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モラハラが原因で死んだ私は、転生してもモラハラ夫に嫁いでいた。最強回復魔法で私が幸せになるまで!

作者: ちあき
掲載日:2026/11/03



『第一章 もう、誰かの顔色をうかがわなくていい』




「お前は本当に気が利かない女だな」

夫の声が、食卓に響いた。



私は冷めた味噌汁を前に、ただ黙ってうつむいていた。


「何度言えば分かるだ?俺が帰ってくる時間くらい考えて料理作れよ」


「ごめんなさい…」


「謝れば済むと思ってんのか?」


夫の眉間に深いしわが刻まれる。

結婚してから、何度この言葉を聞いただろう。



最初は優しかった。

けれど、いつからか夫は私の何もかもを否定するようになった。


仕事で疲れているから。

家事が完璧ではないから。

返事の仕方が気に入らないから。

笑顔が足りないから。


理由なんて、いくらでも作られた。




私は看護師として働いていた。


人の命を預かる仕事は大変だったけれど、誰かの役に立てることが嬉しかった。


しかし、結婚してからは自分のことを後回しにするようになった。


夫の機嫌を損ねないように。

夫に怒られないように。

夫に嫌われないように。


気づけば、自分が何を好きだったのかさえ思い出せなくなっていた。


「聞いてんのか?」


「……はい」


「返事くらいまともにしろよ!」


バンッ!

夫がテーブルを叩いた。



その音に、私は肩を震わせる。

胸の奥が痛い。



昔から抱えていた持病も、ここ数年で悪化していた。

病院には通っていたけれど、夫は私の体調を気遣うことなどなかった。


「はぁ、また病院か?金かかるんだよ。少しくらい我慢できないのか?」



そんな言葉を何度も聞かされた。

だから、私は我慢した。


我慢して、我慢して、我慢して。



その結果、私はある夜、倒れた。

救急車のサイレンが遠くに聞こえた。

視界がぼやける。


誰かが私の名前を呼んでいる気がした。

けれど、もう返事をする力も残っていなかった。




あぁ、疲れたな。




最後にそう思った。

もっと自分を大切にすればよかった。

誰かに嫌われることを、あんなに恐れなくてもよかった。



次に目を覚ましたら、今度こそ自分のために生きたい。


そう願った。




そして、私は目を閉じた。






〜〜〜〜〜




「ヘレン様!お目覚めになりましたか!」


目を開けると、見知らぬ女性が私の顔を覗き込んでいた。


天蓋付きの大きなベッド。

豪華な調度品。

見たこともない装飾の施された天井。


ここは……どこ?


「ヘレン様?」


「……あなたは?」


「何をおっしゃるのですか。侍女のマリアでございます」


侍女?

私はゆっくりと上半身を起こした。


その瞬間、頭の中に大量の記憶が流れ込んできた。


「うっ……」



ヘレン・アシュフォード。

それが、この体の名前だった。


セントハート王国の小さな男爵家に生まれ、珍しい固有スキルである回復魔法を持っていた。


その力を公爵家に見込まれ、公爵家三男のジークハルトに嫁いだ。


つまり私は、異世界に転生したらしい。

しかも、貴族の令嬢として。




「……夢じゃないのね」


思わずつぶやいた。

前世の私は、金田美優という名前だった。


看護師として働き、結婚し、夫のモラハラに苦しみ、病気を悪化させて亡くなった。


そして今、ヘレンとして生きている。


これが本当に第二の人生なら、今度こそ幸せになりたい。


そう思った。




バタンッ!



