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王家の帰還  作者: chappy
19/35

ルナの航跡 19

第4章《錯綜》(3/4)

     ◆

 ドーバー海峡を見渡す臨海地域から豊かな内陸地域まで、ケルトの地は本来、穏やかで平和な土地柄である。人々が豊かな生活を謳歌する土壌があるのだ。ところが皮肉なことに、この地域の高い農業生産性と工業技術力、そして洗練された文化レベルが、ケルトを様々な権力者による争奪の舞台にさせて来たという歴史がある。近くは、ドーバー戦役の時にブリテン王国軍が臨海地域を攻撃し、その前には、神聖同盟の地上軍が内陸地帯を蹂躙した。急速に復旧して来てはいるが、どちらの傷跡も未だ残っている。ケルトの地に住む人々にとって、帝国も神聖同盟も王国も、侵略者という意味で同じなのであった。かつて王国がブリテン島に建った時は、王国に与して帝国と戦った。その時、大量の兵員とその犠牲、そして戦場を提供することになったこの地は、結果として王国への帰属を勝ち得たが、引き換えに重税を課された。その不満が積もり積もって、帝国の先鋒として神聖同盟が侵攻してきた時には、そちらに加担した。それは治安の悪化から来る社会情勢の不安定化と、更には経済の低迷をもたらした。その傷跡も癒えぬ間に、ドーバー戦役では臨海施設が破壊された。そんな窮地に立ったこの地の救援には、誰も手を上げない始末。この地域の人々は、カエサルがガリアを攻略して以来、概ね従順であったが、ここに来て独自の為政者を求める機運が強まっていた。いや、周辺の国々に強められた、と言うべきか。何らかのきっかけさえあれば、飽和状態の機運は雪崩のように自主独立に向けて動き出すだろう。失敗したとは言え、北方の半島に配備された王国の軍隊がケルトに向けて進軍しようとしたということを、人々は既に伝え聞いていた。ケルトを取り巻く国々は、再びこの地を戦場にしようとしているのだ。ケルトの人々にとって、これ以上のきっかけがあるだろうか。後は誰かが引金を引きさえすればよかったのである。そして、その引金は決して重いものではなかった。

 一人の労働者が失業し、その原因が神聖同盟にあると逆恨みした飲み屋での愚痴が、街でよく見かける労働者階級の喧嘩を引き起こした。神聖同盟の放置状態を責める者、王国の失政が現状を生み出したと主張する者。普段であれば、酔っ払い同士の小競り合いで済むところだったが、この喧嘩は両者の言い分を支持する派閥を形成してしまい、噂話という尾ひれを付けながら急速に広まって行った。そしてそれは、ある時から暴動という形を伴いはじめ、あっという間にケルト全土を騒乱の中に陥れることになったのだ。

 最初に暴動の標的にされたのは、現時点で実質的に西ケルト公国を支配していた神聖同盟の現地総督である。総督は沈静化に向けた有効な対策を何ら取られないまま、施設とともに葬られた。そして、その生首を掲げた暴徒達が行き着いた先は、形だけの元首として存在していた西ケルト公爵の宮殿であった。元々は大人しく事なかれ主義に徹する男と噂されている西ケルト公爵は、民衆からケルト民族の『王』として担ぎ出され、独立運動の先鋒として祭り上げられてしまった。彼はそれに抵抗しなかったと言うが、状況が抵抗を許さなかったのか、それとも彼なりの決意があったのか。

 ここまでがたった一晩の内に起こった。当然のように神聖同盟の軍隊が進軍して来るだろう。帝国軍も動くかもしれない。独自の軍だけでは到底適うはずもなく、西ケルト公爵はブリテン王国への共闘を求めた。対して、神聖同盟は王国との戦争以外に割ける戦力が限られており、帝国も直接手を下さないという方針から脱却しようとしない。王国とて戦力に余裕が無いのは神聖同盟と変わらず、増してや王と宰相が対立して国の運営が滞っている状況では、具体的な支援は望むべくもない。表面的には、独立運動を成就させるための格好の条件が揃っているかのように見え、このまま西ケルト公国が主権を獲得する可能性はあった。しかし、この独立運動は如何に状況が後押ししていたとは言っても性急に過ぎた。ケルト内部の急進派と穏健派や、他の勢力との調整は何ら成されていなかったのだ。急進派の勢いに任せた運動は、その始まりから内部分裂の芽をもっており、それらはただちに発芽した。これらの必然的結果として、神聖同盟と帝国と王国の各陣営の斥候やスパイが、ケルト側の様々な派閥や勢力を買収したり、あるいは扇動することによって、結局はケルト民族同士が争うという構図が出来上がってしまった。何か一つ、例えば西ケルト公爵が『王』としての資質を持っていた、または、住民自体が支配されることに慣れきっておらず、自らの運命を自らが作り出すという習慣を身に付けていた、といった要素があれば、これからの悲劇は避けられたのかもしれない。しかし、現実は違った。歴史というのは、概ね悲劇の方向に進もうとする推進力を持っているのだろうか。あるいはそれが人のさがか。

