだのだが、それは少年たる所以だろう。身を呈することが、救出劇に彩りを添えると信じて疑っていないのだ。武器の調達が難なく成功したことも、彼等の気持ちをより昂ぶらせたに違いない。しかし、闇夜の先に建つ王子が囚われてる建物の前で哨戒しているのは、教育係ではない。親衛隊の隊員なのだ。確かに、ルナ派の武装蜂起の直前であり、親衛隊も充分な哨戒要員を配置できない事情がある。事実、扉の前には一人の隊員が立っているだけであった。それでも、彼はプロである。怪しさや危うさを嗅ぎ付ける嗅覚も、動作の素早さも、そして射撃の腕も、少年達の比ではない。彼は瞬く間に押し寄せる敵の数を把握し、指揮系統を探り出してしまった。家系や年齢と性格から自然に構築された仲間内のヒエラルキーをそのままに、王子の代理としてリーダ役を演じる少年は、中腰に身を屈めて彼等が組織する部隊の中央を進んでいた。親衛隊の隊員としては、闇夜のために迫り来る敵が子供であることは分かりようがない。ただ、その動作から稚拙さだけを読み取っていたのだが、彼にとってそれは、単独で戦わねばならない状況で相手に恵まれた、ということでしかなかったのである。
<続く>