しかし、その願いはすぐに打ち砕かれることになる。


「おい、いつまで寝ているつもりだ」


部屋の扉が乱暴に開かれた。

入ってきたのは、金髪碧眼の美しい男性だった。


ジークハルト・フォン・アシュフォード。


この体の夫である。

整った顔立ちに、仕立ての良い服。

誰が見ても貴族の青年だと思うだろう。

けれど、彼の目は冷たかった。



「俺が帰ってきたんだ。出迎えくらいできないのか?」


「申し訳ありません。少し体調が……」


「言い訳をするな」

ジークハルトは私の腕をつかんだ。

強い力だった。



「お前は回復魔法しか取り柄がないんだ。俺の妻になれたことをありがたく思え」


「……はい」


「返事が小さい!」

頬に痛みが走った。


何が起きたのか理解するまで、数秒かかった。

私は殴られたのだ。


「夫に逆らうな。お前の実家がどれだけ弱小か、忘れたわけではないだろう?」


私は頬を押さえたまま、彼を見つめた。

前世の夫も、私を否定した。


けれど、目の前の男はそれ以上だった。

暴言だけではない。

平然と手を上げる。




この世界に来ても、私はまた同じ目に遭うの?

胸の奥が冷たくなった。


「分かったか?」


「……はい」

私はうなずくしかなかった。



今の私には、逃げる場所も頼れる人もいない。

実家は弱小貴族。

夫は公爵家の三男。


しかも、私の回復魔法を目当てに結婚したのだから、簡単に離縁できるはずもなかった。


第二の人生は、前世よりも残酷なものになるのかもしれない。

そう思った。





〜〜〜〜〜




『第二章 看護師の記憶と回復魔法』




ジークハルトとの結婚生活は、想像していた以上にひどかった。

彼は些細なことで怒り、私を罵倒した。


食事が気に入らなければ皿を床に落とす。


服装が気に入らなければ侍女の前で怒鳴る。


私が口答えをすれば、腕をつかみ、時には頬を叩いた。

それでも、外では別人のように振る舞っていた。




「私の妻は体が弱くてね。いつも心配しているんだ」

来客の前では、優しい夫を演じる。

私は隣で微笑むことを強いられた。

本当のことを話せば、実家に迷惑がかかる。



そう思うと、何も言えなかった。


そんなある日、私は自分の回復魔法について詳しく知る機会を得た。


「ヘレン様の回復魔法は、一般的なものとは少し違います」



魔法の教師が説明してくれた。


「固有スキルの回復魔法は、術者の想像力に大きく左右されます。どのように治すのか、どの程度まで回復させるのか。それを具体的に思い描くほど、魔法の効果は高まるのです」