 ケルトの地を舞台に繰り広げられた血で血を洗う争いは、それぞれ異なった思惑が錯綜した結果、こうして始まったのである。

     ◆

 最初に音を上げたのは宰相だった。

「貴様の考えを聞こうか。」

宰相の打算的な目が輝き出していた。

「このままでは、この国は統治者を失って消滅してしまう。」

呆れ顔を隠さずに王が応える。

「認識の甘いことよ。既に崩壊していると言ってもいい状況だ。」

「それなら尚更のこと、ただちに回復させねばならん。」

「まず、憲兵を引かせろ。話はそれからだ。」

「親衛隊が先だ。立場を考えるのだな。貴様は我々の駒なのだから。」

それには思わず王から笑いが漏れた。

「駒でしかないだと? 貴公とて皇帝の野望の駒であることに変わりはあるまい?」

「目的を達成するためには実際に動く駒が必要で、誰もが何らかの駒なのだ。ただ、役割が違うというだけだ。」

「それでは、貴公には余の駒という役割を担う覚悟もあると言うのだな?」

「考えを聞くと言っている。まずは親衛隊を引け。」

「いや、憲兵が先だ。それとも、全員死んで一端白紙に戻すか。」

「強情な……。良かろう、憲兵を引く。親衛隊に手を出させるな。」

宰相はゆっくりと慎重に王室の扉を開いた。

「憲兵! 退却だ。下がって次の指示を待て。」

憲兵と親衛隊ともに目に安堵の色を浮かべ、憲兵だけが銃を降ろした。そして憲兵は、流れ出た汗の匂いを残して、親衛隊の銃口に見送られながらその場から立ち去った。

宰相が王に視線を投げ、今度は親衛隊の番だ、と促した。

「甘いな、貴公は。」

王の台詞に宰相の顔が凍り付いた。

「貴様! 謀ったか!」

言葉の強さとは裏腹に、宰相の体は無様に震えている。

「勘違いするな。そういうことではない。貴公をここで殺しても何にもならん。」

「どういうつもりだ、貴様。」

「ちょっと待て。親衛隊にも聞こえている。王への礼節は踏まえてもらわねばならん。貴公を生かしておくためにもな。」

当惑しながらも、宰相は懸命に考えていた。これはどういうことか。この王には宰相である自分が必要ということらしい。しかし、親衛隊を引かないのは何故か。王が自らの意見を通すための脅しか。それとも……。王が宰相の思案を遮って言葉を発した。

「親衛隊、扉を閉めろ。影に隠れてそのまま待機しろ。」

瞬時に親衛隊の隊長が反応して扉を締めたの見届け、宰相の疑問に王が答えを言った。

「軍だ。我が軍には自らの判断で為政者を質す権限がある。」

王国の軍には、古代から為政者に対してモノを言って来たという自負がある。国があらぬ方向に行こうとした時、それを質せるのは軍部だけなのだ。軍が王室の制圧に動いてしまったら、親衛隊と言えども守り切ることはできない。よって、親衛隊は軍の統帥が単独で王室にやって来た時に、彼に圧力をかける手段として残らせているのだ。それには、軍の統帥が王や宰相を仲間と思って油断している今を置いて無い。宰相が不在となれば統帥が警戒しないとも限らないので、王は宰相を排除できないのだ。ようやく宰相もそこまで全てを見通したようで、自分の存在意義を主張した。

「幸い軍の統帥は文官上がりで、私がコントロールできる。親衛隊を使わずともクーデターを起こさせはしない。信じてもらって結構だ。」

「礼節を踏まえろと言ったろう?」

血が滲む程に唇を噛み締めてから宰相が謝罪した。

「は。軍を押さえたとして、それからどうなされます?」

「リメス・ジンだが、あれは実際のところどうなのだ?」

「最終兵器です。地上を焼き尽くすことができます。ブリタニアに出撃した機体と待機中のものを含め、十機以上が作戦稼動可能です。これだけで、神聖同盟の支配地域を焼け野原にすることができるでしょう。」

「それは凄まじいな。」

「更なる増備も進めております。また、ルナ隊にいた凄腕の整備士を招聘することも、軍の方で進めているはずで、リメス・ジンの次のロットはもっと強力になるはずです。」

「分かった。では、ここに軍の統帥を呼んでくれ。作戦を詰める。」

「いったいどのような……」

「根源を付くのだよ。」

「まさか、皇帝陛下を?」

宰相は、王から大胆な発想を聞くことになりそうだと思い、年甲斐もなく興奮するのを覚えた。その興奮故に、王が皇帝や自分達の思惑に反して今まで何をして来たのか、その行ないに落ち度は無かったのか、といったことを確認する必要性を失念させた。時の流れは連続しており、今までの経緯を無視して次のことは考えられないものなのだが。いや、自分の想定よりも優秀であった王を演じる男が、皇帝の策略よりも自分を大きな駒に仕立ててくれるかもしれないという期待が、宰相を盲目にさせていたのかもしれない。いずれにせよ、打算的で欲に目が眩んでしまった男の感覚とはその程度のものでしかないのであった。


<続く>

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