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王家の帰還  作者: chappy
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ルナの航跡 2

《序 章》(2/2)


 ルナが立ち去ったことで、正面の門が閉じられた。ようやく男の入城手続きの再開である。門兵が馬車の客室を確認するために歩み寄って来た。

「失礼致します。他に同乗されている方はおられませんね?」

男は無言且つ無表情で門兵を見据え、問題が無いという意思を表明した。

「失礼致しました。ブリテン王宮へようこそ。」

門兵は丁寧に馬車の扉を閉め、勝手口の門を開けた上で、御者に進行を促す合図を送る。ゆっくりと動き出した馬車は、厚さが二メートルはあろうかという壁に開けられた門を潜って入城した。そこには広大な芝生の空間が広がっており、敷地の内部に向かう石畳の道が何本も延びていた。季節が良ければ芝生は青々と地面を覆って、石畳の道とのコントラストが風情を華やかに彩ったことだろうが、今は薄茶色に染まって、寒々しさを一層引き立てていた。そんな風景の中を、馬車は同じ速度のままで宮殿に向かう道を進んで行った。

「帝国の皇宮程ではないな。」

初めて見る王宮に対する男の感想であった。いや、精一杯の抵抗であった。偶然にもルナという青年に遭った。それは男にとって初めて皇帝に謁見された時をも超える衝撃であった。魅力的で、威厳に満ちていて、なのに距離感を感じさせないその様子は、皇帝すら凌駕する強烈な印象として男の心に刻み込まれたのである。人との関わりに無関心で癇癪を起こすこともあるというルナに関する一部の評判は、全く信じられないか、それさえも魅力としてしまうだろうと思われた。しかしながら、これから引き起こす事象を考えると、ルナに心酔してしまうのは望ましくない。そこで、帝国が王国よりも優っている点を探して、それを心の支柱にしようとしたところ、皇宮が王宮よりも規模において勝っていることを見出し、自らを戒めるために敢えて声にしたのであった。

 元はと言えば、この城の原型がこの地に構築されたのは千年以上も前になる。しかし、帝国の文化・文明圏から言えば辺境中の辺境であるため、城とは言ってもそれは簡素で粗末なものでしかなかった。その当時、既に豪奢で巨大な建築物が帝国の版図を埋め尽くしているかに思われていたが、この地はまるで繁栄を拒絶しているかのように辺境であり続けた。故にひっそりとしてはいたが、戦略上の要衝でもあるため、忘れられるでもないが栄えるでもない、といった微妙な均衡が保たれて来たのである。

 そんなこの地に転機が訪れてから、ちょうど百年が経とうとしていた。帝国の王統が分裂し、一方がこの地に居を構えたのである。双方が自らの正当性を主張するという、二千数百年に及ぶ帝国の歴史の中で幾度となく繰り返された出来事である。ただ、『王家の秘蹟』と呼ばれる皇位を継承する儀式が導入されて以降は、皇族が袂を分けて並列したことはなく、初めての事象という唯一性が分裂状態を長期化さしめていた。

 皇族が住まうには似つかわしくなかった城は、大規模な宮殿を擁する立派なものに増改築され、一個軍団の軍団基地としてのみ機能していた町は、皇族の流入に伴って急激に増加した人口を支える大都市へと変貌した。そして街の人々はいつしか、城の主が統治する国を、その版図の大部分を占める島の名に因んで、『ブリテン王国』と呼ぶようになった。当初、支配階級を形成する城の住人達は、帝国の亜流のようなこの名に抵抗を見せたが、自らこそが正当であることを主張するために、まずは帝国との差異を明確に打ち出す必要に迫られており、止むを得ずこの名称を受け入れたと言う。以来、ブリテンの皇族はブリテン王家を名乗り、現在に至る。

 城に関する記憶を呼び起こしていた男は、馬車が停止したことで一旦思考も停止させた。いよいよ、なのである。脈が高鳴るのを感じた。汗が手を覆い、脇を流れ落ちるのを感じていたが、表情を崩すわけにはいかない。涼しげな顔をして馬車を降りた男は、そこで宰相に迎えられた。

「ご苦労。陛下は既にお休みになられている。」

それだけ言って宰相は歩き始め、男が後を追った。これから一大事を起こす作戦を考えると、極めて平穏である。真夜中過ぎでは、稀に哨戒している憲兵がいる程度で、彼等とて宰相を認めては、略式の敬礼をするだけでその場を立ち去る。他に城内で男を見たのは、門兵と御者しかいない。いずれにせよ、帽子の男、程度にしか記憶されていないだろう。狙い通りである。