「そうなのですね……」


想像力。


その言葉を聞いた瞬間、私は前世のことを思い出した。


看護師として働いていた頃、私は人の体について学んできた。


骨、筋肉、血管、神経、臓器。


傷ができれば、どこが損傷し、どうすれば回復するのかを考えていた。


「試しに、こちらの傷を治していただけますか?」


教師が差し出したのは、小さな切り傷のある腕だった。


私は傷口を見つめる。


皮膚の表面が裂け、少しだけ血がにじんでいる。


傷ついた組織が修復されていく様子を、頭の中で具体的に思い描いた。


「治って……!」


手のひらから淡い光があふれた。


光が傷口を包み込む。


次の瞬間、傷は跡形もなく消えていた。


「なっ……!」


教師が目を見開いた。


「これは……驚くべき回復速度です!」


その後、教師は何度も私に治療を試させた。


切り傷だけではない。


骨折を想定した模型。

火傷の治療。

筋肉の損傷。


私は看護師だった頃の知識を思い出しながら、体が元の状態に戻る様子を想像した。


すると、回復魔法の効果は目に見えて高まった。


「ヘレン様。あなたの魔法は、王宮の治療師にも匹敵するかもしれません」


その言葉を聞いて、私は少しだけ希望を持った。

私には、この世界で生きていくための力がある。


そして、その力が誰かの役に立つのなら、今度こそ自分の意思で使いたい。


そんなことを考えていた頃、思いがけない知らせが届いた。




公爵家の長男、レオンハルト様が戦場で負傷し、領地へ戻ってくるという。




彼はジークハルトの兄であり、公爵家の次期当主だった。


「ヘレン。兄上の治療を命じる」

ジークハルトが私に告げた。


「分かりました」


「失敗するなよ。兄上に何かあれば、お前の責任だからな」

そう言い残し、彼は部屋を出ていった。



私は深く息を吸った。

誰かを治療する。

それは、私が前世でずっと続けてきた仕事だった。


怖くない。

大丈夫。


そう自分に言い聞かせ、私はレオンハルトのもとへ向かった。



〜〜〜〜〜



レオンハルト様は、ベッドに横たわっていた。


左肩から胸にかけて深い傷があり、包帯には赤黒い血がにじんでいる。

顔色も悪い。


「これが、ジークハルトの妻か」


彼は苦しそうに笑った。


「無理をしなくていい。治療師たちも手を尽くしている」


「いいえ。私に診せてください」


私は傷の状態を確認した。


深い裂傷。

出血。

周辺組織の損傷。


このままでは感染症の危険もある。


私は傷の内部まで意識を向けた。


血管が修復され、傷ついた筋肉がつながり、皮膚が元の状態に戻る。


一つずつ、丁寧に。


「どうか、少しだけ動かないでください」


私は両手を傷口にかざした。


「回復魔法!」


柔らかな光が部屋を満たした。

光は傷口の奥へと入り込み、損傷した組織を包んでいく。

時間が経つにつれ、レオンハルト様の顔色が戻っていった。

やがて、傷口は完全に塞がった。


「……これは」


レオンハルト様が上半身を起こした。


「痛みがない。まさか、本当に治ったのか?」


「はい。ですが、しばらくは安静にしてください。体力も落ちているはずですから」


「君は……一体何者なんだ?」


「ただの看護師、ではありませんね」


思わず口にしてから、私は小さく笑った。


「人を治療することが好きなだけです」


レオンハルト様は、しばらく私を見つめていた。



「ありがとう。君には感謝してもしきれない」

その言葉を聞いたとき、胸の奥が温かくなった。


ありがとう。


前世では、私がどれだけ頑張っても、夫からそんな言葉をもらうことはなかった。


誰かに感謝されることが、こんなにも嬉しいなんて。

私は久しぶりに、心から笑った。




〜〜〜〜〜




『第三章 王子様の目に留まった私』




レオンハルト様の傷を完全に治したという話は、あっという間に広まった。


公爵家の長男を救った回復魔法の使い手。

その噂は貴族社会を駆け巡り、ついには王宮にも届いた。




そして数週間後。



私はジークハルトに連れられ、王宮で開かれる夜会に出席することになった。


「余計なことを話すなよ」

馬車の中で、ジークハルトが念を押した。


「はい」


「お前は俺の妻だ。俺の顔に泥を塗るような真似をすれば、分かっているな?」


「……分かっています」


「なら、笑え。今日は公爵家の人間として振る舞え」



私は言われたとおりに微笑んだ。

夜会の会場は、きらびやかな光に包まれていた。


豪華なドレスをまとった貴族の令嬢たち。

華やかな礼服を着た紳士たち。

大理石の床に反射するシャンデリアの光。


その中で、私はジークハルトの隣に立っていた。


「ジークハルト殿。ご夫人を紹介していただけますかな?」

年配の貴族が声をかけてきた。


「もちろんです。こちらは私の妻、ヘレンです」


ジークハルトは私の腰に手を回した。


「彼女は少し恥ずかしがり屋でしてね。ですが、私にはもったいないほど素晴らしい女性ですよ」

私は思わず彼の顔を見た。



家では一度も聞いたことのない言葉だった。


「いつも彼女のことを大切に思っています。私の人生に欠かせない存在ですから」

その笑顔は完璧だった。



周囲の貴族たちが感心したようにうなずく。


私は何も言えなかった。


そのときだった。


「あなたがヘレン嬢ですか?」


声をかけてきたのは、銀色に近い金髪の青年だった。

整った顔立ちに、澄んだ青い瞳。

身にまとっている服には王家の紋章があった。


「私はアレックス。セントハート王国の第三王子です」


「王子殿下……!」


私は慌てて頭を下げた。


「そんなに緊張しないでください。あなたの回復魔法の噂は、王宮にも届いています。お兄様の傷を治したそうですね」


「はい。レオンハルト様の治療をさせていただきました」


「素晴らしいことです。お兄様もあなたにさぞ感謝していることでしょう」


アレックス殿下は優しく微笑んだ。


その笑顔に、私は少し驚いた。


この世界に来てから、男性に優しく声をかけられたことなどほとんどなかったからだ。


「お会いできて嬉しいです」


「私もです」


そう答えると、アレックス殿下の頬がわずかに赤くなった。





〜〜〜〜〜





《アレックス視点》


私は、その女性を見た瞬間に目を奪われた。


ヘレン・アシュフォード。


公爵家三男の妻であり、我が友人であるレオンハルトの命を救った回復魔法の使い手。



事前に聞いていた情報はそれだけだった。

だが、実際に会った彼女は、噂以上に美しかった。

派手な装飾に頼らない、落ち着いた雰囲気。



そして、私の言葉に向けられた微笑み。

その笑顔を見た瞬間、胸が高鳴った。




一目惚れ。




おそらく、そういうものなのだろう。

しかし、彼女は既婚者だ。

しかも、相手は公爵家の人間。


私の立場であっても、人の妻を奪うことなどできない。


「アレックス殿下、妻がお気に召しましたか?」


隣からジークハルトが声をかけてきた。


「ええ。素晴らしい回復魔法をお持ちだと聞いています」


「いやいや、彼女は私の妻ですから。家ではいつも私を支えてくれているのですよ」


ジークハルトは笑顔でそう言った。

その手は、ヘレンの腰を強く抱いている。




彼女の表情が、ほんの一瞬だけこわばった。



私はそれを見逃さなかった。

何かがおかしい。


そう感じた。




〜〜〜〜〜




「ヘレン、少し疲れたか?」

ジークハルトが、周囲に聞こえる声で尋ねた。


「いいえ、大丈夫です」


「無理はしなくていい。君の体が心配だ」


彼は優しく私の手を握った。

その光景を見ていた貴族たちが、微笑ましそうに笑う。



けれど、私は知っている。

その手が、家では私を殴る手だということを。



アレックス殿下も、何かを感じ取ったように私を見ていた。

その視線に気づいた瞬間、私はうまく笑えなくなった。



「ヘレン」

ジークハルトの声が低くなる。


「少し来い」

彼は私の手首をつかんだ。


「でも……」


「いいから来い」



私は逆らえなかった。

彼は私を会場の外へ連れ出した。

人目のない廊下を進み、人気のない控室へ入る。



バタンッ!