 この作戦を説明された時、男は時間帯に疑問を持った。真夜中では余りに怪しくないか、と。宰相が言うには、日中の国王は王室にいて、出入り口には親衛隊が控えている。宰相と言えども、部外者を王室に入室させるに当たって、親衛隊の追求を拒むことはできない。例え少々疑わしくても、親衛隊に出くわさないことが最も重要だと説かれた。そういうものなのだろう、とその時はやり過ごしたが、今は気が気ではない。憲兵とすれ違う度に男の緊張は高まり、目深にかぶった帽子の中から、今にも冷たい汗が流れ落ちそうであった。

 また男は、ルナに遭遇したことを宰相に告げるべきかどうか、迷っていた。結局それが告げられることは無かったのだが、あるいはそれが男のルナに対する心情を物語っていたのかもしれない。

 そんなことを気にする様子も無く、宰相は黙々と歩き続ける。男も後を追う。そんな無言の数分が過ぎた後、宰相の私室に到着した。ここで一度だけ振り向いた宰相が、顎を振って男に入室を促した。

 宰相の私室には、王の私室と繋がっている専用の扉がある。緊急時に王と宰相の連携が保たれるための設備である。その扉を使うことが、親衛隊に会わずに王と男を接見させる唯一の方法なのだ。この扉の存在を知った時、男は安堵の溜息を漏らしたものだ。ところがどんな設備にも、それが元来持つ能力とその運用は必ずしも一致しない、という宿命がある。この扉は『緊急時に運用される』設備なのであって平時には閉ざされている、という不文律があった。つまり、宰相が扉を開くということは、それだけで王に非常事態の発生を告げるに等しい行為であり、王を警戒させてしまうだろうという危惧があった。親衛隊を避けるという意味以外にも、深夜を選んだのには訳があったのである。王が眠りに落ちてから、こっそりと忍び込もうというのである。最後の詰めの部分が、何とも稚拙な作戦と言わざるを得ない。それがこの宰相の陰謀謀略における限界なのだろう。元々は人がいいということなのかもしれない。


 人の気配に王は目を覚ました。王家の人間たるもの、人の気配をよむにはもとより長けており、それが殺気を伴ったものであれば尚更である。あの扉が開いたからには、この殺気を持って侵入して来た者は宰相か、あるいは宰相が手引きした何者かである。瞬時にそこまで見通した王は、同時に既に何をしても手遅れであることをも悟った。寝台に横たわったままの王に近付いた宰相は、王が目を開いていることに驚いたようである。

「未だお休みではなかったのですか、陛下。」

宰相の顔を見上げ、ゆっくりと上体を起こした王は何も語らない。

「日中の激務をお考えください。夜はゆっくりとお休みくださいませんと…。」

絡んだ痰を切る王の咳払いが宰相の言葉をそこで遮り、静かに話し始めた。

「そうも言っておられん。奇妙な時間に奇妙な所から、奇妙なヤカラが舞い込んで来ることもあるのでな。」

不敵に笑みを湛える王の視線は、宰相の後ろに控える男を捕らえている。宰相も男も、あからさまな嫌味を言う王に対し、小細工することをやめ、目配せでその意思を確認した。ところが、切先を制したのはまたも王であった。

「秘蹟を放棄したのが、そんなに気に入らないのか?」

見当違いである。確かに、『王家の秘蹟』によって皇族の末裔だけが持ち得る力、それを放棄した王の真意は量れない。しかし、宰相がここを訪れた理由は他にあった。

「陛下、恐れながら議論は致しません。」

緊張はしていても、確固たる意思を湛えた瞳が王を見据えた。そして宰相の後ろの男が、目深に被った帽子をゆっくりと取った。王は、男の素顔を見て初めて絶句した。

「お前は…。」

男の顔は王と瓜二つ、いや、王そのものであった。

「影武者、という訳ではございません。お分かりですね?」

宰相がこれまで如何に周到に準備を進めて来たのか、それを男の風貌が物語っていた。あらゆる抵抗は意味を成さないに違いない。

「もしも影武者であったのなら、完全にその役目を果たせたであろうに・・・。」

王が宰相に掛けた最後の言葉であった。そして宰相は、そのまま王を連れてその場を去った。そして王の寝室には、宰相が連れ込んだ男だけが残っていた。


 この時には、『王家の秘蹟』の玉石がその活動を停止していたが、それに宰相が気付いたのはこれより一年近く先のことであった。


<続く>


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