扉が閉まった瞬間、ジークハルトの表情が変わった。


「お前、何をしている?」


「何もしていません」


「何もしていない? 王子に色目を使っていただろう」


「そんなことは……」


「俺の顔を潰す気か!」


頬に衝撃が走った。

私は床に倒れ込んだ。


「お前が笑うからだ。あの王子に気に入られたつもりか?」


「違います……!」


「黙れ!」

ジークハルトは私の腕を踏みつけた。

痛みで息が詰まる。


「お前は俺の所有物だ。誰に笑いかけるかも、俺が決める」


「やめて……」


「お前の回復魔法がなければ、誰もお前なんか相手にしないんだよ!」



その言葉に、胸が締めつけられた。

前世でも、何度も同じような言葉を聞いた。



お前には価値がない。

お前は一人では生きていけない。

お前を必要とする人間などいない。


そんな言葉を、何度も。


もう嫌だった。


もう、誰かの顔色をうかがって生きたくない。


けれど、声が出ない。


そのときだった。


「何をしている!」


聞き覚えのある声が響いた。


振り返ると、扉の前にアレックス殿下が立っていた。

彼の表情は、怒りに満ちていた。



「王子殿下……これは誤解です!」



ジークハルトは慌てて私から離れた。


「妻が少し体調を崩したもので、介抱していたのです」


「介抱?」


アレックス殿下は私を見た。

床に倒れ、頬を押さえている私。

腕には赤く残った靴跡。


どう見ても、介抱などではなかった。


「ヘレン嬢。立てますか?」


彼は私のそばに膝をついた。

その声は、とても優しかった。

私は震える手を伸ばした。


「……殿下」


「大丈夫です。私がいます」


その言葉を聞いた瞬間、涙があふれた。



〜〜〜〜〜




『第四章 王家の決断』



《アレックス視点》


私は、目の前の光景を見て怒りを覚えた。

ヘレン嬢の頬は赤く腫れ、腕には踏みつけられた跡があった。

これが夫婦の問題だと言うのか。


「ジークハルト殿。説明していただこう」


「ですから、妻が少し……」


「もういい」

私は彼の言葉を遮った。


「王族の前で、よくもそのような嘘がつけるものだ」


ジークハルトの顔から笑みが消えた。


私は近衛騎士を呼び、ヘレン嬢を医務室へ運ぶよう命じた。


「待ってください! 彼女は私の妻です!」


「だから何だ?」


「公爵家の問題に王家が口を出すのですか!」


「王家に仕える者が、王族の目の前で女性に暴力を振るった。これは公爵家だけの問題ではない」


ジークハルトは何も言えなくなった。


私はヘレン嬢を見送ったあと、すぐに父上のもとへ向かった。



〜〜〜〜〜



「回復魔法の使い手を保護したい、ということか?」


王宮の執務室。


父である国王陛下は、私の話を聞いていた。


「はい。ヘレン嬢の回復魔法は、レオンハルトの重傷を完全に治しました。通常の治療師では不可能なほどの回復力です」


「それは聞いている」


「戦場で負傷した兵士を救える可能性があります。魔法の研究という面でも、王国にとって大きな価値があるはずです」


「だからといって、他家の妻を簡単に取り上げるわけにはいかぬ」


「承知しています」


私はうなずいた。


「ですが、彼女は夫から暴力を受けています。本人の意思を確認し、必要であれば離縁と保護を認めるべきです」


父上はしばらく黙っていた。


「お前は、その女性を助けたいのだな」


「はい」


「王国のためだけではないな?」


私は答えに詰まった。


父上は小さく息を吐いた。


「お前の顔を見れば分かる。だが、私情で王家の権力を振りかざすことは許さん」


「分かっています」


「公爵家には、王宮から正式に調査を入れる。ヘレン嬢本人の意思を最優先とする。回復魔法についても、本人が望まぬ限り無理に研究へ協力させてはならぬ」


「ありがとうございます」


「ただし、もし虐待が事実ならば、相応の処分を下す」


私は深く頭を下げた。


彼女が自分の意思で生きられるように。


今は、それだけを願っていた。




〜〜〜〜〜




医務室で目を覚ました私は、天井を見つめていた。

頬と腕には痛みが残っている。


けれど、医師による治療を受け、ひどい傷は残らずに済んだ。


「お目覚めですか?」


そばにいたのは、王宮の治療師だった。


「ここは……」


「王宮の医務室です。アレックス殿下が、あなたを保護するよう命じられました」


「殿下は?」


「国王陛下のもとへ向かわれました」


私は目を閉じた。

助けてもらった。

あの場で、誰かが私を助けてくれた。


それだけで、胸がいっぱいになった。


しばらくすると、扉が開いた。


「ヘレン嬢。具合はいかがですか?」


アレックス殿下だった。


私は起き上がろうとしたが、彼は手で制した。


「無理をしないでください」





「ありがとうございます。助けてくださって……」



「当然のことをしたまでです」


彼はベッドのそばに椅子を置き、腰を下ろした。


「国王陛下には事情を説明しました。公爵家には調査が入ります。あなたが望むなら、ジークハルト殿との婚姻を解消するために王家が支援します」





「本当に……離縁できるのですか?」






「あなたが望むなら」


私は彼の顔を見つめた。




「実家に迷惑はかかりませんか?」




「王家が責任を持ちます。あなたの実家にも、圧力がかからないよう手を打ちます」


その言葉を聞いて、私はようやく理解した。

逃げてもいいのだ。

我慢しなくてもいい。


誰かに傷つけられることを、当たり前だと思わなくてもいい。




「私……離縁したいです」

声が震えた。



「もう、あの人の妻でいたくありませんっ!」





アレックス殿下は、真剣な表情でうなずいた。


「分かりました。あなたの意思を尊重します」




私は涙をこぼした。




「ありがとうございます……」



「礼を言う必要はありません」


彼は少し困ったように笑った。


「あなたが笑って過ごせるようになること。それが一番です」


その言葉は、私の心に深く染み込んだ。



〜〜〜〜〜




『第五章 私の人生は、私のもの』




王宮による調査は、想像以上に早く進んだ。

レオンハルト様が証言してくださったことも大きかった。


「弟の妻に対する態度は、以前から気になっていた」



彼はそう話してくれた。


「私の治療を受けたとき、ヘレンは非常に優秀だった。だが、その力を持つ彼女が、なぜあのように怯えているのか不思議だった」



さらに、屋敷で働く侍女たちも証言してくれた。

ジークハルトが私に暴言を吐いていたこと。


私が怪我をして戻ってきたこと。

部屋から泣き声が聞こえたこと。

それらが積み重なり、王家は公爵家に正式な説明を求めた。



公爵家当主である義父は、最初こそ息子をかばったらしい。


しかし、王家からの調査と証言を前に、ついにジークハルトをかばいきれなくなった。


やがて、婚姻の解消が認められた。


ジークハルトには公爵家の後継者としての資格を停止する処分が下された。


さらに、私への暴力についても正式な責任を問われることになった。


彼は最後まで自分の非を認めなかったという。



「俺は何も悪くない!」


「妻が勝手に王子を誘惑したんだ!」


「回復魔法を持っているからといって、調子に乗りやがって!」


そんな言葉を叫んでいたらしい。

私はもう、彼の言葉を聞く必要はなかった。




〜〜〜〜〜



離縁が成立してから数日後、私は王宮の庭園を訪れた。


色とりどりの花が咲き、穏やかな風が吹いている。


この世界に来てから、こんなにゆっくりと景色を眺めたのは初めてだった。


「ヘレン嬢」


振り返ると、アレックス殿下が立っていた。


「殿下」


「少し散歩をご一緒しても?」


「もちろんです」


私たちは並んで庭園を歩き始めた。


「公爵家との件は、これで一段落しました。あなたの実家にも正式に説明を行っています」


「ありがとうございます。両親も安心すると思います」


「これからはどうするつもりですか?」


「そうですね……」


私は考えた。

もう、誰かの妻として生きる必要はない。

誰かに命じられて魔法を使う必要もない。


「回復魔法を使って、人を助ける仕事がしたいです」


「治療師になるのですか?」


「はい。できれば、身分に関係なく治療を受けられる場所を作りたいと思っています」


前世で看護師だった私は、知っていた。

病気や怪我をしたとき、人は誰でも不安になる。



お金がある人も、ない人も。

貴族も、平民も。



誰かに助けてもらいたいと思う気持ちは同じだ。


「素晴らしい考えですね」

アレックス殿下は微笑んだ。

 


「王宮としても、あなたの活動を支援したい」



「本当ですか?」


「もちろんです。ただし、無理はしないでください。あなた自身の幸せも大切ですから」




私は思わず笑った。

「殿下は、いつも私のことを気遣ってくださいますね」



「当然です」




「どうして、そこまでしてくださるのですか?」




その質問に、彼は足を止めた。

少しだけ迷ったように視線をそらし、それから私を見つめた。






「あなたに、惹かれているからです」


心臓が大きく跳ねた。





「初めて会った夜から、あなたのことが気になっていました」





「殿下……」




「ですが、あなたは既婚者でした。だから、気持ちを伝えるつもりはありませんでした」




彼は静かに続けた。

「今も、あなたが私を好きになってくれるかは分かりません。ですから、返事を急ぐつもりはありません」




「……」




「ただ、もし許されるなら、これからもあなたのそばにいたい」



私は彼の目を見つめた。

そこには、命令も支配もなかった。

私の気持ちを待ってくれる人がいた。


前世でも、結婚生活でも、私はそんな人に出会えなかった。




「私も……殿下と一緒にいると、安心します」




「本当ですか?」



「はい」

私は少し恥ずかしくなり、視線を落とした。



「でも、まだ恋愛をすることに慣れていません。怖い気持ちもあります」



「それで構いません」

アレックス殿下は、私の手にそっと触れた。



「ゆっくりでいい。あなたの歩幅に合わせます」



その手は、温かかった。




私は自分から、その手を握り返した。





〜〜〜〜〜




それから半年が経った。




私は王都の一角に、小さな治療院を開いた。

王家からの支援は受けたけれど、運営方針は自分で決めた。

貴族も平民も関係なく、治療を必要とする人を受け入れる。



回復魔法を使い、怪我や病気で苦しむ人たちを助ける。

前世で看護師だった知識も役に立った。


治療院には、毎日多くの人が訪れるようになった。


「ヘレン先生!母の熱が下がりました!」


「よかったですね。まだ無理はさせないでくださいね」


「ありがとうございます!」


そんな声を聞くたびに、私はこの人生を選んでよかったと思えた。



そして、もう一つ。


私の隣には、いつもアレックス殿下がいた。


彼は公務の合間を縫って治療院を訪れ、時には荷物運びまで手伝ってくれた。


「殿下、そんなことまでしなくても」


「私にもできることがありますから」


「王子様が薬草の箱を運んでいるなんて、誰かに見られたら大変ですよ」


「では、見られないように急ぎましょう」



彼はいたずらっぽく笑った。



その笑顔を見ると、私も自然と笑顔になった。



ある夕暮れ。


治療院を閉めたあと、アレックス殿下が私を庭園へ誘った。


そこには、花が咲き誇る小さな噴水があった。


「ヘレン」


彼が私の名前を呼んだ。


「はい」


「あなたと出会ってから、私は多くのことを考えました」


彼は私の前に立ち、真剣な眼差しで見つめてきた。



「あなたは、自分の力で多くの人を救っています。誰かに命じられたからではなく、自分の意思で」



「それが、私の望んだことです」





「そして、私はそんなあなたを愛しています」




彼は片膝をついた。


「ヘレン。私と結婚してください」




差し出された手の上には、小さな指輪があった。




「あなたを守ると約束します。けれど、あなたの自由を奪うことはしません」




「……」




「あなたが笑っていられるように、隣で支えさせてください」



涙があふれた。




前世の私は、誰かに愛されるために自分を犠牲にしていた。



ヘレンとして生き始めた私は、誰かの所有物として扱われた。




けれど、今は違う。




私の意思を尊重してくれる人がいる。



私の夢を応援してくれる人がいる。



そして、私自身もこの人と一緒に生きていきたいと思っている。



「はい」


私は彼の手を取った。




「私も、アレックス様と一緒に生きていきたいです」



彼の顔に、心からの笑顔が広がった。



「ありがとう、ヘレン」




彼は私の手を優しく握り、指輪をはめてくれた。


その後、彼は私を抱きしめた。

私は彼の胸に顔をうずめる。




あったかい。


怖くない。


この人となら、きっと大丈夫。




〜〜〜〜〜





結婚式の日。




王都の大聖堂には、多くの人々が集まっていた。

私は純白のドレスを身にまとい、アレックス様の隣に立っていた。


彼が私の手を握る。




「幸せですか?」

小さな声で尋ねられた。




私は笑顔で答えた。

「はい。とても」




その言葉に、彼は優しく微笑んだ。

誓いの言葉を交わし、私たちは夫婦になった。

式のあと、窓の外には美しい青空が広がっていた。





私は空を見上げる。




金田美優として生きた人生は、決して幸せとは言えなかった。



けれど、その経験があったからこそ、今の自分がいる。




誰かに傷つけられることを、愛だと思わなくていい。

誰かのために、自分を壊さなくていい。

幸せになることを、遠慮しなくていい。




私はもう、誰かの顔色をうかがって生きることはない。




自分の人生は、自分で選ぶ。




そして今、私が選んだ人は、私の手を優しく握ってくれている。




「ヘレン?」



「なんでもありません。少し、幸せを噛みしめていただけです」


「それなら、これから何度でも噛みしめてもらわないといけませんね」




アレックス様が笑う。


私も笑った。





今度こそ、私は幸せになる。

誰かに許されるためではなく。

誰かに認められるためでもなく。



私自身が、幸せになりたいと願ったから。


そして、その願いは今、確かな形になっていた。



私の二度目の人生は、愛する人と共に歩む、温かな日々から始まった。





【完】

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